少林寺拳法と私

どーも、景嗣です。

ブログ更新が約1年ぶりとなる。

昨年今年はコロナ禍により公私ともに多忙を極めたため、なかなかブログ記事執筆をする余力ができなかったためだ。ブログ記事を楽しみにしてくださっている方々には大変申し訳ない限りである。

さて話は変わるのだが、この度僕が修練させて頂いている道場が今年で40周年を迎えるらしい。そんなこともあり、うちの道場長からこのような指令があった。

「うちの道場の記念文集をつくろうかと思う。各拳士、『少林寺拳法と私』という題目で思ったこと感じたことを自由に作文して提出してください。」

なるほど。少林寺拳法の修行をしてちょうど10年くらい経つ。

この作文を通じて、今一度自分の修行観・人生観・生き方を見つめなおしてみようではないか。

僕はまだ28歳。社会的には未熟者であるし、大それた見解を残すことができないかもしれないが、以下に表題の作文を記していこうと思う。

よかったら見ていってください。

 

『少林寺拳法と私』 景嗣

私が少林寺拳法の修行に取り組んで10年ほどの歳月が流れました。私にとってこの10年は、様々な苦難に耐えてきた期間であったと同時に、「己の生き方の軸をどのように確立すれば、苦難を乗り越えて前向きに生きて行こうと思えるのか」という問いを常に考えさせられる期間であったように思います。苦悩する私に少林寺拳法は、人としてより良く生きるための道しるべを提示してくださったと感じています。本稿では、私の経験談を踏まえて、私が少林寺拳法の修練を通じて学び得たことについて論じていきたいと思います。

 

私は、幼少期よりイジメを受けてきた自分を変えるべく、一念発起して15歳の時に少林寺拳法の修行に取り組みました。それはもう一心不乱に稽古に取り組みました。その結果、22歳までに段位は三段まで取得し、大阪市や大阪府の大会で優勝することも多々あり全国大会にも出場させていただくこともありました。少林寺拳法は私にとって生活に欠かせないライフワークと言っても過言ではない位置づけにありました。

少林寺拳法において段位や賞を獲得し、勉学においても優秀な成績を修めていたこともあり、公私ともに順調に人生を歩んできたように思っていました。しかし、23歳のときに私の人生の風向きが180度変わってしまったたのです。兄が悪徳商法に没入したこと、右目の視力を病気で失ってしまったこと、そして父が突然に急逝してしまったこと。私の人生の歯車が一気に狂い始め、大切に守ってきた幸せが私の掌の隙間から次々にこぼれ落ちていったのです。悲しみと後悔の念に苛まれるなか「自分は何も守れなかった。自分の人生は失敗だった。間違いしかなかった。私に生きる価値はない。」と悲観的な思考に陥る日々がしばらく続きました。当然、社会生活もまったくうまくはいかず、自分の殻に閉じこもり、ついにはライフワークだった少林寺拳法からも離れてしまい、学歴も持ち腐れてすべての物事に取り組むことを放棄し、そう遠くはない死をただ待ち望む日々が続きました。

悲しい出来事をきっかけに自分の人生があっさりと転落していった経験から、学歴・社会的地位・技術など、他者から賞賛を受けるような「カタチある功績」をいくら自信の根拠にしていたとしても、人生の些細なつまづきに翻弄されている心に対しては何らの拠り所にもならないことを身をもって痛感したのです。私が積み上げてきたものは「本当の強さ」ではなかったことに気づかされた瞬間でした。

 

そんな抜け殻のようになった私でしたが、社会のどこにも居場所がない自分にとって少林寺拳法を捨てきることはできず、目の病状が安定してきたのを機に再び少林寺拳法を再開することにしました。深い考えはなく、疲れ果てた獣が古巣の居心地の良さを思い出して帰巣していくような、半ば本能的な行動でありました。

人生を悲観し前向きに生きる気力を失った私としては、「人づくりための行であるとされる少林寺拳法を修行することによって、私は模範的な人生の歩み方をできる人材に戻ることができるはずだ。そのためにどのような心づもりで修行と向き合い、何を意識することが大切なのだろうか。」このような観点を以前よりも強く意識しながら修行に臨みました。

私が着目したのは、「人間組織の中における自分の役割とその役割が自我に与えた影響」でした。腐っても黒帯三段の拳士、かつて会得した技術や経験を門下生に指南する役割を道場長から与えられることも少なくはありません。順風満帆であったころにはなかった感覚ですが、こういった技術指南の役割を与えられたときに「頼りにされてる。嬉しいな。」と感じました。そして、その役割に相応しい結果を残すために一所懸命に立ち回ろうとする自分がいたことに気づきました。「今日はあの技をうまく指導することができなかったなぁ。どうやったらわかりやすく伝えられるか勉強しなければいけないなぁ。」と、日々抱いていたマイナスの感情なんてすっかり忘れ去って、組織のために自己研鑽する自分がいることに気づきました。

この経験から、私は以下のような考え方に至ることになりました。人間というのは、他者から頼りにされるような自分を認識したとき、自分の価値の尊さを改めて自覚できるのではないかと考えました。また、そのことを気づかせてくれた他者の存在に感謝の気持ちを持つようになり、他者の役に立とうと建設的に行動できるのではないかと考えるようになりました。そして「他者の役に立つために自分は何ができるだろうか。」と、自分の可能性を見つめ直す機会をつくり、さらに自分の価値を向上させようとする気概と行動力が生まれてくるのではないかと考えました。このような考え方に至ったことで、独りよがりでネガティブな思考に陥り続けることは無くなり、自分のためにも他者のためにも日々を建設的に生きていこうと考えられるようになりました。

 

私は前述の経験を踏まえて、少林寺拳法が教える「本当の強さ」の意味や「少林寺拳法が目指す理想」の深い部分を理解できたように感じました。腕っぷしの強さなど「カタチある功績」をいくら積み上げていたとしても「自分はダメな人間だ。」と感じてしまえば、それは負けであると考えます。

どんなに悲しいことに見舞われても、動じない自分をつくるためには以下の3点が大事であることを学びました。(1)他者との関わり合いの中で、自分の中に備わっている価値の尊さに気づき、「一次的な自己確立」を経ること。(2)自分の価値に気づかせてくれた他者に感謝し、他者のために尽力する気概と行動力を持つこと。(3)「社会のために自分は何ができるのか。」と自分の可能性を改めて見つめ直し、さらに自分の価値を高めようと努力する「二次的な自己確立」を目指すこと。これらの3点を意識することで、目先の悲しみや辛さに動じない、「本当の強さ」を持った自分で居られるのだと考えます。

そして、「自己確立」を経て、「他者貢献」を心がけ、さらなる「自己確立」を目指すという建設的なサイクルを生む状態こそが、いわゆる「自他共楽」の境地なのではないか、と考えられるようになりました。修練システムの特徴を「組手主体」とし、相対稽古によってお互いを高め合う少林寺拳法だからこそ、このような気づきを得られたのだと考えております。

私は、少林寺拳法の修練体系の中に人間力を向上させるエッセンスが散りばめられていることを常々意識するようになり、少林寺拳法の修行から実社会に役立てることのできる教訓を読み取ろうとする意識も生まれました。例えば、自分勝手に技術の向上に腐心していた過去とは打って変わり、門下生の存在を最大限尊重し、相互に自分の価値を認識できるようにする雰囲気づくりに努めるようになりました。これは少林寺拳法のみならず、私生活における人間関係にも役立つ考え方であると考えています。

 

私は少林寺拳法の修練を通じて以下のことを学びとることができました。自分の中に備わっている価値の尊さに気づくことの重要さ。他者との関わり合いの中で得られる他者への感謝の気持ちを持ち続けることの大切さ。他者の役に立つために自分の可能性を見つめ直し、自己研鑽に励む姿勢を持つことの大切さ。これらが「本当の強さ」を下支えするエッセンスであると同時に、社会貢献を目指す気概と行動力を生み出してくれるものであること。そして、少林寺拳法の修練から学び取ることのできる教訓のすべてが社会生活における様々な場面で大いに役立ち得ること。これらの学びによって私は、転落した人生から再起し、もう一度まっとうに社会を生きてみようという気力を持つことができました。

 

私は現在28歳であります。これからも様々な人生経験を積み、今までとは比べものにならないほどの苦難に出くわすこともきっとあるでしょう。そんなときこそ、自分の中に備わっている人間としての価値と他者への感謝の気持ちを見失うことなく、自他とも明るい未来をつくるように努めたいと思います。

人生に希望を持つことのできなかった私に、再起する気づきを教えてくださり、人間社会をよりよく生きるための道しるべを提示してくださった少林寺拳法に感謝し、少林寺拳法を修練するなかで感じ取った学びを、私に関係するすべての方々へ伝えていき、社会貢献のために活かしていきたいと思います。

以上

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うまくまとまったのかなぁ??

少林寺拳法に対する思い入れが強すぎて、逆に思考がまとまらない印象だったww

だが、これらのことは、僕が心底感じた嘘偽りのない意見である。

少林寺拳法、そして私に関わってくださるすべての方々に今一度感謝の気持ちを伝えさせてください。

みなさん、本当にありがとうやで。

景嗣

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少林寺拳法と私” に対して2件のコメントがあります。

  1. 秋川 健一 より:

    初めまして。
    実は私、かれこれ30年近く前まで、大阪十三道院に所属していた拳士です。
    現在は、岡山県の鏡野スポーツ少年団の支部長をしています。
    YouTubeでよく少林寺拳法の動画を見るのですが、見覚えのあるロケーションに出会い、開いてみてびっくり。とてもなつかしい野中の会館でした。
    島谷先生は、ともに修行していたので、よく覚えています。
    景嗣さんは、とてもお若いのですね。真摯な姿勢がよく伝わってきます。
    何はともあれ、よろしくのメッセージをお伝えしました。

    1. 景嗣 より:

      初めまして。
      コメントをいただき誠にありがとうございます。

      元十三道院に在籍されていた拳士とこうして出逢えるなんて、
      少林寺拳法はいつも良縁とめぐり合わせてくださいます。

      道院から、スポーツ少年団に形態を変えてから丁度10年が経ちます。
      先日、その10周年記念として、組演武を披露させていただきました。
      歴史ある大阪十三に所属させていただけていること、誇りに思います。

      現在コロナ禍で活動が難しい状況にはございますが、
      コロナが落ちつきましたら、一度十三にいらしてみてくださいね。
      お待ちしております。

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