社会的弱者の必要性に関する考察 その2

どーも、景嗣です。

 

本稿は、「社会的弱者の必要性に関する考察」の「その2」に該当する。

本稿を読み進めるにあたり、事前に「その1」を読んでおく必要がある。

下記リンクより、「その1」を講読しておいていただきたい。

社会的弱者の必要性に関する考察 その1

・・・さてさて

 

人間社会において・・・

強者が重い負担を背負ってまで・・・

なぜ、弱者を擁護せねばならないのだろうか・・・

 

「それが感情ある人間の当たり前の行動だ」と言ってしまえば、それで終わりかもしれんが・・・・

 

重い負担を背負わされ続けて、

精神がおかしくなる強者・・・

 

強者が狂乱して堕ちていくのを目の当たりにしてまで

生きることを望まない弱者・・・

 

両者の心をここまで摩耗させてまで・・

弱者を擁護し続ける意義とは何であろうか??

 

景嗣放浪記では、感情論をなるべく避けて、飽くまでロジカルな話の展開を心がけたい。

 

・・・・

・・・・

 

読者諸君は、このような生物学的な研究があることを耳にしたことはないだろうか??

「働きアリの法則」である。

まぁ、有名な研究テーマである。

 

働きアリの集団の構成員の特徴を分類分けすると

以下のような分類分けができる。

 

(1)よく働くアリ

(2)たまにサボりもするが、普通に働くアリ

(3)ずっとサボっているアリ

 

コロニーにおいては、上記(1)(2)(3)のアリが

概ね、2:6:2の割合で存在しているようである。

アリのどのコロニーを観察しても、概ね上記構成員の割合に落ち着くようである。

 

ここで下記(A)(B)(C)の計3パターンの操作を行い、各結果を観察した。

 

(A)2割のよく働くアリをコロニーから間引くと、残りの8割(6割の普通アリと2割のサボりアリ)のうちの2割がよく働くアリに変化する。

(B)コロニー内の全てのアリをよく働くアリに入れ替えると、一部のアリがサボり始め、2:6:2の割合に落ち着く。

(C)コロニー内の全てのアリをサボりアリに入れ替えると、一部のアリがよく働き始め、2:6:2の割合に落ち着く。

 

(A)(B)(C)の結果から導かれる示唆は・・・

コロニー内の構成員には「黄金比」が存在し、いかなる性質の構成員を集めたとしても、2:6:2の割合で、よく働く者、普通に働く者、サボる者が生まれてくるのだ。

この2:6:2の割合がコロニーの機能維持のために適正な「黄金比」であると考えられる。

このような見方からは、興味深い示唆を得られるように思う・・

 

つまりは・・・

コロニー維持のためには・・・

よく働くアリが100%ではダメで・・・

そこそこ働くゆるいアリと・・・

サボりまくりのダメダメアリが「必要」であるらしいのだ・・・

 

・・・・・

・・・・・

生物学上の自然なメカニズムぞ・・・

上記一連の実験から得られる結論から・・・

 

「社会」というコロニー

あるいは、「会社」や「何かしらの小団体」というコロニーで

集団生活する「人間たち」にも、概ね同じことが言えそうな気がしてならない・・・

 

どうやら・・・

生物学的に理論上・・・

 

社会的に不必要と性質付けされる個体は、社会というコミュニティ維持のためには、むしろ必要な因子である可能性が高いのである

・・・・

「必要とされていない個体が、必要・・・」

何とも逆説的な示唆である・・・

 

・・・・・

そうさなぁ・・・

ここからは、想像の話になってしまうが・・・

 

仮に、この現代社会が・・・

「社会的に使えない弱者は排除せよ」という理念のもと、強者のみを選りすぐって社会を形成していく方向に舵を切ったとしよう・・

良質の歯車しか残らないわけだ。本来ならば、社会コミュニティは円滑に維持されることが想像される・・・

 

だが問題は・・・

人間は、感情のある社会の歯車であることだ・・・

 

「社会的に使えない弱者は排除せよ」という理念のもと

選りすぐりの精鋭部隊の構成員どうしが・・

わずかな実力差をあげつらって、自他の優劣を浮き彫りにして、無益にも貶めあうであろう・・・

皆が皆、優秀な人材なのに・・・

ここに言う実力差なんて、きっと個人差レベルの話であろうに・・・

そのわずかな実力差の優劣をめぐって、無益な争いが生まれるであろう・・・

 

優秀な人材どうしの嫉妬の掛け合い、足の引っ張り合いが生じるわけだ・・・

その手口は実に巧妙で、イヤミたらしいものになるであろうことは、想像に難くない・・・

 

きっと・・・

本来、個人差として笑い飛ばせる、優劣をあげつらって、劣勢因子を排除し続けたら・・・

きっと、人類は地球上に独りしか存在しなくなるであろう・・・

これは、コミュニティ維持の観点からすると、バッドエンドである・・・・

 

ここまでの想像は、極端な例であろうが、優秀な人材のみが集まり、隙あらば他人の落ち度を舐めるように見回す構成員が集まるコミュニティなんて、息苦しくて仕方ないぜww

どこかで、精神病を患う者が出てきてもおかしくはない・・・

 

一方・・・

弱者を含めて、みんなの個性を尊重しよう、助け合おう。多少の優劣は目をつむってさ

こういう理念は、一見して強者に理不尽な負担を課すように見えるであろうが・・・

理論上、人間の優劣感情に基づく排他的選民思想の抑止力になっている側面があることに気づく・・・

少々、「できない人、おっちょこちょいな人」が居た方が、コミュニティの場が和むものだ・・・

少なくとも、先述した「優秀な者どうしの、不毛で息苦しく殺伐とした争い」はおそらく消え去るであろう・・・

 

社会的な弱者は、コミュニティ維持の観点から、むしろ必要である可能性が高い

 

 

そして・・・

「何を以て、優勢であるか、劣勢であるか・・・」

改めて考えて頂きたい・・・・

 

「仕事がテキパキできて生産性の高い結果を残せる人材が優勢??」

それは2019年、令和元年、資本主義経済を中核とする現代社会であればこそ、このような価値判断がなされるに過ぎない・・

 

この価値判断は、古今東西、普遍の原理として変わることがないであろうか??

 

応えは・・・・

断じて否である・・・

 

100年後、200年後・・・

AIが発達して・・・

政治経済もベーシックインカムが主流となり

資本主義経済の負のスパイラルから脱却した世界においては・・

 

もしかしたら・・・

「仕事をテキパキして、きっちり結果を残せる人材」は、もはや必要なくなって・・・

 

むしろ・・・

「おっちょこちょいでドジでダメダメちゃんで障害持ちだけど、その分他人に優しくて、他人に寄り添い、痛みを癒してあげられる人」

そういう人が「価値ある人」として崇め奉られる日がくるかもしれない・・・

 

要は・・・・

社会的な強者や弱者

こういった性質付けは、多分に時代の価値判断によって、随時変化するものであって・・・

 

「こういうのが社会的強者で、そういうのが社会的弱者だ!!」

なんていう、決めつけが・・・

そもそもオコガマシイ行動であることに気づかされる・・・

 

何かしらの社会的な団体の構成員よ・・

「アイツはダメだ」

「使えない、クソ野郎だ」

「アイツは変な奴だ、みんなでイジメて排除しようぜ」

「アイツは目の見えない障害児だ・・・社会的に役立たずだ・・コイツのために何で俺様が折れなきゃいけねぇんだ??」

・・・・・

・・・・・

何とも近視眼的で、プリミティブな視座よ・・・

そのマウンティングが如何に愚かしいことであるか、そろそろ気づいた方がいい。

究極、人が人を裁くなんざ、天地がひっくり返ってもできはせんわ、アホンダラ。

 

「社会的弱者が必要かどうか」ではないのだ・・・

これはそもそも問いが誤りなのである・・・

 

強者も弱者も無いのだ、本来は

 

ただ、在るのは・・・

人間は、各々多かれ少なかれ個性を持った個体であり

社会的なコミュニティを形成して共存する生物である、という事実だけだ・・・

 

優劣なぞ、人間が勝手に作った幻の概念・・・

そんなもんは、時代やらその場の状況で簡単に入れ替わってしまう脆弱な概念さ・・・

 

在るのは、皆共存し

同志、共に足りない部分を補い合い支え合って

歴史を紡いできたという事実だけだ・・・

 

かよわい民衆は、屈強な勇者に助けを乞うも・・・

勇者も時にはつまづき、かよわい民衆のエールに勇気づけられて、歩を進めて来たに違いないんだ・・・

 

皆が皆、それぞれの役割を持って、生を受ける

必要のない人間など居ない・・・

コロニー維持のための黄金比を守るため、皆が皆この世界に存在しなくてはいけない・・

 

・・・・・

陳腐な考察かもしれないな・・・

最終的には、キレイごとっぽい結論に至ってしまった・・・

 

でも・・・

この結論をみて頂き・・・

また明日を生きていく決心をしてくれた人が居たならば・・・

これほど幸いなことはない・・・

 

だってさ・・・・

無価値で生きる価値がないと思っていた僕でさえ・・・

誰かに勇気を与えられているというなら・・・

こんなに嬉しいことはないさ・・・

 

・・・・・

・・・・・

 

今日は台風・・・

窓は閉め切っているはずなのに・・・

カーテンが独りでに揺れている・・・

 

お前が担うべき役割を見つけなさい・・・

どれだけ時間がかかっても、つまづいても構わない

世界はいつでもお前の存在を必要としているさ。堂々と生きていればいいさ・・・

 

そうか・・・

世間はお盆だったね・・・

会いに来てくれたんだね、父さん・・・

それが応えか・・・

 

・・・・

・・・・

 

何だか、幸せな気分になれた午後の昼下がりだったよ・・・

父さん、ありがとう・・・

また、いつでも会いにきてね・・・

以上

景嗣

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