神様の思惑ー人間どうし、わかり合うということ

どーも、景嗣です。

 

 

今日もテキトーな僕の考えを記事にしていく。

( ´_ゝ`)フーンくらいの心づもりで見ていってほしい・・・・

 

 

「なんであの人は、私の言うことを聞いてくれないの!?」

「同じ人間なのに、どーして分かり合えないの!?」

「みんなみんな、どーして私のことを理解してくれないの!?」

 

一昨日も、昨日も、今日も、俗世の民の心は渦巻いていますねぇ。

きっと、明日も、明後日も、渦巻いていくことでしょう・・・

 

 

「承認欲求」というのは、難儀な代物です・・・

 

相手の存在を承認し、承認されたときに「快」を感じるメカニズムというのは、生物的な「防衛本能」に由来するそうで。

ある者が危険を早期に察知し、害を被りそうな仲間にその危険を知らせることで、相互扶助を図っていたそうな・・・・

(それと同時に裏切り者がいないかどうかという相互監視の機能も同時に身に着いたらしい)

 

このように、ある者が他者の存在を認識し、他者の利益に貢献するという行動原理は、遺伝子レベルで人間に刷り込まれた代物らしい。

自己を承認されることに「快」を感じることも、自己の存在を蔑ろにされたときに「不快」と感じることも、何ら不思議なことではなく、むしろ人間という生物として進化する過程で身に付けざるを得なかったメカニズムがもたらす不可避の結果といっても過言ではない・・・

 

「自分のことをわかってほしい」という感情は、もはや遺伝子レベルで刷り込まれた、抗いようのないシステムの一環なのである。

 

・・・・・・・

・・・・・・・

なんかいっつも前置きが長くなって申し訳ないwww

 

だとすると・・・・

 

「相互承認し合うことが生存競争的に善ならば、より円滑に承認し合うために『各人の個性を没する』方向性も考えられる。みなが同じ形・同じ成育歴・同じ経験・同じ感情・同じ思想を有しており、クローン体のような集合体であれば、個体情報に一貫性があり相互の思惑の承認も容易いではないか・・・」

 

「なぜにこうも各人様々な成育歴・経験・それに基づく思想・感情が存在し、『個性』があるのだろうか・・・」

 

「『個性』があるせいで、各人の考え方が多種多様となってしまい、ある者に向けたメッセージが適切に受け取ってもらえず悲しい思いをしたり、思想の違いで反発し合い争いあうのではないか・・・」

 

「人間が生物として早期に危険を察知し生き残っていくのなら、初めから個性なんて無い方が整合的ではなかろうか」

 

(ここでは、「遺伝子に多様性を持たせることによって、伝染病による遺伝子の滅亡を防ぐため」といった言説は度外視してほしい。あくまで、各人の相互理解・承認という観点からの純粋な疑問として受け取って頂きたい・・・)

 

なぜ、「個性」が生まれてしまったのか・・・・

 

・・・・・・

・・・・・・

そのヒントらしき御伽話が存在する・・・・

まぁ、キリスト教よろしく、聖書にある話なのだが・・・・

・・・・・・

 

世界観は、こうだ。

(多少、色付けさせてもらう。史実に忠実でないことをここに謝罪する)

・・・・

全知全能の神様がいた。

神様は、世界を創造し、草木、動物、あまねく生物に「生」を与えた。

「人間」も神様が与えた「生」の中の一部である。

 

ただ、この「人間」というのは、悪魔 (サタン) の化身である「蛇」に唆されて、「禁断の果実」を口にしてしまう。

これを機に、「人間」は、理性と感情を身に付けることになり、神様によって、エデンの園から追放されてしまう・・・

(まぁ、アダムとイヴのラブゲームですわなwwww)

 

その後・・・・

「人間」は子孫を繁栄し、大量の人口を益した。

まぁ、現代的にわかりやすい数字でいこうか。

人口、のべ70億人といったところだ。

 

当時、男女といった個体差は存在していたけれども、同じ言語を話し、同じ価値観を共有する者が、70億人一挙に集まって生活していたことを想像しておいていただきたい。

 

ある者が思いつきでこのように発言した。

「この世界にはさ、『神様』ってのが天にいるんやろう?? で、その神様によって、俺ら人間はエデンの園を追われたんやろう?? 我ら一致団結してその神様ってのを倒してみてはどうだろう。そして、エデンの園でみんなで楽しく暮らそうぞ!!」

 

彼の一言に感化され、他の者も次々に発言し始めた。

 

「おう、名案ぞ!!」

「俺ら、70億人が一致団結すれば、神様なんて目ではないさ!!」

「ララララーーーーーィ!!!」

・・・・・

・・・・・

 

さてさて、人間たちは天におはす神様を討伐すべく、

「天まで届く塔」を建設することにした。

これが、世に言う、「バベルの塔」である。

 

70億人の没個性の人間たちが、円滑に分業し合い、作業を行っていくわけだ。

「天まで届く塔」と雖も、さすがの物量作戦。

けっこう、あっという間に「バベルの塔」が天に届きそうなくらいにまで建立されていったそうな・・・・

 

それを天から見ていた神様もオチオチ見ていられなくなったようで・・・・

神様「やべぇ・・・ このままだと、ホンマに人間どもに殺されてしまうかもしれん・・・かくなる上は・・・・」

 

そう言って、神様はバベルの塔に向かって光を放たれた・・・

 

次の瞬間・・・・

 

バベルの塔を建設していた人間たちの・・・・

 

「各人の操る言語が異なる状態となってしまった」

「各人の操る言語を理解し合うことができなくなってしまった」

 

先ほどまで、円滑に行われていた塔建立の作業は、「同じ言語に基づく指示・コミュニケーション」によって成り立っていたわけで。

その人間にとって重要なコミュニケーションツールを急に奪われてしまうという異常事態が起こった。

 

作業現場は大混乱。

作業が回るどころか、70億人の人間が塔の中でパニックを引き起こし、仲間割れが始まった。

 

そして、塔は瞬く間に、倒壊していったそうな・・・・

 

神様「ふぅ、危なかった・・・ 人間ごときに謀反を起こされかけるとは、不覚・・・ 今後、このようなことがあってはならない。そうさなぁ・・・言語以外にも、各人にもっと『個性』を作ってしまおう。人種・思考原理・感情、あらゆる分野で個性を作ってしまおう。世界の地形や気温なども細かく個性付けよう。そうすることで、人間の生活様式にも自然と個性が生まれる・・・」

神様「これで、すべての人間がお互い理解し合うこともない。すべての人間が一致団結しあうこともない。部分的に一致団結することはあっても、必ずその反対勢力が同じ物量で構築され、戦争し合う構造をとるように仕向けるのだ」

神様「これで、人間は「個性」によって、人間同士で争うことに躍起になるであろう・・・これで当分、私に謀反を起こすこともないであろう・・・」

 

神様は世界のあらゆる部分に「個性」を散りばめ、身の安全を確保し安堵したそうな・・・・

 

・・・・・・

・・・・・・

あくまで、フィクションであるが・・・

この御伽話を前提に話を進めるなら・・・

 

人間が人間として泥臭く今日を生きる以上は、各人に「個性」が存在し、言語・成育歴・経験・思想・生活様式・感情、そのすべてが各人各様であることは変えようがない事実であり、受け容れなければならないということだ。

 

なぜなら、それがかつての「神様」の意志であるからだ。

だとすると、人間の「個性」はきっと、合理的な進化を経たとしても、なくなることはないだろう。

 

もし、「個性」が無くなれば・・・・

人間がお互いを何らの障壁もなく理解し合い・・・

またもや、謀反を起こされかねないのだから・・・・

 

・・・・・・

・・・・・・

 

人間は、お互いを承認し合うことを求めながらも・・・・

「神様の思惑」によって・・・・

理解し合うことを阻まれて、苦しむ存在となってしまった・・・

 

 

無力ないち人間として、できること・・・

 

それは・・・・

 

自分の存在を理解してもらえないという状況に出くわしたとき・・

「これも神様の思惑さね・・・自分にはどうにもならないことなのかもしれない」

と、取り乱すことなく、現状を冷静に受け容れる余裕を持つことではなかろうか・・・・

 

「諦め」と言うにしては、若干伝えたいニュアンスが違う。

 

「他者に認めてもらえることを当たり前とせず、認めてもらえるかもしれないという淡い期待を、プレッシャーという形で他者に押し付けないこと」かなぁ・・・・

 

一見、簡単なように見えるが・・・・

 

「俺、こんなに頑張ってるのにぃ!!」

 

自己の置かれた状況が逼迫しているときほど、けっこう他人に承認の期待を寄せてしまうのが人情というもの。

これでは、認められない側もツラいばかりか、周囲も彼の奇行に戦慄し、不快な思いをするであろう・・・・

ヒドイ場合、貴重な人間関係に遺恨を残すことになろう・・・

 

 

認めてもらえれば、儲けモン・・・

 

認めてもらえなければ・・・・

 

「そうか、かつて神様の思惑によって、僕たち人間に『個性』ができて、お互い分かり合うこと自体が難しい状態に置かされたんだよなぁ・・・ うん、ダメでもともと。努力を尽くしてわかってもらえないなら、それはそれ。しゃあない、しゃあない。恨みっこなし。次回頑張ろう・・・・」

 

・・・・・・

・・・・・・

自分の力では如何ともしがたい事象であることを自覚し・・・

心持ちを落ち着かせることだ・・・・

 

「個性」ある人間が神様に抗えるはずがない・・・

 

なら、むしろ、「個性」を無理にでも楽しもうではないか。

 

「個性」を楽しむ喜びは・・・

 

「神様の保身」の末にできた副作用か・・・・

 

はたまた・・・・・

 

これもまた「神様の思惑」なのか・・・・

 

 

せっかく、人間が手にした「個性」なんだ。

無理にでも楽しい方向に考えようではないか・・・

 

このように、考え方に柔軟性を持たせられるのも・・・

人間の「個性」の為せる技なのだ・・・

 

苦しんだ分だけ、楽しもうではないか・・・・

以上

景嗣

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