キミの面影を探して・・・

どーも、景嗣です。

 

皆さまお久しぶり。

イロイロあって、コトバを紡ぐ気になれず、今日までブログ記事執筆をサボってしまった。

申し訳ない・・・・

 

特段、社会に資するネタを仕入れたわけでもない。

 

ただ、今日は、僕にとって特別な日なのだ・・・

なにがしかの形でコトバにして遺しておいてもいいような気分である。

 

いつものように、誰に語り掛けるわけでもなく、自分の気が赴くがままにコトバを紡いでいこうか・・・・

 

誰の得にもならん話だが

少しの間お付き合い頂けるのであれば幸いである。

( ´_ゝ`)フーンくらいの心積もりで見流していってほしい。

 

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5/19・・・・

 

僕の人生が大きく狂った日・・・・

 

忘れもしない・・・・

忘れてなるものか・・・

 

 

大好きで尊敬していた父が、僕の目の前で突然亡くなった日だ。

「自らの手で」だった・・・・

 

 

身体いっぱいでは持ちきれないほどの、心の痛みと、後悔・自責の念と、虚無感を・・・

「罪の十字架」という形で、僕は背負い続けることになった・・・

 

あの悪夢から実に3年という月日が経とうとしているらしい。

 

3年前と変わることなく、未だに事件当時の様子が急にフラッシュバックして過呼吸になったり、平常時でもうまく呼吸することができない状態が続いている。

しゃべろうとすると頭が白飛びして、二の次の言葉が口から出なくなる、「失語症」のようにもなっている。

酒を飲んで神経がゆるむと、涙がとめどなく溢れ出すことも多々ある。

おそらくは、心的外傷後ストレス障害 (PTSD) に近い何らかの病気を発症しているのではないかと自分で思ってしまうほどだ。

 

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「僕は、いまだに受け容れられない・・・」

 

 

本稿の話に関係しそうな出来事をひとつ紹介しよう。

先日のGW、大阪阪急梅田駅あたりで一人の男と話をした。

彼は、「路上詩人、せーちゃん」www

お客さんの目を見たときに得られる「インスピレーション」でコトバを紡ぎ、カタチにする、いわゆる「アーティスト」である。

僕は、「せーや」と呼んでいる。

 

そんなせーや、実は、小・中学校時代の同級生なのである。

お互い、26歳になった今でも、酒を飲み語り合う仲だ。

 

僕の人生の負の部分のすべてを彼は知っている・・・・

 

梅田をウロチョロとしていたら、たまたま彼と遭遇したので、試しに詩を書いてもらった次第である。

それがこれだ ↓

「司」というのは、僕の本名だ。

まぁ、玉虫色に解釈可能な文章ではあるが、何かを届けようとするパワーが感じられる文言だ。

この詩を書いてもらった時の会話を一部紹介しよう。

 

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景嗣=司「・・・『司が何にも感じない人なら』ってのは??」

 

せーや「うん、司の目を見てるとさ、『感情の無い、機械仕掛けのマシーンになろうとしている人』なんやなぁ、って思ってしまうんよねぇ・・・」

 

せーや「でも、オズの魔法使いの話に出てくる『ブリキの木こり』とは違う。ブリキの木こりは最初から心が無い。彼は心を持った時に感じる感覚を知りたいから、心が欲しいと願った」

 

せーや「司はその逆。もともとはしっかりと心もあって感情もある素敵な人間なのに・・・ 自らの手で感情を押し殺そうとして、『ブリキ』になろうと躍起になっている・・・そういう目をしてる・・・」

 

景嗣=司「・・・俺にはまだ感情があるのか?? 俺は夢も希望も誇りもすべてを失くしてしまった・・・ 正直、喜怒哀楽、すべての感情が俺にとって曖昧模糊だ・・・他人の気持ちもわからない。自分の気持ちでさえもわからない・・・それなのに??」

 

せーや「心ならあるさぁ。感情を持っているせいで感じてしまう『心の痛みや悲しみ』を受け止めきれなくなったから、心の存在を消そうと躍起になっているだけだよ。その証拠に、司はいま『乗り越えるべき壁』や『引きずるもの』を感じているやんか。そもそも感情がないブリキだったら、そんな概念すら感じないやん。微かにでも『壁』や『引きずるもの』で気を揉んでいるうちは、心があるってことさぁ。これこそが『司が生きている証、司を光らすお守り』さぁ」

 

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なるほど・・・

 

せーやの解釈が概ね正しいと仮定するならば

僕には、まだ感情が残っているらしい。

 

流れ作業のように メシを喰らい、あれこれ動いて、寝る。

日々のルーティーンを経る中で「自分の感情が幾何であるか」ということに注意を向ける機会がそもそも皆無であったように思う。

・・・いや、きっと「わざと注意を向けないようにしていた」んだと思う・・・・

 

「俺はいま、何を想うか、何を望むか・・・」

「そっと自分の胸に問いかける・・・」

 

「答えは何となく解っている・・・ 想ってみても胸が張り裂けるように痛むだけだ、ということも解っている・・・」

 

「俺の、生きている証・・・ 俺を、光らすお守り・・・・」

 

「それは・・・・」

 

 

「父さんに逢いたい・・・」

 

 

「もう一度、父さんのコトバを聞かせて欲しい・・・」

 

「いつものように、柔らかな笑顔を見せて欲しい・・・」

 

「わかってあげられなくてゴメン。バカな息子を赦して欲しい・・・ たった一言でも構わない。謝りたい・・・・ 絶え間なく襲い掛かる罪悪の念で心が痛いよ・・・ 叶うなら、今すぐ解放してほしい・・・」

 

「・・・もう、遅いよね、当然叶わないよなぁ・・・ 欲張ってしまった・・・ 俺みたいな忌むべき人間が望んではいけないことだったね・・・ 何度謝っても、赦してもらえるはずがないよな・・・」

 

「俗世で生き長らえても苦しいことしかない・・・ しがらみが清算できたら、早々に俺もそっちに行くよ・・・ だから待っててね・・・」

 

・・・・・・・

・・・・・・・

 

ほらね・・・・

心に問いかけなければよかった・・・・

 

俺を光らすお守り・・・・

・・・・・

 

それは、今の俺にとっては『命削りの呪い』に他ならない・・・

 

せーやの考えからすると、この一連の流れも「感情の為せる素晴らしい現象」なのだろう。彼の考えも中々言い得てだな。

 

有り余る感情の刺激に耐え切れず、心を閉ざし

心の在処を失ったように思う時点で、ふと心の蓋を開けてみては

心の傷の深さに泡を吹き、また心を閉ざして・・・・

 

このパターンの遺族は、きっとこのような負のループ味わい、苦しむことに一生を費やすのであろう・・・・

 

俺はまだまだ『キミの面影を探している』・・・・

 

これはきっと、病理的なまでの「依存」・・・・

 

狂おしいほどに、赦しを乞い求め・・・・

己のできる限りの贖いを実行する・・・・

「依存」という小さい枠の中での詰まらない筋書きを辿っていることを半ば自覚していたとしても、止められない・・・・

 

生きているうちに、この負のループを止められる日が訪れるのであろうか??

誰にもわからない・・・・

ブリキに転生し、感情のある人間として生きることを辞めるか・・・

 

あるいは・・・・

下らない「依存」を断ち切る術を、自分で見出し、乗り越えるか・・・

可能だろうか??

今の俺にはわからない・・・・

 

俺は、未だに、『彼の面影』を探している・・・

 

明日から、また心を、悲しみを隠して俗世を彷徨う・・・

赦しを得られる日を、心待ちにして・・・・

以上

景嗣

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