新元号「令和」に込める願い・・・
どーも、景嗣です。
みなさんお久しぶり。
一か月ぶりの記事執筆・・・・
大変お待たせした。いつものように、ごゆるりと読み流していってほしい。
2019年4月1日11時30分ごろ・・・・
新元号が公表された。
『令和』である。
このとき、僕は会社にいた。
新元号の発表のとき、先輩社員たちは
「んー、なんかビミョーやなぁ・・・」という声を上げていたのだが・・・・
僕、景嗣は、『令和』が日本の新たな元号になることを聴いて・・・
「『令和』には、今の日本人が忘れ去ってしまった大切な事柄を思い出させてくれるような、今の日本社会が誰しもにとって住みよく理想的な社会になるための、『重要なエッセンス』が込められている」
そう想い、僕独自の解釈ではあるが、深く感銘を覚えたんだ。
この想いをコトバにしたくて、いてもたってもいられなかったよ。
とゆーわけで、本稿では、新元号『令和』に対する僕独自の解釈と、『令和』にかける『願い』を徒然なるままに書き残していくことにしよう。
どうやら『令和』というのは、かの有名な万葉集に掲載されているコトバであり、それを引用したらしいのだが、本稿では敢えてそれに触れることをせず、僕独自の解釈の『令和』について言及していく。
相も変わらず独善的な私見をダラダラとしゃべるだけである。
( ´_ゝ`)フーンくらいの心づもりで見流していってほしい・・・
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『令和』・・・・
テレビ中継での街頭インタビューを見てると・・・
「そうねぇ、『和』という字が入ってるのがいいわね。やっぱり平和が一番ねぇ」
「『和』ってのは、和むって字だよね。とてもほんわかした時代が来そうで嬉しいですね」
主に『和』という字「だけ」に触れて、テキトーにインタビューに応えている俗世の人間が非常に多かったように思う。
思うに、『令和』の独自性を裏付けるのは『令』の漢字に他ならない。
なぜなら、同じ『和』なら、かつて「昭和」という時代を経てきたわけだし、世の「単純な平和」を願うなら、「平和に成る」という意味の「平成」という時代も経てきたわけである。
もし『令和』に込める想いに「単純なる平和」以上の意味を持たせないとするならば、「昭和」「平成」から『令和』に変更することは単なる儀礼的かつ形式的な変更以上の意義を有しないように思う。
(元号変更というもの自体そもそも、本来は「儀礼的かつ形式的」以上でも以下でもない陳腐な行動かもしれんがな)
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やはり。『令』という字にフォーカスを当ててみたい・・・
『令』とは、「命令」「布告」、そして「法令」などの意味を有するとされる漢字である。
「命令」だの「法令」だのという具体的な表現をしてしまうと、何かしら「強制力の伴う息苦しい漢字である」との印象を持たれかねないものの・・・・
もう少し抽象化された概念論的な話に持っていく場合、それはある種の「決まり事」であったり「秩序」であったり、
「万人が等しく効用を享受し得るための、万人が遵守することが望まれる理念や理想」である、と捉えることも可能ではなかろうか・・・・
そう解釈したときに、僕の頭である詩の一節が思い出された。
「もし人あり、『仁』『義』『忠』『孝』『礼』のことを尽くさざれば、身世に在りと雖も、心は既に死せるなり。生を偸むものと云うべし」
これは、少林寺拳法の「道訓」に記されている一節である。
人は以下に述べる理念を守ることを忘れた場合、身は俗世にあれど心は死んでしまうというのである。
つまりは、「人としての道を踏み外すこと」になるのである。
それらは・・・
『仁』→「人を思いやること」
『義』→「利欲に囚われず、為すべきことを為すこと」
『忠』→「己の心に偽りのないこと」
『孝』→「想いはかること」
『礼』→「『仁』の具体的な行動」
人が人らしく、同志一致協力して共に生きていくためにも、少林寺拳法は『仁』『義』『忠』『孝』『礼』をある種の『遵守すべき理念=令』と観念し、拳士たちにそれらの理念を厳に守らせ、修行させるのである。
さてさて、そろそろ『令和』の本質が見えてくる頃ではなかろうか??
『令和』・・・それは・・・
「人が人らしく共生していくための『共通理念』を一人一人が守り、其れを以て日本国民全員の幸せを醸成していこうではないか」という『願い』に他ならないのである。
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時は30年前・・・・
1989年・・・『平成』という元号が制定された・・・
バブルが弾けて数年・・・未曽有の不景気に見舞われ、日本国民が「豊かさ」を追い求めた・・・
「豊かさ」の果てに「平和」があることを願い・・・
「豊かさ」を手に入れ、「平和」に「成る」という願いを込めて、『平成』という元号が生まれた・・・・
『平成』という文字のとおり、世の中の産業技術は進歩し、瞬く間に人間は物質的な「豊かさ」と経済的安定を手に入れることができるようになった・・・・
だが・・・・
何かが変だ・・・・
物質的に、経済的に「豊か」になるにつれて・・・・
「苦労の経験を経る機会が極端に減り、他者の知られざる辛苦を慮る精神が希薄になった」
「経済的に豊かになることで、学徒は為すべき学問を忘れ、年から年中娯楽に遊び呆けるようになり、経済界の馬鹿たちもそのような馬鹿な若者を社会プレーヤーとして採用するようになってしまった」
「相互扶助しなくても生活が成り立つので、他社と触れ合う機会が減り、その結果、助け合い精神が薄れた」
「生活レベルが高い状態が普通の状態なので、少しでもそのレールから外れてしまうだけで、『普通の』生活に興じる誰かを妬み嫉むようになった」
「満たされぬ焦燥感、陳腐な優劣感情ゆえに、悪目立ちして他者に迷惑をかける馬鹿ども(バカッターみたいなやつ??)が増えた」
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・・・・何かがオカシイ・・・・
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「平和」に「成る」ことを願い、がむしゃらに頑張ってきた人間たちよ・・・・
キミたちが狂おしいほどに追い求めてきた「豊かさ」よ。その「豊かさ」に執着するあまり・・・・
足元を掬われたかのように『仁』『義』『忠』『孝』『礼』の精神をどこかに落としてきてしまったのではないか・・・
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・・・・・・・
突然だが、僕は、かの有名な「上杉謙信」の家系の者の末裔である(ぶっちゃけwwww)。
ガキの頃から、上杉の家訓である「義を重んぜよ」の精神をよく言い聞かされていたのを覚えている。
僕の行動原理は「義」なのだ。
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それがオカシイんだ・・・・
「義を重んじた行動をすればするほど、イイように利用され踏み台にされ吐き捨てられて・・・・ 彼のような手段を選ばない『ゴロツキ』みたいな奴ほど、社会の日の目を見るのだ・・・」
「義を重んじる人間が破れ、義を破る人間ほど社会が重んじる」
これを悟ったときには、時すでに遅し・・・
俗世の民はみな「傍若無人」な者ばかりであった・・・
バレなきゃイイ、バレても公序良俗に反しなきゃイイ、公序良俗に反しても誰かを貶めて自分はぬくぬくと生きればイイ。
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もはや「義」もクソもない時代に突入してしまったように思う。
各人のモラルが崩壊してきている無秩序時代と言っても過言ではないのだ・・・・
これで、みな幸せなら、それはそれでイイのだが・・・
会う人、須らく人生に疲弊しているのだ・・・・
貶められた者は、「復讐の念」に業を煮やし・・・
貶めた者は、目先の快楽に魅せられたあまりに、愛する者に侮蔑の視線を浴びせられ、「後悔の念」に苛まれ続けている・・・・
物質的・経済的に豊かなクセに・・・
みな須らく、幸せではなさそうなのである・・・・
思うに・・・・
人が人らしく共存するための理念、厳に遵守されるべき理念・・・
『仁』『義』『忠』『孝』『礼』の『令』をどこかに忘れてきてしまったことが、ひとつの原因である・・・・
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このような「無秩序時代」に生きる僕にとって・・・
『令和』の元号は・・・・
僅かながらも強い光を放つ希望のように映った・・・
そして、僕は『令和に』願いを込める・・・
「人が人らしく共生していくための『共通理念・共通理想』を一人一人が守り(令)、其れを以て日本国民全員がよりよく幸せで在らんことを(和)」・・・・・
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(周囲を一瞥する)
「令和!! 新元号は令和!! ショージキ微妙な漢字やけど、意味はないけど何となくめでたい!! 今夜はお祭り騒ぎだああああ!!!!」
「今日限定の「令和まんじゅう」!!! 記念記念!!! 今すぐ買いに行かなきゃ!!!」
「祭りだ、祭りだああああ!!!!」
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俗世の人間は、なんとも能天気だ・・・・
きっと僕の唱える小難しい話なんぞに耳を傾けてくれる者は少ないであろう・・・・
僕の声は、きっと彼らには届かない・・・・・
ならば、口に出すのは辞めよう・・・
心の中で静かに願い・・・
この「景嗣放浪記」を読んでくれる理解者たちのみに、僕の願いを発信しておこう・・・・
本稿における「願い」をブログで発信することも・・・
突き詰めれば、「物質的・経済的な豊かさの果てにある不幸感」から生まれ出づるものかもしれない・・・・
オカシな社会を皮肉り、誰にも理解を得られず、ただ独り本能のままに魂を叫び続けるブログよ・・・
景嗣放浪記もある種の「不幸のカタチ」なのである・・・・
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『令和』の時代が始まる。
まずは、僕から『仁』『義』『忠』『孝』『礼』を厳に実践していこう。
いずれ、皆がそれらの理念を守るようになるころには・・・・
きっと世の中は、真に平和になっているだろう・・・
そのときには・・・・
きっと、景嗣放浪記はその役目を終え、イイ意味で必要ではなくなるであろうね・・・・・
生きとし生ける、あまねく者たちよ・・・・
みな、幸せであれ・・・・
以上
景嗣