「余暇活動」で養うべきモノ
どーも、景嗣です。
今日もしっかりお酒を飲んだwww
ほろ酔い気分で、今日もテキトーなことを書きなぐることにしようwwww
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「余暇活動」・・・・
各人によって、それの意味するところが違うように思うが、本稿ではこのように性質決定しておこう。
すなわち
「仕事や勉強など、生計を稼ぐために半ば已む無しに行う社会活動と対比された概念。そういった社会活動外の時間で行う、極めて自発的かつ個人的な活動のこと」
これを「余暇活動」とする・・・・
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なんか難しい表現になったなぁwwww
簡単にいうとさ、サラリーマンが朝9時から17時まで勤務する時間は仕事の時間やねぇ・・・
要は、それ以外の時間で行う強制力の伴わない自発的な活動全般を指すのである。
アフターファイブのジム活動やスポーツ。
ホリデイにおける美術館散策や読書。
そういった「社会活動と一線を画す、自発的かつ個人的な活動」のことを指す。
まぁ、この景嗣でいうところの「少林寺拳法」「ブログ執筆」のことを指すwwwww
まぁ、趣味活動みたいなもんである。
さてさて、読者諸君。
きっと、各々様々な「余暇活動」を持っていることであろう。
趣味程度に嗜むくらいの活動で、ストレス発散を目的として行うモノもあれば
何かしらの大会で優勝を狙うがため、仕事とは別に日々自己研鑽に明け暮れるようなモノもあろう。
きっとその「余暇活動」に懸ける想いは十人十色、各人各様。
ヒトクチに「余暇活動は一律こうあるべき」と断言することは、大変軽率な行為である。
それを弁えた上で・・・・
あくまで、僕の個人的な見解としての「余暇活動で養うべきモノ」について、ダラダラとしゃべっていこうと思う。
いつもどおり、( ´_ゝ`)フーンくらいの心づもりで見ていってほしい・・・
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唐突なことから話に入らせて頂く・・・
「僕は人間が苦手である」
人間ほど、キマイラのような、鵺のような・・・・
奇怪な生き物は存在しないとさえ思う・・・
人間は社会的な生き物であり、感情に任せていては各コミュニティは絶滅必至である。
そのため、論理を駆使し法規を定め、各人を律するべし、としながらも。
その実、隠れて感情の奴隷で居続けるその様・・・
奇怪で仕方ない・・・・
何が苦手であるか、ということさえヒトクチに説明するのも非常に難しい。
ただただ「人間が怖い」・・・・
僕は、26年間、ずっとそのような気持ちで人前でオドオドと過ごしてきた。
こういう僕を見て、僕のプライベートを知る少林寺拳法の同志はこう言う。
「拳士としての景嗣くんと、それ以外の景嗣くんは、まるで人格が変わったように違う」
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のう・・・・
拳士としての僕は、気丈に振る舞う豪傑であり
雄弁に我の魂を語ることができるというに・・・・
一般社会に戻れば、様変わり・・・・
人間を怖れて、オドオドと振舞い・・・・
吃音というか・・・・ たった少しのコトバさえ、しゃべり切ることができない・・・
何というか・・・・
ムリによく言えば、公私をうまく分けてるともいえるが・・・
きっと、感覚的には「少林寺拳法の指導者が何とも情けない・・・」との謗りを免れないのが妥当な評価であろう・・・
僕個人の意見としても・・・・
思うに、今の僕は、「余暇活動」で養うべきモノを養えていない状況にある。
こういうことで悩んでいると・・・
ふと思い出した・・・・・
もはや、景嗣放浪記のVIP
京都西陣道院 道院長 牧野清先生 九段
牧野先生が何気なしに、僕に法話して下さった内容が思い出される・・・・・
牧野先生「少林寺の大先生とか九段のお偉いさんとか、周りはエエように言うてくれるけどな。俺自身は、んな肩書、さして大事なもんやとは思わへんのや。」
牧野先生「例えばな、なにがし天変地異が起こって、ある地域が被災したとするやろ。こういうとき、拳士なら、誰に何を言われずとも、復興のためにも同志互いに協力一致して、被災地で困ってる人を黙って助けにいくやろ??」
牧野先生「一心不乱に黙って人助けしてるのを誰かが見てな、『なんや、あのオッサン。黙って自分の身も顧みずに人助けしよる。あのオッサン、ひと味違うで』『あ、どうやらあのオッサン、少林寺拳法の大先生らしいで、どーりでひと味違うオッサンなわけやなぁ・・・』」
牧野先生「こういう風に、『ふとした普段の善行に、少林寺が見え隠れすれば、それでエエんや』。少林寺拳法を修行して、そういうオッサンになったらエエんや・・・」
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牧野先生の法話の内容それ自体が本稿の表題の答えを指し示している・・・・
「余暇活動」で優勝したとか・・・・
「余暇活動」で地位や名誉を築き上げたとか・・・・
そういう話は、どうでもよくて・・・・
「余暇活動」を通じて、人が人らしくあるために、人格を形成したり整えたり。
それが、一種の『道』であることが最上の理想ではないかと思うのだ。
そう・・・・
「余暇活動」として、少林寺拳法の指導者をさせて頂いているなら・・・・
仕事の場面で、「あれ、この青年、何かひと味違うなあ。あ、少林寺の先生か、どーりで人として良くできてるわけやぁ」と思わせられるのが、理想のカタチなのではないかと思う。
きっと、「余暇活動」にある程度チカラを入れている人ならば、そう思われたらこのうえなく嬉しいと感じることであろう。
そうだ・・・・
こういう「余暇活動」は、人間が社会活動をしていくために、有益な手段として機能させていくことが望ましいのだ・・・・
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傍若無人な若人・・・・
なりふり構わずキレる老害・・・
人間の優劣感情に囚われ、人を蹴落とし、引きずり降ろさんとする愚かな社会人・・・
そして、感謝の心さえ失い、「決して赦さぬ」と決心し慈悲の心さえ忘れた、哀しい者ども・・・
俗世を遠くから眺めて・・・・
現代、嘆かわしいほどに、
人間の性根がホントに腐っとる・・・・
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なぁ、人間たちよ・・・・
現代の様相、これが人間のあるべき姿なのか??
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別に「余暇活動」というカタチに拘る必要はない・・・
「人が人らしく在ること」について、今一度真剣に考えてはみないか??
それを、考えていく端緒に、きっと「余暇活動」がうまく機能することであろう。
「此の法は、済生利人のために修行し、決して自己の名利のために為すことなし」
「同志、相親しみ、相助け、相譲り。協力一致して、理想郷建設に邁進す・・・」
あまねく営みが「人が人らしく在るための『道』」であらんことを願う・・・・
読者諸君も、「余暇」を各人のペースで有意義に過ごして頂きたいものである・・・・
さて、俺も寝るかぁ・・・
酒飲んで寝よwwww
「余暇」よ。良か良かぁwwww
以上
景嗣