「ダメな自分・・・変わりたいよ」と願うアナタへ その2
どーも、景嗣です。
本稿は、「『ダメな自分・・・変わりたいよ』と願うアナタへ」シリーズの「その2」に該当する。
本稿を読み進めるにあたり、事前に「その1」を読んでおく必要がある。
以下に「その1」のリンクを添付しておく。各自確認されたい。
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「絶対に死ぬまでは負けたんでない、というのがワシの信念である」
「生きてる間は大丈夫。生きてる間は負けたんじゃないんだよ。命さえあれば、どんなことがあったって、いつかは立ち直れるんだ」
エエなぁ・・・
このコトバ、いつ聞いても勇気づけられるよ・・・
さて、ここから先は、読者自身で、自分自身を勇気づけていきながら、僕の話を聞いていってほしい・・・・・
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まず・・・・・
「変わる、変わらない」という話をしていたと思うんだけれども・・・
思うに、なんだか「隠れた前提」があって、それがモノゴトをややこしくしてるのではなかろうか・・・・
ウーン・・・・
人間さ、毎日朝起きて、飯食って、仕事して、家帰って、飯食って、風呂入って、寝るわけだ・・・・
その間、人間を構成する既存の細胞群は何兆個っていう単位で死んで、それを補完するように新しい細胞が何兆個も創造されてくるわけだろう??
そのようなサイクルが毎日繰り返されるわけで・・・
きっと、1年が経てば・・・・
「僕は、景嗣。1年前と変わらず、唯一無二の存在だ!!」
とか言いながらも・・・・
細胞レベルでは・・・・
「きっと、まったくの別人になっているに違いない・・・」
人間というか、生物の思考パターンとして仕方のないことであるが・・・・
自分と他者を切り分け、自分の存在ステータスを認知するために、「変わらない唯一無二の存在である自分と、それ以外の他者がいる」という思考パターンをしてしまうだけで・・・・
「その実、1年も経てば、細胞レベルで全くの別人になっている」
「自然の摂理上、人間は変わりたくなくても『変わらざるを得ない存在』というのが、むしろ真実ではなかろうか??」
仏教でいうところの、『諸行無常』だ。
むしろ、変わらないものなぞ、存在しないのが真実である。
それなのに・・・・
何ゆえ、「変わることができない」と嘆くか・・・
思うに、心の問題である・・・・
心は物質的な概念ではない・・・・
心の変化を理論で説明することは至難の業であるが・・・・
自然の摂理に従うなら、心もむしろ「変わらざるを得ない存在」であるはずなのだ。
何ゆえ、変わるという運命に逆らうか。
アドラーはホントに絶妙な表現をしたものだなぁ。
「アナタは変わらないという『決心』をしている」かぁ・・・
要するに、「本来ならば、心は変わるのが必定だというのに、その摂理に逆らって、断固として変わらないでようとする様」を見事に「決心」という一言に集約したのであろう・・・・
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「僕はキミに、『キミは変わらない』と言ったよね??」
「あの意味はね、『キミは心が変わらないように、必死に自然に逆らって抵抗している』ということなんだよ・・・」
「良いか悪いかは別にして、『自然の流れに逆らわずに、その流れに身を任せれば、自ずと変わる』のさ・・・・」
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ムリせず自然体で流れに身を任せておれば、放っておいても「いずれ」心は変わる、という前提をしっかり納得しておいていただきたい。
その上で・・・・
問題は、その「いずれ」というのは、具体的には「いつになるのか」ということであろう・・・
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僕の経験談で差し支えないのなら、語らせて頂きたい・・・
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「僕は、自分の感覚ではあるが、明確に以前の自分とは様変わりする程、心が変わったと断言できる」
良いか悪いかはわからないが、確実に言えることは、「あることを境に」心が変わったことである。
以前の僕は・・・
プライドが高く、自分の身の丈以上に自分を大きく見せようとする、虚栄心の強い傲慢な人間であった・・・・
自分勝手でとにかく自己中心的で、相手の立場に立ってモノゴトを考えられない暴君であった・・・・
将来に漠然とした不安を覚えており、生きることへの恐怖を抱くような小さな人間であった・・・・
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有名私大の大学院に所属している頃くらいかなぁ・・・
自分に誇りを持っていたし、その誇りゆえに「俺はお前らと違って、2つほど頭が抜きん出ているエリートやねんぞ。舐めんなや」的な、高慢な考え方が潜在的にもどこかしらに存在していたように思うんだ。
けれども、イロイロアクシデントに見舞われて・・・
結果的には、社会的な地位を『失って』、大学院卒無職(笑)という、奇妙な肩書になるまで落ちぶれてしまうまでに至ったのであるwwww
だが、これが不思議と笑い話として話せるのは・・・
社会的な地位を『失って』、俺は社会的に一般的に「良い」とされる地位にムリをしてでも踏みとどまらなければいけない、といった強迫観念から解放された。
ある種、「人間の優劣感情」から解放されて、『心の自由』を手にしたように思うのだ。
また・・・・
僕は右目網膜剥離を経て・・・
右目の視力が使い物にならなくなった・・・・
右目を開けても、母がいまどんな顔をしているのかが判別できないことを理解した瞬間に、悔しくて情けなくて涙したのを覚えている。
だが・・・・
右目の視力を『失った』ことで以下のことを理解した。
「世の中の人は十中八九、何かしらの障がいを持っている可能性がある。それこそ僕みたいに普通を装ってても右目が見えない人だっているはずだ。各々個人差があることを心底理解することができた」
仕事でも少林寺拳法でも家庭でも、どういった場面でも、「相手の持つバックボーンを慮り、相手のペースに合わせる」という『心の余裕』を手にしたように思う。
そして・・・・
僕の心を大きく変えた事件は・・・・
父が僕の目の前で突然亡くなったことだ・・・・
「自らの手で」だった・・・
父の辛苦に気づいてあげられなかった自分の罪深さに苛まれる毎日・・・・
優しくて大好きだった父を突然『失った』悲しみ。
悲しみに試される夜を、何度越えて来たかわからない・・・・
昼下がり、カーテンから木漏れ日が挿すと・・・
事故現場の光景がフラッシュバックする・・・
その場でヘタレ込んで過呼吸になってしまう始末・・・
そして、一度マブタを閉じれば・・・
優しかった父がふと現れる。
夢から覚めて、もはや現世で彼に会うことは叶わないことを悟り、涙が止まらなくなってしまう・・・・
彼の突然すぎる逝去は、僕の心に大きな爪痕を残した・・・
生涯、このキズは癒えることはないだろう・・・
・・・・・
ここで話は終わらない・・・
彼は、自分の老後のために、それなりの財産を蓄えていた・・・
その財産を為すために、とてつもないストレスを抱えて・・・
結局は、その財産を使う前に、彼は突然居なくなってしまったのだ・・・
・・・・・
何とも虚しいとは思わんか??
漠然とした将来のために、馬車馬の如く働き続けた彼、彼はあまりにもマジメに疾走し過ぎて、志半ばで精魂尽き、走り続けた本来の目的(人生を、現在を、楽しむこと)さえ叶える間もなく人生の幕を閉じたのだ・・・・
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これを「戯曲」と呼ばずして何と呼ぶべきか??
父の哀れで数奇な生涯を目の当たりにして、気が狂いそうなくらいの不敵な、何とも形容しがたい感情が僕を襲ったのを覚えているよ・・・・
僕は・・・・
父を『失って』・・・・
「将来に対する不安というものが実態のない、取るに足らない観念であることを悟った」
人間はホントにいつ死ぬかわからんのだから・・・
漠然とした将来についてあれこれ考えるんでなしに、「現在を生きることを優先する方がよっぽど価値のある行為であることに心底気づくことができた」
生きることへの不安や恐怖、そういったことが実態のない「マヤカシ」であることを自覚できたのである。
『心に巣喰うムダな執着を大きく減らすことができた・・・』
・・・・・
・・・・・
読者よ・・・
そろそろ、僕が何を言いたいのか察しておくれ・・・
人間の心が変わるタイミングというのは・・・・
『己の最も大切なものを失ったときなのである・・・・』
それは「自分から捨てることのできるモノ」程度のものではまったく足りない・・・・
生涯自分に帰属し続けるはずだったもの、ずっと自分の傍にいるのが当たり前で絶対に離れるはずがなかったと思うモノ・・・・
これらを不慮に奪われ、失ったとき・・・・
『人の心は、円熟味を増す・・・・』
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大切なモノを一気に失って、苦しんで・・・・
悟った持論だ・・・
「得れば失い、失えば何かを得る・・・」
これは、人生において苦しみに囚われない魔法の思考法であると同時に、世の中の摂理に他ならない・・・・
簡単には人は変われない・・・
変わりたければ・・・・
それ相応、何か大切なモノを失う必要がある・・・
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結論だ・・・・
「心が変わるには・・・・ 心の進化を得たければ・・・」
「耐え難いレベルの、喪失の経験が必要だ・・・・」
そして・・・・
「その経験を経るためのタイミングと、そこから立ち直るまでの時間が必要だ・・・・」
生半可な痛みでは足らない・・・
己の半身をゴッソリ奪われるような感覚の喪失を味わい
胸が張り裂けるほどの悲しみに四六時中咽び泣き
罪の意識に苛まれ続け
大好きだった大切な人の面影をこれでもかというくらいに踏みつけて
歩き続けるのだ・・・
・・・・・・・
人生に対する絶望感や徒労感、そして悲しみ・・・
身体に張り付くあまねく負の感情を
抱きしめて、歩き続けるのだ・・・・
・・・・・・
・・・・そうすれば、いつか気づくはずだ・・・
自分が「変わるだの変わらん」だの・・・・
そういった悩みが如何に些末なモノであったかということに・・・
そういう、「自己に対する執着」が如何に無益であったかということに気づくはずだ・・・・
そう・・・・
きっと、当初思い悩んでいた時期の自分では想像がつかなかったほどに、己の心が円熟味を増していることだろう。
だから・・・・
「変わる変わらん」に執着できるほどに、甘ったれられているうちは・・・
自然の摂理に逆らわず、じっとしていなさい・・・・
ただただ、時を待つのだ・・・・
『喪失の運命』を待て・・・
そして、時が訪れ・・・・
その『喪失の運命』がもたらす、『悲しみの豪雨』に撃たれ続けろ・・・
耐え難い痛みに、ただただ苦しみ悶え続けろ・・・
『悲しみの雨』を精神力で乗り越えた先に・・・
初めて、『心の進化』を見込めるのだ・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
「ムリに変わろうとするな・・・」
「時を待て・・・・」
「今は眠れ・・・・」
「人は・・・・」
「必ず、喪失の運命に出くわす・・・」
「変わらざるを得なくなるその時まで・・・・」
「今は眠れ・・・・」
以上
景嗣