「ダメな自分・・・変わりたいよ」と願うアナタへ その1
どーも、景嗣です。
なんでかなぁ・・・
年上、年下関係なく、人生相談を受ける機会がホントに多いのよ。
(僕より年下は能天気なのが多い。深刻そうに人生相談を持ち掛けるのはたいていの場合、30代そこいらの年上が多い傾向にある・・・)
俺、26歳やで?? 人生相談を持ち掛けるにはあまりにも若すぎるくないか??wwww
それはさておき・・・
「今の自分はホントにダメダメ。同んなじことの繰り返しだよ・・ 私ってホントに学習能力がないな・・・ どうやったら変われるかな?? 変わりたいよ・・・・」
まぁ、そう言われて「知らんわい!!」と言いたくもなるのだが、そう言ってしまっては身も蓋もない。
何かしら背中を押してやれるような助言を致したいとも思うわけで・・・・
とはいえ、一口に納得させるのも難しいトピックであるのも確かだ・・・
少し長ったらしくなるかもしれんが、「今のダメな自分から変わるにはどうすればいいのか」ということについて、ダラダラとしゃべって行こうではないかと思う。
以下に述べることは、あくまで僕の主観的な考え方に過ぎない。
( ´_ゝ`)フーンくらいの心つもりで見てやってほしい・・・
・・・・・
・・・・・
「変わりたい」ねぇ・・・・
僕の経験則に基づく話になるから、すべてのケースに当てはまるわけではないので、ホントに気休めに聞き流してほしいのだけれども・・・・
「変わりたい」という相手に対して、僕は、「抽象的な教え」をしゃべるのではなく、敢えて「具体的な行動」を最初に指し示してやるのさ。
「アイツとの関係から手を退け」
「○○を訪ねてみよ」
まぁこんな感じで、具体的な指示を与えることにしている。
僕の指示を聞いた相手の行動パターンはおよそ2パターンある。
「結果はどうであれ、とりあえず行動に移して、僕の指示を守ろうとする者」
そして、「僕の指示を聞いているようで、実際には僕の言っていることを無視して、恣に行動する者」
まぁ、聴くか聴かないか、という至極当たり前な分類分けにはなるものの、この分類分けは思った以上に一定の気づきを与えてくれるものであると思う。
「変わりたい」と半泣きで僕にしがみ付いているわけだ。十中八九、僕に全幅の信頼を置いているという前提で、以下に検討していきたい。
読者諸君はこういう格言を聴いたことはないか??
心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる・・・・・
よく、Twitterとかの名言集で流れてきて、大量リツイートされたりする「ありふれたコトバ」として認識されているのが一般的であろうが・・・
まぁ、レッキとしたヒンドゥー教の教えの一つであり、あらゆる宗教の教えにも似たような教訓が込められることが多い考え方である。
ある種の「理」と捉えておいていただきたい。
実は、僕は「具体的な指示」を用いて、上記の「理」を逆用し、相手の心理を推し量っているのである・・・
説明しよう。
上記の教えから・・・
論理的に導けることは・・・
「心が変われば、人生が変わる」ということ
また・・・・
『人生が変わらないのは、心が変わってないから』ということでもある。
・・・・・・
頭のイイ人は、もう察しがついているのではないか??
『人生が変わらない根本原因は、心が変わっていないこと、ただそれだけなのである』
それを踏まえて、僕は「敢えて」上記教えの中間あたりにでてくる「行動」を教えてやるのだ。
思うに、これによって、「相手の心がいまどういう状態か」を測ることができる。それを以下に説明していく。
心の変わっている者は、即座に行動に移す。
ただ、変わり方がわからんだけで、変わるためのヒントをもらったらすぐにでも行動に移し、僕の指示を遵守する。
実はこういう者に出逢うのは、ごく稀なケースである。
なぜなら心の変わっている者は他人に言われずとも、黙々と変わるための行動を自ら考えて履践しているからである。
そして・・・・
「変わりたい・・・ 変われない・・・」と苦しんでいる者ほど、「具体的な指示」を与えると・・・
「でも・・・今回のケースではこうだったよ・・・」とか
「えへへ、ダメとはわかっていても、やっぱり手を出しちゃった・・・」とか
僕の指示を無視する者が多い・・・・
「今日も誘惑に負けちゃった・・・ 私は弱い人間だね・・・」
それは違う・・・・
「弱い」というコトバを使って逃げてはいけない・・・
「その者は変わりたいとは言いながらも、本当はまったく変わろうとしていない。ただそれだけだ・・・」
「その原因は、詰まるところ、心が変わっていないからである・・・・」
少し、キツイ言い方になるかもしれんが・・・
この者は高らかにこう僕に宣言しているのである。
「私は、当分は何を言われても変わりません。でも、変わろうとしている(偽りの)姿勢を見て私を憐れんでください。慈しんでください。とにかく枯れた私に愛情をください」
(ここに付言しておく。上記の表現は決して相手の人間性を侮辱するものではない。断じて。その者はその者で苦労しているし、その者の苦しみを僕は知っている。断じてその者を侮辱するつもりは毛頭ない。ただ、かような人間心理のシステムの浅ましさに、虚しさを覚えているだけだ。恨むのならその人間心理のシステムを恨みたいのだ・・・・)
かの有名な哲学・心理学者、アドラーは、こういう者に対して、「アナタは変わらないという決心をしている」とおっしゃった・・・・
「優柔不断なフリをして、相当程度に頑固な本性」というのが実態なのである。
なかなか、他人が手を付けるのに手間のかかる状況であることを理解してほしい。
また、
「変わりたい」という感情を道具にして、他者から憐れみを乞う、乞食なようなものである・・・
「愛情に飢えてるだけで、本当は変わる変わらないなんてことはどうでもいい、という歪んだ心理状況にあること」も自覚して頂けたら幸いである。
そうさなぁ・・・
正直「今は」何もしてやれない。
「真に心が変わるまでは・・・・」
・・・・・・
・・・・・・
さてさて・・・・
「変わりたい」と嘆く人の概ねの心理メカニズムを語らせてもらった。
人間心理とはなかなかに奇なるものである・・・
ただ、このままではあまりにも救いが無さ過ぎて、味気ない。
少林寺拳法の開祖、宗道臣はかつてこう言った。
「絶対に死ぬまでは負けたんでない、というのがワシの信念である」
「生きてる間は大丈夫。生きてる間は負けたんじゃないんだよ。命さえあれば、どんなことがあったって、いつかは立ち直れるんだ」
・・・・・
人生に絶望した僕自身。
この動画の開祖のコトバにどれだけ救われたかわからん・・・
裏を返せば・・・・
「なぁに、心が変わってないだけじゃないか・・・」
「どこかのタイミングで心さえ変われば、どんなことがあったって、人間変えられると思わんか??・・・」
大丈夫・・・・
今すぐでなくとも・・・
人間変われるから・・・
というわけで、ここから先は、「人間が変わる」ということに関して、「救いのある話題」を取り上げて話をしていきたい。
何度も言うが、あくまで僕の経験則に基づいた知見を語るだけになる。ホントに気休めに見ていって頂けたら幸いなのである。
・・・・・・・
・・・・・・・
と思ったが、そろそろ文字数がエエ具合になってきた。
本稿を「その1」と位置づけて、「救いのある話題」については、次回「その2」で言及することにしよう。
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・・・・・・
「救い」ねぇ・・・
これもまた無責任な発言かもしれぬなぁ・・・
「自分を救えるのは・・・」
「自分自身以外に存在し得ぬのだから・・・」
「僕は、その自救行為を援護することしかできぬというのにな・・・」
続く
景嗣
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