「蛇の業 (カルマ)」について

どーも、景嗣です。

 

みなさんお久しぶり。

 

イロイロ用事が立て込んでまして、ブログの更新が後手に回ってしまった。申し訳ない。

 

さてさて、今回も取り留めもない話をダラダラとしていこうと思う。

 

・・・・・・

読者諸君は知っているだろうか。

 

旧約聖書に伝わる「アダムとイブの物語」を。

 

 

物語の舞台は「エデンの園」である。

そこには、あらゆる植物・樹木が命を宿していた。

あたり一面が緑で生い茂っている。一言で表現するなら「楽園」といったところであろう。

 

エデンの園の中央には、「善悪の知識の木」が生えていた。

「善悪の知識の木」の枝葉の先には、「善悪の知識の実」が成っていた。その外観、香りは食欲をそそるものであり、実際に食用に適する実であったそうな。

その隣には、「命の木」も生えており、その枝葉の先には「命の実」が成っていた。

 

 

エデンの園には、「アダムとイブ」が暮らしていた。

アダムは人類最初の男であるとされ、イブは人類最初の女であるとされた。

両者は「理性」を持ち合わせていなかった。

何か思索にふけることもなければ、「羞恥心」といった感情も起こらないわけである。

両者とも全裸の状態で、それを恥ずかしがることもなく日々淡々と生活していたわけだ。

 

主なる神は、アダムとイブに対して一つだけ忠告をしていたことがある。

「エデンの園の中央に生えている『善悪の知識の木』。その木に成る果実を決して食してはならない」、と。

アダムとイブは、その真意を心底理解することはなかったものの、その忠告を守るようにした。

 

 

あるとき・・・

「蛇」が現れる・・・

 

その蛇は、イブに「善悪の知識の実」を食べるように唆すのである。

何を血迷ったか、アダムとイブは、「善悪の知識の実」を口にしてしまうのである。

 

その瞬間・・・

アダムとイブは、お互いが全裸の状態でいることを恥じて、植物の葉などを使って自分の身を覆い隠し始めた。

どうやら、その果実に因って「眠っていた理性が」目覚めてしまったようである。

 

 

主なる神はその様子を見て、大変憤慨した。

神は、「蛇」を腹這いの醜い生物にし、女には出産の痛みと苦痛を与え、男には過酷な労働苦を与えることにした。

 

更には・・・

神は、「命の実」をも食べられてしまうことを恐れて、アダムとイブをエデンの園から追放することにしたのである。

いわゆる「失楽園」というやつである。

 

 

・・・・・

思うに、この物語からは種々の教訓を得られる。

「人間は『理性』を授かることによって、苦しみを抱えることになった」というのも、この物語から得られる教訓のうちの一つであろう・・・

多くの俗世の民は、この物語から何かしらの教訓を見出そうとするであろう。

 

 

だが、僕、景嗣は少し違う・・・

 

僕は、この物語を聞くたびに、こう思うのだ・・・・

 

「なぜ、蛇はアダムとイブに『善悪の知識の実』を食べるように唆したのだろう・・・」

 

旧約聖書の教えやら通説では、この物語の蛇は「絶対悪」として観念される。

ときには、「この蛇はサタン (悪魔) の化身であり、アダムとイブをバッドエンドに陥れた」と、淡白に説明されることが多い。

 

この物語において、「蛇の思惑」自体は、そこまで重要視しなくてもいいのかもしれない。

ただ「害意のみが介在していた」とさえ説明すればよく、それ以上何かしらの思索を行うことに何らの実益がないことを示唆しているように思う。

 

 

だが・・・

気になってしまう・・・

 

もし仮に、アダムとイブに「善悪の知識の実」を食べるように唆したのが、蛇の独断であったとしたとき・・・

 

「蛇は何を思っていたのか・・・・」

 

意味もなく、この蛇に感情移入したくなってしまう・・・

 

 

「善悪の知識の実を食わせて、その勢いで命の実をも食わせてしまおう。そうすることで人類を根絶やしにしてやる」

・・・さもありなん・・・・

だが、それならば、いきなり「命の実」を食わせた方が早い。

 

まぁ、こんな感じで、あれよこれよと想像してみるのだ・・・

上記のケースでは、「害意ゆえに」であるし、その他にも「上司の命に逆らえずやむを得ず」というバックグラウンドもあるのかもしれない・・・・

読者諸君もイロイロ想像して頂きたい。百人いれば百通りの解答が可能であろう・・・

 

 

そうさなぁ・・・

今日の僕ならば・・・

この物語の蛇に、以下のように感情移入するであろう・・・

 

 

「アダムとイブよ。確かにエデンの園でノンビリ暮らすのは楽であろうし、さぞ気持ちのイイことであろう。確かにキミたちは自由である」

 

「だが、その『自由』というのは、『主なる神様が創った世界、ルールの中での自由』である。安心安全は担保されるものの、理性は失い、エデンの園という狭い世界の中に幽閉され続けるも同義である」

 

「いわば、『大きな鳥かごの中に閉じ込められている状態だ』。外敵からも襲われはしないし、ある程度なら走り回って遊べるであろう。しかし・・・」

 

「キミが心底欲するであろう『何者にも拘束され得ぬ自由』は手に入らない・・・ 鳥かごの中の鳥は、どこまで飛んでも飼い主の監視・拘束からは逃れ得ぬ・・・」

 

「だってキミたちは『理性』を奪われているのだろう?? 神様の言うことを吟味する力もないまま、ただひたすら『イエス、マスター』としか言えないのだろう?? 自己の意思決定に基づいた人生を歩めないとは、なんと悲しいことか・・・」

 

「僕はキミたちに『知性と理性』を与えたい。その『知性と理性』を用いて、キミたちの現状の是非をキミたち自身で自問自答してほしい・・・」

 

「きっとその過程で『見たくなかった、知りたくもなかった現実』を思い知るかもしれない・・・・ 傷つくかもしれない・・・・」

 

「だが・・・」

 

「片面的なモノの見方に囚われているキミを解放してあげたい・・・」

 

「さあ、善悪の知識の実を喰らいなさい・・・ アダム、イブよ。この先イロイロと困難に見舞われるかもしれないが、真に自由になりなさい・・・」

 

 

・・・・・

まぁ、結果論・・・

神の思惑・戒律に背く行為であるため、蛇もアダムもイブも罰を与えられてしまったわけで・・・

全体的に見ると、この蛇は悪者かもしれないが・・・・

 

もしかしたら・・・・

この蛇、当該行為に至る動機は・・・

楽園に軟禁されしアダムとイブに対する「思いやり」があったのかもしれない・・・

 

 

何故だろう・・・・

「蛇は、アダムとイブの自由を願って、要らぬお節介をしてしまった。心底悪気はなかったんだ・・・」

何故だか、そう思いたくて仕方がないのだ・・・

 

 

そうか・・・

なるほど・・・・

 

僕の人生が「蛇」だったから、かもしれない・・・・

 

 

僕の人生、転落しきった・・・

牙は鋭利に生え渡り、薄気味悪い湿気を帯びた鱗を全身に纏い、眼は完全に誰も寄せ付けぬ狩猟者の眼である。

改良の余地もない・・・

あとは静かに心臓が止まるのを待ち、地獄に堕ちるだけだ・・・

 

 

ただ・・・

こんな僕でさえ・・・

誰かの幸せを願うのはいけないことなのか??

 

 

自分と同じ轍を踏ませないように他者を導くことは、そんなにも罪なのか・・・・

 

確かに、他者が直面する課題に土足で上がり込んで介入していくことは、あまりイイことではないように思う・・・

 

 

だが・・・・

それを罪だとするならば・・・

 

僕には、何らの救いを享受することさえ赦されないのか・・・

 

 

神よ、教えてくれ・・・・

 

誰からも愛されぬ「醜い蛇」は・・・

誰かを想い、愛することさえ、赦されぬというのか・・・

一切の救いさえ、賜ることはできぬというのか・・・

 

 

ならば、なぜ・・・・

僕のような「醜い蛇」に命をお与えになったのか・・・

「醜い蛇」が苦しみ悶える姿を天空より眺め、ほくそ笑むためか・・・

そうだとするなら、やはり僕はアンタを軽蔑するよ・・・

 

 

・・・・・

少し変わった見方であろうか??

物語を深読みし過ぎた、一方的で過激な見方であろうか??

 

 

何とでも言え・・・

 

 

・・・・・

僕は・・・

 

この「醜き蛇」に真に課せられた「業 (カルマ)」を・・・

 

 

『決して理解され得ぬ孤独』であると考える・・・

 

 

そう思えて仕方ないんだ・・・・

 

 

・・・・・

・・・・・

本日も誠につまらない記事を最後まで読んで頂き感謝する。

次回記事も読んで頂ければ幸いである。

 

 

 

「俺は蛇・・・」

 

 

「神に見放されし異形・・・」

 

以上

景嗣

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