お金の不思議について考えてみる その2

どーも、景嗣です。

 

本稿は、「お金の不思議について考えてみる」シリーズの「その2」に該当する。

本稿を読み進めるにあたり、事前に「その1」を読んでおく必要があろう。

下記リンクに「その1」の記事を添付させて頂く。各自確認されたい。

お金の不思議について考えてみる その1

 

さてさて・・・・

前回記事では、「どうやらお金は鮮度があり、腐らぬうちに市場に手離した方が良いらしい」という趣旨のことを書かせて頂いた。

 

ただ・・・・

「むやみやたらにお金を手放したとて、次に新鮮なお金が入ってくる保証がないではないか!! オチオチお金は手離せぬ」

 

こういう意見もある。

 

同じようにお金を使っても・・・・
お金を倍にして手元に戻してくるやつもいれば・・・
元本を戻すのが精いっぱいで、家計が火の車になっているやつもいる・・・

両者に何の違いがあるのか・・・

 

うーむ・・・ この問いに関して明確な解答を用意できる自信がない (とゆーか、そもそも万人の共通理解になり得る解が存在する問いであろうか?? これは??)

だが、個人的な見解として推察することくらいはできよう。

 

以下に述べることは飽くまで僕の個人的な見解に過ぎない。( ´_ゝ`)フーンくらいの心づもりで見ていって欲すぃいい。

・・・すぃいい・・・

 

「景嗣くん、世の中には2種類のお金が存在するんだよ。『生きたお金』と『無価値なお金』さ。2種類の区別は単純明快さ。『生きたお金』は、こちらが支払った以上のお金が『感謝の念』と共に帰ってくるんだ。その『感謝の念』が次の『ありがたいお金の繋がり』を引っ張ってきてくれるんだ。『無価値なお金』は・・・そうだね、賭博に使うお金とかはまさにこれに該当するよ。基本的に帰ってこない。たまに帰ってくることもあるけど、いずれも何らの『感謝の念』が込められてなくて、基本的に次のお金の繋がりは生じない。味気ないものさ・・・・」

 

少林寺拳法、塾講師、大学OB・OG交流、前職の仕入れ先、個人的なコネ・・・

僕は、ありがたいことに企業のお偉いさん、それこそ社長身分の方とプライベートでお酒を飲む機会が多い。

大抵の場合、社長というのは、お金に関する「ポリシー」というか、「フィロソフィー」を堅持していることが多いように思う。大抵の場合、そこには各社長の独自のコダワリが垣間見える。

 

上記のコトバは、社長と、お金に関する話をするうえで、だいたい共通して出てくる見方である。

 

お金の『生きている』『無価値』は、およそ長い目で見て、次のビジネスチャンスに繋がり得るかどうかという部分が意識されているように思う (コトバのチョイスが難しい。どこかしらヤラシサが醸されてしまう。社長らのコトバを生で聴く分にはちっともヤラシサなぞないのだが・・・)。

 

ただ、少し面白いと思うのが・・・

やはり、次のビジネスチャンスに繋がるか否かというのは、結局のところ、「お金の使途」、すなわち「どのようにしてお金を『手離すのか』」という部分がカギを握っているように思う。

 

情報化社会の昨今、「稼ぎ方のノウハウ紹介!!」みたいな文言を使った顧客誘引を行う広告が散見される。

「お金をつくる仕組みを教えてあげまっせ」というありがた迷惑な謳い文句だ。

だが、ここまで話が進むと、それは「小手先芸に過ぎない」ように思えてならない。思うに、それらは得てして、お金を生む「本質」には辿り着いていない思考である。

 

お金を生む「本質」は・・・・

程度の差はあれ、やはり「手離すこと」から始めなければならないらしい。

 

話を戻そう・・・

『生きるか』『無価値か』

社長のコトバの端々から、キーワードが見えてくる。

 

『感謝の念』が乗っかって、帰ってくる・・・

『感謝の念』というワードが何となく気になる・・・

 

でも厳密に考えてみると・・・・

少し変な感じがある・・・

 

市場プレイヤーは誰しも、「お金を欲する亡者」だ。

売り手による役務提供、その代価として買い手によって支払われる金銭、この金銭に関して売り手側は大なり小なり感謝の意を示すであろう。

ここまでの一連の流れでは少なくとも売り手側には感謝の念がどのケースでも生じているはずなのだ・・・・

なのに・・・

その感謝の念は、何かしらの作用(??)で『生きたり』『無価値になったり』するらしい。帰ったり帰らなかったりするらしい・・・

 

「ありがとう!! アナタにはホント感謝している!! お礼に商品とは別に何かを差し上げます!! 僕の気持ちです!! 個人的に感謝してますから!! 利害なんて関係なしっ!!」

商売の現場では上記のようなくだりは珍しい。むしろ「商品自体が感謝の念でっせ。はい、手打ちっ」ってのが普通だ・・・

 

お金に「帰る帰らない」があるのも感覚的にわかるし、その反面『感謝の念』というキーワードをたぐるとキモチ悪い違和感を感じる。

 

(そもそも、僕はあまり「お金」に執着のない人種である。お金のやり取りに関する考え方に疎い。僕の感覚自体が常識離れしている可能性が高い。僕の恩師の塾長によく言われたよ。「オマエは学者や。商売には向かへん」とwwww)

 

 

ここから先の話は、きっと賛否両論分かれる話になると思う。

また、僕の推察の濃度が極めて濃くなる。

「そうかもしれないね」くらいの軽い気持ちで見てほしい。

 

面白いのが・・・・

僕に出逢ったあらゆる社長は・・・

「景嗣くんね、お金ってのは『寂しがり屋』なんだよ。たくさん群れを為しているところにこぞって集まるものなのさ・・・」

「最近は、お金に失礼なやつが多い・・・」

「お金は誰かに感謝してもらいたい存在なのさ。そりゃそうさ、俺らと同じでお金だって誰かの役に立ちたいわけさ。だから、真にお金を欲する者のところに流してやれば、そのお金は感謝されるのさ。そうしたらそのお金は『あの人の財布の中に居れば、僕は感謝してもらえる人に出逢えるんだ!!』と笑顔満点で俺の財布に戻ってくるのさ。しかも、仲間を連れてね・・・ ソイツたちをまた必要とされるところへ流してやるのさ。その繰り返しよ・・・」

 

これが面白いのよ・・・・

社長というのは、大抵の場合、お金を「我が子、あるいは近所の可愛らしい童」のように、扱うのだ・・・・

それはもはや、自分の私腹を肥やすためのツールとして重宝するという域を軽く超えている。

「人間的な愛情を注ぎこんでいる」

 

もう少し踏み込むと・・・

「お金という物質に魂が宿っていることを信じて疑わないのである」

 

そして・・・・

愛おしい「お金」が笑顔になるような方向性ばかりを嬉々としてしゃべりまくるのだ。

「そうやなぁ・・・ お金って返ってくるもんなんやなぁ・・・ って実感したのは、俺50歳、晩年になってからやなぁ・・・」

 

なんだろう・・・

社長らのコトバのテンションからするに・・・

私腹を肥やすことに焦点を当てるのは二の次のようなイメージだ・・・・

 

こういう人たち程「お金の亡者感」が薄いのだ・・・

何とも・・・不思議な感覚を禁じ得ない・・・

(まぁ、お金のことを愛おしそうに喋りまくっている時点で、亡者かもしれんが、ヤラらしさはゼロに等しい・・・)

 

 

もしかすると・・・・

カギを握るのは・・・

 

市場プレイヤーたちの感情、それ自体ではなくて・・・

「支払ったお金自体がどれほど感謝されて、そのお金がどれほど自己肯定感を得られて笑顔になれたか」

ということになるのであろうか・・・・

 

わざとらしいくらいの擬人法も、ここまでくれば気持ちがイイのうwwww

そんなことを、ふと推察してしまったわけさ・・・

 

・・・・

さてさて、文字数がそろそろヤバいことになってきた。

本稿を「その2」と位置づけて、次回「その3」を投稿することにしよう。

もう少しだけ、しゃべり足りていないのだ。

 

舌の滑りがイイうちにイロイロとしゃべってしまいたい。

もう少しだけ、若輩者の僕に付き合って頂きたい。

 

・・・・

(ボーッとタイピングしている・・・)

「っ!! うっかり、投稿ボタン押してもうたああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

はい、そんなわけで、本稿は少しばかり早産になってしまったとさ。

HP上では、投稿済みになってしまったが、SNSシェアはとりあえず、推敲したあとにしようかね・・・・

 

うっかり、景べぇですwwww

続く

景嗣

 

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