お金の不思議について考えてみる その1

どーも、景嗣です。

 

僕は世の中の不思議について考えることが好きだ。

景嗣放浪記の常連読者にとっては、もう自明のことであろう。

 

今日も世の中の不思議について、少し穿った見方で何かしらの意見をテキトーに述べてみよう。

 

そうだな・・・・

 

「お金について」はどうだろう・・・・

 

僕は、生まれてこの方25年しか経っていない若輩者である。

正直、「お金の何たるか」について語るには、時期尚早な器である。

 

だが、お金とはこの世に生まれて俗世に住まう限りはお付き合いせねばならぬ存在。

裏を返せば、「25年間もの間、何かしらの形でお金とお付き合いしたことのある青年」という見方もあり得る。

 

僕のような若輩者の意見表明であったとしても、読者にとって何かしら思索にふけるための教材を提供できるような気がしなくもないわけだ。

まぁ、僕個人の独善的な見方では心許ないであろうから、人生の先輩方のありがたいおコトバなども引用しながら、話を進めさせて頂く。

 

以下に書き記すことは、飽くまで僕の拙い実経験に基づく個人的な見解に過ぎない。( ´_ゝ`)フーンくらいの心積もりで見ていって欲すぃいい。

すぃいい・・・・

 

 

「お金とは『浴槽に溜まりゆく水』と同じである。浴槽に水を溜めるだけでは、その水はいつしか腐ってしまう。その水はおそらく主に害しか及ぼさないであろう。肝要なのは、『水の出口』である。溜めた水は腐らないうちに、出さねばならぬ。その水は排水溝を通ってやがて『次の主』のもとへ辿り着く。価値ある大量の水を不特定多数の『次の主』へ分配するわけだ。その恩恵を受ける者は次々に歓喜し、前の主に感謝の意を示すであろう。これがお金の本質である」

 

 

「水は腐れば一目でわかる。お金は腐っていることが一目ではわからない。だからこそ、人はお金を溜め込むことばかりに注力してしまう。思い切って手離すのだ、腐りかけのお金を。そうすると大事なことが見えてくる。『次の新鮮な水を入れるための蛇口のバルブを捻るインセンティブができること』である。これは、バルブを捻る人間の心理的なハードルの高低という観点に終始しない。腐った満タンの水の上から新鮮な水を流したとしても、その水は溢れいくのみである。結局のところ、まずは『手離すこと』から始めなければならない。これがお金の本質である」

 

これは、ある著書に書いていた論旨を僕のコトバで書かせて頂いたものである。

論理的に考えても、あるいは経済学的に考えてみても、上記の見方はド正論である。

 

貨幣経済の昨今、経済の本質とは、対価交換(売買行為) → 市場プレイヤー各自の効用の獲得 → 富の再分配 →(繰り返し) であるように思う。このループによって、価値の円滑な流動が起こり、やがて経済全体が潤うのである (簡易的な説明で申し訳ない。随分頭の悪い説明をさせて頂いている。実務上こんなには簡単にはうまくはいかない。主要論点は度外視させていただく)。

「経世済民」とは、よく言ったものだ。

 

お金とはこの工程のツールである。

論理的に、お金を「吐き出さない」ことには何も始まらんのである。

みな、お金を溜め込んだのでは、経済のブラッドストリームが停滞し、やがて故障する部位が出てくるのは自明の理であろう。

 

そのことが現実問題で起こっているように思う。

少し例を取り上げてみよう。

 

2020年東京五輪開催のおかげもあるのか、各業界の受注量がめざましく右肩上がりで上昇している。

日本経済全体が潤ってくるであろう。

そんなことはない・・・

企業の売り上げ見込みは鰻登りであるにも関わらず、いつまで経っても個人消費が冷え込み気味である・・・・

これでは、個人家庭向けの商品を取り扱う企業さんは長期的には、安定した売り上げを前向きには見込めなくなるであろう。

だとすると、それを作るための部品メーカーもオチオチ腰を据えてはいられない・・・・

 

こういう内容の新聞記事やニュースは良く見るであろう。

 

「企業だ!! 企業が僕たち労働者にお金を支払わないからだ。景嗣の言うとおり、企業がお金を溜め込むことで私たちが不幸になっているんだ!! ベースアップだ!! 組合総上げで乗り込むぞ!!」

 

アホか、コイツらwwwww

思考停止している、血の気だけが多い道化だな・・・

 

「なぜ、企業はお金を支払わない??」

ただでさえ、企業は、会社材の安定的な支払い、変動費の支払い、税金の支払いの追われているのだ。特に「締め付け」の厳しい昨今では、その資金繰りの厳しさを想像するに難くない。

 

「僕は『将来の』生活費のことも考慮に入れると。月30万は欲しいですね。ま、正社員ですから、僕」

「私たち『100歳まで』生きるんです。なので、定年後それを賄える退職金が欲しいのです」

 

『将来の』??

会社に甘えてよくもまぁ、蒙昧を・・・

会社にブラ下がって、思考停止のまま余分な旨味を貪る輩に『将来』を語る資格はない。早々に帰れ。

 

『100歳まで』??

100歳まで生きて何が楽しいのか??

体のアチコチ自由の利かぬ、老いぼれになってまで、何がしたいのか・・・ わかりかねる・・・

そのための大金を平気で踏んだくろうとする、その野蛮な心持ちにも吐き気がする。早々に帰れ。

 

・・・・

上記のコトバは僕の主観である。僕に何か異論を唱えたい方もたくさんいらっしゃるであろうが・・・・

上記のような労働者の要求にも逐一応えるのが企業である。当然どのような事態になっても、会社規則に則って手続きを経た社員には金銭を分配せねばならない。

 

・・・・

そのために企業は余分なお金をプールするのであろう・・・・

 

・・・・

浴槽に腐った水が溜まる背景には・・・・

「必要かどうかもわからないけども、余分に浴槽を溜めておきたいのです」という、『飢えた呪いの声』がそこら中で経を唱えているのである。

 

「欲しい、欲しいと乞い願うばかり。恩恵を享受する側の我欲が何と突っ張っていることか・・・・」

 

 

僕自身、問題とすべきは、「どこにお金が溜まっているのか」ではなく、「なぜ、お金を溜めたがるのか」であると思う。

 

 

「景嗣さん、そんなの言っても、将来結婚して子どもを作ったらさ、結構なお金が要るじゃない。それに物価も高いしさ・・・」

 

なるほど・・・

これも阿呆の類か・・・

 

なぜ、物価が高いか・・・

その答えは、本稿に前述してある。

二度も言わせるな。

ヒントだ。企業ももう少しマシな人材を雇え。

 

結婚して、子どもをつくるに相応の経済力がある者だけ結婚すりゃエエやろう。何もお前がムリして結婚せんでもエエやろがい。

「人と同じ幸せをムリに追いかけても幸せにはなれんよ」

これは断言させていただく。

僕の脳ミソの中が知りたければ、下記リンク記事を参照されたい。

「幸せ」の形とは

(↑記事は絶対に読者に損はさせない記事である。僕が書いた記事の中でも渾身の一作だ。本稿を読んだ後でもいいので是非参照されたい・・・)

 

 

「現代人はムダな欲を大爆発させ過ぎるあまり、『貯蓄したいという不安』に苛まれ過ぎている」

 

もしかすると、存外・・・

みな、各自それ相応の「身の丈に合った」生活レベルを確立し、最低限度の欲張らない生活を心がけたならば・・・

経済のブラッドストリームは円滑に流れ始めるのかもしれない。

やがて、その血流は脈々と隅々まで行き渡り、経済の機能が正常化するかもしれない。

 

なるほど・・・

「煩悩を滅せよ」

そういう意味では、仏教とは、経済的にも理に適う教えかもしれんのう。

 

 

だが、ここでひとつ・・・・

「景嗣さんは、『溜まった水を流す』ことばかりにフォーカスを当てている。問題は『次に新鮮な水が浴槽に入る保証』である。『流せば、おのずと入る』そのコンセンサスが確立されなければ、やはり人間はお金を溜めたく思うでしょう。このサイコパスめ!!!」

 

うーん、まぁ、僕はサイコパスっぽい節はある。

否定せんさwww 何とでも呼べwwww

 

だが、同じようにお金を使っても・・・・

お金を倍にして手元に戻してくるやつもいれば・・・

元本を戻すのが精いっぱいで、家計が火の車になっているやつもいる・・・

 

両者に何の違いがあるのか・・・

この法則性を解き明かさないことには、オチオチ金を吐き出してはいられない・・・

 

 

さて、文字数がヤバいことになった。

本稿を「その1」と位置づけて、次回「その2」を投稿することにしよう。

「その2」では、「生きたお金」「無価値なお金」の話をしてみる。

 

お金か・・・・

人生25年、コイツの存在が未だによくわからないが・・・

イロイロ人生の岐路に来た今だからこそ、コイツについて少しだけ考えてみようと思った次第である。

次回もお楽しみに・・・

続く

景嗣

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