神様はどこかに居るかもしれない。悲しみを隠して・・・
どーも、景嗣です。
最近の景嗣放浪記、今までとは違った試みをすることが多いような気がする。
「味気ないニヒリズム」がかつてのブログのコンセプトとするならば
「不器用なユーモア」を醸していきたくなった・・・・
少しの間、僕の不器用なユーモアに付き合って欲しい・・・
さて、今回のトピックは、「神様」について、だ。
「神様」に関するトピックについては、昔景嗣放浪記において記事にさせて頂いたことがある。
基本的に、僕、景嗣は「無神論者」である。
上記添付記事においてオチにさせて頂いているが、もし神様がノコノコと僕の目の前に現れたならば、胸ぐらを掴んで顔の形が変形するくらいブン殴ってやろうと思っている。
そうよな、これがいつもの景嗣よな。
何とも血に飢えた皮肉屋よ。
しかしだ・・・
最近、こういう無機質な、味気ない発想がとんでもなく面白くなくなってしまった。
「神様」の存在に対する捉え方に、少しばかりユーモアを取り入れたくなった。
敢えて、「神様」はいるのかもしれないという仮想設定をつくり、その「神様」が何を考え何を思うのか・・・頭の中で思考実験してみたくなった。
(心の思うまま、夢想・・・・)
「神の手を持つ男」がいるらしい。
その男は、手で触れただけで、あらゆる人間の病魔を治すことができるらしい。
その男の神がかり的な能力は人々の間で称えられ、瞬く間に彼を「神」と崇め奉った。
しかしながら、彼は実在するかどうかはわからない。その真偽について知る者は誰もいない。
ある時、将来ある少女が車に跳ねられ、虫の息で倒れていた。
「神の手を持つ男」は、その少女が不憫で仕方なかった。
「僕の力でこの子を助けてあげたい」
その一心で、彼は彼女を「神の手で救った」
その様子を影から盗み見する者がいた。
仮にAと称しておこう。
Aは難病に罹患しており、余命2ヶ月と医者より宣告されている。
手で触れただけで、車に跳ねられた少女をキズひとつない状態にまで治癒した神がかり的な能力を垣間見たA。
A「あの能力さえあれば・・・・」
当然、Aは彼の能力を狂おしいほどに欲しがった。
Aは反射的に「神の手を持つ男」に駆け寄った。
A「アンタスゲェよ!! なぁ、お願いがあるんだよ!! その手で俺の病気を治してくれねぇかなぁ!! なぁ頼むよ!!」
神の手を持つ男「嗚呼、見てたんですね・・・ 誰にも見られないようにしていたのに・・・ 僕の能力は闇雲に使ってはいけないと言われているんです・・・ 特に人の目に触れたら、知られたら最期・・・ 『世界中の人間が我欲に荒れ狂い、僕の力をめぐって奪い合いが起き、やがて世界が滅びる』と釘を刺されているのです・・・ どうか、ここで起こった一連のことを忘れてくださいませんか??」
A「何言ってんだよ・・・ 減るもんじゃねぇだろうがよ!! なぁ、頼むよ、あの世に行きたくねぇんだよ・・・・ 」
Aは、たまたま近くに通りすがった市民を捕まえ、サバイバルナイフを突きつけた。
A「俺を救えよ。じゃなきゃ、コイツの息の根を止める・・・」
理不尽な選択を迫られ狼狽する「神の手を持つ男」
モタモタしているうちに野次馬が集まってきた。
A「ケッ、結局俺の病気を治してくれねぇのかよ・・・ 使えねぇな・・・ 悪夢を見せてやる」
Aは極度の興奮状態に陥った。
とんでもないことをしでかす。
A「おい、みんな聞いてくれ。コイツは手で触れただけでどんなケガや病気も治す『神の手』を持っている!! 俺が今からこの人質の喉笛をカキ斬る。普通に医者を呼んだんじゃ、確実に助からねぇよな。さぁ、たくさんのオーディエンスの前で救って見せろよ。救わなきゃ・・・・オマエが罪人だぁ!!!!」
Aは宣言通り、人質の喉元をカキ斬った。
血が噴き出る。この人質はおそらくあと数秒で死ぬだろう。
「救えば、僕の神の手の力をめぐって、世界が我欲で支配される・・・ 救わなきゃ・・・・僕が罪人・・・」
・・・・・
彼は彼女の喉に触れ、喉笛のキズを治癒した。
どうしようもなかった・・・・
彼の頬には、一筋の涙が伝っていた・・・・
その場にいたオーディエンスは拍手喝采。
ハッピーエンド???
いや・・真逆だ・・・
その場には、新聞記者がいた。
今回の事件の概要は瞬く間に世間に広まった。
重病に罹患している妻を持つサラリーマンは朝刊を片手に「神の手を持つ男」に今すぐにでも会おうと思い立ち・・・
成人病に苦しむ余命3ヶ月の大富豪は、しきりに大金を用意しだす・・・おそらく「金を使って、自分の病気を優先的に治してもらおう」と企んでいるのだろう。
液晶テレビの向こう側で、「ニヤッ」と笑っているのは、腹の黒い政治家・・・この能力を手中に治め、権力を恣にしたいのだろう・・・
・・・「我先に、我先に」
世界中の俗世の民が、神の手の力をめぐって醜い争いをし始めた。
その後、彼はあらゆる人間の我欲に振り回され、先ほどAに突き付けられたような残酷な選択を次々に迫られることになった。
(紙幅の都合上、Aがとんでもなくマッドなやつになっているが、「神の手を持つ男」が少女を救った現場を誰かに見られた、知られた時点で、遅かれ早かれこのような顛末にはなっているように思う。ちなみにAのモチーフは僕、景嗣だ。数年後に失明という設定にすればわかりやすい。病魔に苦しむ若者というのは、思った以上にタガが外れている。目の前に神の力がブラ下がっているならなおさらだ・・・)
・・・・・
「あの時、少女を救わなければ・・・みんな平和で居られたのに・・・ でも・・・あの時救わなければ、僕が罪人に・・・・」
「僕は・・僕は生まれてきてはいけなかったんだ・・・」
ある時・・・
「神の手を持つ男」は自らの手で生涯を終わらせる。
・・・・
途端に人々は、何事もなかったかのように、病魔に対する諦めもつけ、「神の手を持つ男」の存在を忘れ去った。
ホントに・・・何事もなかったかのように・・・
・・・・
その様子を全て天から見下ろしていた全知全能の神は悲しみに咽び泣いた。
「悲しい。私は悲しい。人離れした神がかり的な力は、得てして俗世の目に触れてはならぬことがよく分かった。私は神だ。罪は憎めど、人は憎まぬ。嗚呼、俗世において人間と共に共存するあまねく神々よ。人々と共存するならば、一切の情を捨てよ。決して人々を助けようなど蒙昧を漏らすな・・・一切の罪悪を捨てよ・・・ それができなければ、俗世にいてはならない・・・ ただただ、孤独に生きるのだ・・・・」
これが、景嗣放浪記流の「神隠し」である。
「神様」はいるかもしれない・・・・
だが、我欲を滾らせている俗世の民と心を通わせてはならぬのだ・・・
「神様」はいるかもしれない・・・・
だが・・・
ある者は、俗世を離れ虚無の空間で静かに孤独と戦い・・・
ある者は、俗世で一切の感情を捨て去ったつもりで、人と心を通わせることを赦されず、隠れて独り涙しているかもしれない・・・
もしかしたら・・・・
今、先ほど読者が道でスレ違った人は、「神様」かもしれない。
だが、そうだとすると・・・
きっと、その人の心の中は・・・
孤独と悲しみで張り裂けそうなのだろう・・・・
フーム・・・
何だか、神様ってのが愛くるしく思えて仕方ないのう・・・
さてさて・・・
この景嗣放浪記の記事を読んだ諸君にひとつ約束してほしいことがある。
「神様」はいるかもしれない。
「神様」に祈っても構わない。
だが・・・・
祈る前も、祈る時も、祈った後もずっと・・・
「神様」に期待しないでやってほしい。見返りを求めないでやってほしい・・・・
「神様」は何よりも人間の我欲がコワくて仕方ないのだ。
見返りを求める者には、当然、神の力を発動させないであろう。
「お願いします」というコトバに、怯えてるんだよ・・・
きっと・・・
祈る時は、ただただ「ありがとう」とだけ、それだけ言ってやってほしい・・・・
この現代に至るまで、神がかり的な力をずっと隠し続けてきたのだ・・・・
「神様」よ・・・もう十分、悲しみ過ぎただろう。
少しでも「ありがとう」と言ってやってほしい・・・・
・・・・
少し変わった角度から見る「祈り」の教訓である。
フーム・・・・
びっくりした・・・・
「神様」が存在する仮想世界から、「祈り」の教訓を得られるとは・・・・
いいものだな。
「不器用なユーモア」とは。
思考に豊かさが生まれるよ・・・・
嗚呼
次は何を夢想しよう・・・
眠いのう・・・
イイ夢、見られるといいな・・・・
以上
景嗣