少林寺拳法 牧野清先生との思い出ー「最も日本人らしくないサムライ」との再会 その1
どーも、景嗣です。
2018年8月19日
僕の思い出の中に生きる人に再会した日。
少林寺拳法 西陣道院 道院長
大範士 九段 牧野清先生だ。
以前、景嗣放浪記において、牧野先生との出会いに関する記事を書かせて頂いている。
「牧野先生ってどんな人なの??」
「景嗣は何故牧野先生と出会えたの??」
上記のような疑問を抱く読者は、下記リンクを参照されたい。
さて・・・・
景嗣放浪記愛読者にとっては言わずもがなではあるが、
僕、景嗣は3年前に右目網膜剥離を患い、右目の視力を限りなく失っている。
無論、ドクターストップがかかり、今後一切の打撃系武道は禁止された。
これを機に、僕は少林寺拳法から縁を切ることにした。
道着も、グローブも、優勝メダルやトロフィーも、トレーニング用品も、少林寺拳法に関連する全ての物を断捨離することにした。
断捨離するのは、「物」に限らない。広義の意味での少林寺拳法に関連する事柄の全てから積極的に縁を切るようにした。
それこそ現在通っている道場からも遠ざかっていた。
それは、「西陣道院」も例外ではない。
僕の魅力を買って下さり、西陣道院の技術研究会に誘ってくださった牧野先生、
当技術研究会で僕に技を仕込んでくださった修羅たち、
厳しくも温かい西陣道院からも徐々に距離を置くようにしてしまった・・・
そして現在、僕は世捨て人。
いつ失明しようが、いつあの世に行こうが、正直なところどうでもいい。
誰も悲しみはしない。僕の命は特に安い。
自分の人生に限りなく無関心な状態である。
むしろ、来るかどうかもわからぬ将来の悪弊を憂うあまり、現在を愉しめないのは、本末転倒である。
僕は少林寺拳法を再開した。
かつての少林寺拳法関係の縁を徐々に戻すことにしたのである。
なんやかんやで少林寺拳法を再開してから、4ヶ月くらい経つらしい。かつてのスピードとキレは戻らないが、何となく昔の感覚を思い出しつつある。
ふと気が付いたのだが・・・
「西陣道院から離れて4年程が経つらしい・・・」
歳老いた僕には、西陣道院のレベルの高さについていける自信は全くなかったし、正直4年も音信不通を貫いた身として顔を出し辛いとも思った。
だが、思い切って顔を出してみようと思ったのだ。
何せ・・・
牧野清先生、今夏で御年85歳になられたとのこと。
そして来る西陣道院技術研究会の終わりに、牧野先生の誕生日会を開催するとの連絡が入ったのである。
単純に「85歳になった牧野先生と会って有難いお話を賜りたい」という気持ちもあったのだが、「牧野先生の技を盗める時間も残り僅かかもしれない」というのが大きかった。
僕は、ほぼほぼ勢いで、4年ぶりに西陣道院技術研究会に参座させて頂くことにしたのである。
さてさて、西陣道院は京都の亀岡にある。
都会から少し離れた、のどかな場所にある。
(何か知らんけどヤギおったしwwww)
結構立派な建物を道場として構えられております。
さすが牧野先生。
いよいよ4年ぶりに西陣道院の門をくぐる。
道場の入り口のドアを開けるやいなや、
目の前に道着姿の牧野先生がいらっしゃった。
4年の歳月を経たのだ。当然、以前お会いした時よりも白髪の数は増えていた。
ただ、イイ具合に全身が脱力している佇まいは4年前と全く変わらない。何より「人斬り刀が放つ鈍い煌めき・オーラ」が健在であった。
「どうやら、牧野先生はちっとも衰えていないようだ」本能的に感じた。
「牧野先生、ご無沙汰しております。本日はよろしくお願いします」
牧野先生は、僕を見るなり少し「オッ?」というような顔を見せはしたものの、すぐさま「クシャッ」と目尻や口元にシワを寄せて、ニヤリとした。
「どうも、大阪からわざわざ西陣へ・・・」
僕のことを覚えてくださっていたのが結構嬉しかった。
「どこぞのモンや、オマエ」とか言われたらどうしようかと思っていたもんやからwww
牧野先生、相変わらずの男前であるwwww
その後、ゾロゾロと西陣道院の門下生が姿を現し始めた。
「門下生」とは言うものの、一人一人が4段以上の、他道場の道院長レベルの方々である。西陣道院は京都の道場の指導者を何人も排出している実績がある。そういう意味では、ある種京都の道院のルーツという位置づけになると思う。
こんな素晴らしい道院に僕みたいなペーペーがよくも呼んでもらえたなぁと再認識させられるわいwwww
その「門下生」一人一人が、「おお、景嗣君、久しぶりやんけ!! 元気にしてたか??」と僕のことを覚えてくださっていた。
何とも嬉しい限りである。4年前だけども毎月欠かさず研究会に参座させて頂いていたもんなぁ・・・そりゃ、覚えてくださっているよねwww ありがたい。
さて、練習開始。
僕がいま通っている道場も「剛法の○○(道場名)」と呼び声が高い。それこそ乱取・組手が専ら得意科目である。
この西陣道院も「乱取の西陣」の二つ名があり、剛法の精度が非常に高い。さすがかつての喧嘩男、牧野先生が運営されている道院だけはある。無論、柔法の精度も高いのだが、「剛法の考え方をベース」に置いたイメージである。
そういう意味では、僕の通っている道院と親和的である。4年前と相も変わらず僕にとっては吸収しやすい考え方が多い。
とにもかくにも、想像以上に「ガンガン」稽古する道院である。一歩間違えれば大ケガするであろうし、知らないうちに四肢がパンパンに腫れあがり、ヒドク内出血を起こすのが常である。
翌日、まともに歩けない日もしばしばあったのう。
普段の稽古にはない緊張感と集中力を使う。
西陣道院でご教示頂く技術の特徴は「とにかく痛い」
これでもかというくらいの激痛を与えられ、相手にもはやこれ以上狂気を起こさせない、という特徴がある。
特に、牧野先生の技は激痛の域を超えて、手首がハズレそうになる。
牧野先生の身長体重は僕と変わらない。かなりの軽量級ファイターであるが、顔色ひとつ変えずに体格の大きな拳士をガンガン投げ飛ばす。
投げ飛ばす?? 違う。
イメージで言うと
「相手を地面にガツンと叩きつける」
もはや、フワッと投げられ飛ぶことさえも許されないほど、地面に叩きつけられるのだ。
その際に、概ねの拳士はあまりの痛みに断末魔をあげる。
僕は痛すぎて、声すら出ないwwww
この日も牧野先生に激痛の走る技をいくつも掛けられた。
技の精度も、4年前からちっとも衰えていない。
やっぱり、牧野先生はカッコよかった。
そして、練習後。
牧野先生、85歳の誕生日会www
稽古後であっても様になる合掌礼であるwww
誕生日プレゼントは扇子www
むっちゃご満悦の様子www
抜群のセンスを持ち合わせた牧野先生には丁度イイ贈り物ですなwww
いやはや、これからも元気で居てくださいね。
少しでもアナタの技を盗みたいから。
さてさて、文字数も丁度イイ頃合いになった。
本稿では飽くまで事実レベルの話を中心に文章を書かせて頂いた。この日の西陣道院の技術研究会において、感じたことについて、もう少しだけ話をしようと思うのだ。
とりあえずは、本稿を「その1」と位置づけて、次回以降「その2」を執筆投稿することにしよう。
牧野清先生。
少林寺拳法の開祖、宗道臣から直接技術の手解きを受けている。
昔の先生方が次々に没される中、開祖のフィロソフィー、技術を体現できる数少ない貴重な存在である。
いわば、「生けるレジェンド」である。
その先生からは、大変貴重な学びを得ることが多い。
牧野先生とのコミュニケーション、ひとつひとつ大事にせねばな。
続く
景嗣
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