『続』・洗脳ーマインドコントロール その1
どーも、景嗣です。
先日、オウム真理教の創始者、松本智津夫氏の死刑が執行された。
形式的には新興宗教創始者。
実質的には、あの忌まわしき「地下鉄サリン事件」の首謀者、テロリスト集団の親玉である。
あの事件から数十年。
彼の死刑執行を経て、ようやく当該事件がひとつの節目を迎えたと評価できるのではないか。
それにしても
オウムの「洗脳」によって、多くの人々が人道を踏み誤った。
以前、「洗脳ーマインドコントロール」シリーズの記事をいくつか書かせて頂いた。
「洗脳」の基本骨子・ファンダメンタルメカニズムは以上の記事に書かせて頂いたとおりである。暇がある読者は参照されたい。
で、何でまた僕が「洗脳」に関する記事を書こうかと思ったのかというと・・・・
松本氏の死刑執行に関するニュースを母と一緒に見ていたとき、母が素朴な疑問を呈してきた。
「それにしてもオウムの信者は、こんな汚い髭オヤジのどこにカリスマ性を見出したのかしら」と。
フーム・・・
前回の記事で示したとおり、基本的な洗脳手法は「心の破壊からの心の再凍結という『洗礼』」であり、それに引っかかる真因は「洗脳される者自身の、『心の弱り方』と『傲慢さ』」にある。
簡単に答えるならば、「心が弱ったあるいは傲慢に支配された者が、当該集団の『洗礼』を受けただけ」である。ゆえに、オウムの信者が洗脳状態に陥ったストーリーは百人百様であるように思う。
ただ・・・
いくら心が弱っていたとしても、あんなオッサンにカリスマ性を見出せるだろうか。
心が傲慢に支配されていたとしても、あんなオッサンにカリスマ性を見出せるだろうか。
それに、オウム真理教の教義自体、「神聖さを臭わせるだけのあまり重みの感じられない教え」だし、殺人・リンチも正当化するなど、理論と実務に矛盾を生ぜしめるほどの軸のブレが見受けられる。
「確かに、汚い髭オヤジにハリボテ教義を示されても、通常ならやっぱり心は動かないと思う」
母の直感的な疑問を素直に受け止めると、分からんでもない感覚ではある。
(とはいえ油断はできない。最初から洗脳されないことが自明であるならば、このオッサンに魅せられた人々がこんなにも多くなるはずがないんだ。安直に考えていてはいけない)
まぁ前置きが長くなったが、オウム真理教の松本氏の死刑執行を端緒にもう少し「洗脳」について考えてみたいと思ったわけだ。
取り留めもない話になるかと思うが、気が向いたら少しだけ僕に付き合ってください。
なお、以下に示す内容は飽くまで僕の個人的な見解だ。( ´_ゝ`)フーンくらいの心積りで見てやってほしい。
あまり詳しく細部まで調べたわけではないが、オウム真理教の洗脳にかかった人々の代表格をいくつか見てみると、何となく共通点が見えてくるような気がした。
「高学歴、高等職業につく、聡明な人間が多い」
腕のたつ医者、言葉巧みな論客。
表舞台に上がってくるどれもが、オウム真理教の幹部にあたる人間たちだ。それ相応のステータスを持ち合わせているのは至極当然かもしれない・・・
洗脳にかかる者の全てが「聡明な者」というわけでもないだろう・・・
ただ、我々の耳目に入ってくる情報を一瞥したときに、上記のような印象を抱いた市民は少なくはないはずだ。
「聡明な者」というのは「良きも悪きも」長く思索にフケルことができる。
「良き時は」、建設的な議論をするための理論武装をしたりして、結果的に社会全体の福祉に資する成果物をクリエイトする。
「悪き時は」、いつまで思索にフケっても分かりはしない人間の感情について「あれよこれよ」と考えて人間不信に陥ったり、社会の矛盾と腐敗を証明せんがために要らぬ理論構築をして危険思想を悪びれもなく確立する。
・・・・
ふとある人物が脳裏をよぎる。
僕の敬愛する、太宰治先生だ。
彼の叙情表現力、文才を知る人はわかってくれるだろうが、彼は非常に「聡明」である。
ただ、その聡明さが「悪く出た」
それこそ「人間失格」な思考パターンに陥った・・・・
ただ、彼のような「聡明さが悪く出るパターン」は人類史上そう珍しいわけでもなく、彼の思考パターンに似通った人物を取り上げていくことに存外苦労はしないだろう。
ひとりひとり取り上げるのは面倒だ。
だが、「聡明さが悪く出るパターン」をする者の共通項みたいなものを一応は提示できるような気がするのだ。
「聡明さが悪く出るパターン、みんな・・・」
「育った家庭が裕福な傾向にある・・・」
太宰治先生や芥川龍之介先生など、その文才で世界に名を馳せたペシミスト達は「高等遊民」であることが多い。みながみなそういうわけではないが、意外にも「聡明さが悪く出る者」はだいたい共通して「裕福な家の出」が多い。
こういう観点から、いくつかの哲学家の成育歴を見てみると結構おもしろい。
哲学・啓蒙活動をする中で裕福な生活を送る者もいれば、儲からず生活苦に咽び泣く者もいる。だが、だいたい共通するのが、「名門の家から出てきたエリート候補生」ということである (無論、該当しない者もいる) 。
思えば、僕、景嗣も・・・
決して名門でもエリート候補生でもないが
ある程度、裕福な家庭で育った。
僕は、人の愛や優しさに飢えて生きてきたが・・・
意外にも、お金に困ったことがあんまりない。金銭面では何不自由なかった。
とはいえ特別裕福な家庭でもない。
欲や執着が無くて、プライベートでお金を使うことがないため、貯蓄しやすい体質なのだろう。これもお金に困らない一因だと思う。
結果として、僕も「悪い思考パターン」に陥っている。人の心を過度に悪い解釈で受け取ったり、危険思想を悪びれもなく表明して総スカンを喰らったりする日常を過ごしてきた。
(これについて、僕自身は「病理」も一役かっているように思う)
特に、確固たる根拠があるわけでもない。あくまで僕個人の感触でしかないが・・・
「経済的に余裕の出来た高学歴は、その聡明さを以て、生産性なき負の思索に腐心する傾向にある」
そのように思えてならないのだ。
己がまさにそのような傾向にあるがゆえに・・・
さてキリが良いので一旦この辺で切り上げよう。
本稿を「その1」と位置づけて、次回に「その2」を執筆することにしよう。
次稿も気持ち悪い話になるが、どうか見ていってほしい。
続く
景嗣
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