「勘にさわる人、心に留まる人」の正体 その1

どーも、景嗣です。

 

景嗣放浪記、久しぶりの投稿である。

かなりPV数が減ったwwww

まぁ、ブログで利益を得ていない身なので、さして気にもならないが、少し寂しいような気がするwww

多少ムリしてでも更新頻度を上げていきたいと思う景やんである。

 

 

さて、社会生活をおくる中で、以下のような人に出逢うときがある。

 

「勘にさわる人、心に留まる人」だ。

 

思うに、万人共通して、こういう人とは必ずと言っていいほど出くわす。むしろ避けては通れないと言った方がいいかもしれない。

 

僕は基本的に人間にあんまり興味がない。

普通の人間なら、そこらへんに落ちている石と同じようにしか思わない。「あっ、いたんだ。( ´_ゝ`)フーン」くらいしか思わん。

 

だからこそ、自分にとって「勘にさわる人、心に留まる人」が現れたとき、「良きも悪きも僕の関心を引いたという意味において特殊な人種である」と思ってしまう。

そういう感情が芽生えてしまうため、僕はそういう人種に必要以上に執着してしまうキライがある。

変にそういう人のことを分析してしまうのだ。

以下に、僕にとっての「勘にさわる人、心に留まる人」の考察を通じて気づいたことを少し書き記していこうと思う。

いつも通りのコトだが、以下に述べることは飽くまで僕の私見に過ぎない。( ´_ゝ`)フーンくらいのつもりで見てやってほしい。

 

 

僕はこういう人に出逢うと勘にさわる。

「独善的な理論を振りかざして、他人よりも優位に立とうとする人間」である。

その者の理論の優位性は別にして、他人の注目を集め目立とうとする様を見ていると、「何とも自己顕示欲の強い奴だ・・・」と勘にさわってしまう。

また、「優越感に浸りたいがあまり、隙があれば自分を大きく見せようとするか。何とも虚栄心の強い奴だ」とも思うわけである。

 

や、独自の理論を打ち立てている人間はむしろ好きなのだ。

何といえばいいのだろうか・・・

「その独自の理論を『ひけらかしの道具』にして、少しでも自分を大きく見せようとしている様が限りなく卑しいのだ」

こういうところが鼻につくのだ・・・・

 

 

一方で

こういう人間は僕の心に留まる。

「今自分が、不安で押しつぶされそうだったり、あるいは悲しい気持ちになっていることをあらゆる言動から読み取れる人間である」

僕はお人好しなのだろうか。

そういう人間を見かけたら、放っておけないのだ。

 

景嗣放浪記の読者は意外に思うかもしれない。

「こんなニヒリストが善の心を持ち合わせているわけがない」と。

 

信じてくれなくても構わん。

僕は「お人好し」の性格ゆえに損な役割を担わされることが多かった。さんざんババを引かされてきた。

掌を返されて、裏切られて、罠にはめられて・・・

それらを繰り返しているうちに、心が捻くれてしまった。

いつしか、人間がこの上なく嫌いになってしまった。

(人間の心は表情に現れる。僕の表情を実際に見たことがある人はわかるだろう。僕は「社会に恨みを持っているような顔つき」をしている)

 

信じてくれなくてもいい。

僕は・・・・

何者かに虐げられている者、苦しい思いをしている者、傷ついている者をできるだけ無条件で助けたい。

これが僕の本能だ。

こういう性格ゆえに、「今自分が、不安で押しつぶされそうだったり、あるいは悲しい気持ちになっていることをあらゆる言動から読み取れる人間」は、僕の心に留まる。

 

 

さて・・・・

上記に、(良きも悪きも) 珍しく僕の関心を引く人種の特徴を書かせて頂いた。問題は、「なぜ上記のような人種が僕の関心を引くのか。その者の正体は何であるか」ということである。

 

冷静に、モノゴトを客観的に洞察したとき、「その答えらしきもの」が何となく見えてくるように思う。

 

 

それは・・・・

 

上記例の両者は

 

「自分自身そのもの」に他ならない。

 

 

まず、僕の勘にさわる人。

こんなにも恥ずかしいことはないのだが・・・

「目立ちたい」とか「他人よりも優位に立ちたい」とか、顕在意識としてそういう感情を抱いた覚えはないものの

自分が無意識的に行う行動原理や言動などのパターンを辿った場合に、無意識的ではあるがそのような感情が心の奥底に眠っているのではないかと思ってしまう。

 

いまこうやってブログ記事を書いているのだって、本来、文化的遺伝子を残すのであれば、何もわざわざブログ記事にする必要もないのではないか。人知れず私書に思いの丈を書き記せばいいだけである。

それを、あらゆる人間の耳目に触れるブログ記事に落とし込もうとするのは、やはり自分の中に「自己顕示欲」が潜在的に眠っているからではなかろうか。

(本稿冒頭でPV数を気にしていたのは、このくだりの伏線である)

 

それに、

「人間にとっての神様とは」とか「本当の幸せの形とは」とか、『高次元』な内容の記事ばかりを書き記す必要もなかろうて。

「今日はカクカクシカジカでマジムカついた」とか「カワイ娘ちゃんを見つけてテンション上がった」とか、そういう『低レベル』な話題を書いてもいいはずなのに・・・

 

さて、キーワードが出てきた。

『高次元』『低レベル』

ここまでくれば確信犯だが、自分の中で『高次元』『低レベル』の基準を勝手に決めて、自分の立場を常に『高次元』の方に置こうとする。

このような考え方をする人間、すなわち僕のことを「優越感・虚栄心の奴隷」と言わずして何と呼ぶべきか。もっとも卑しき感情、『傲慢』に魅せられた哀しいピエロである。

(僕はつくづく恥ずべき人間だ・・・ホントイヤになるよ)

 

 

潜在的に切望する欲求を、他者が叶えようとしてあくせくする様を傍観するのである。

 

きっと、僕の中で色んな感情が渦巻いているんだと思う。

「彼の行動原理の根底にある感情が手に取るようにわかる。何とも幼稚で稚拙な感情であることか。ケッ、見ていてこっちが恥ずかしくなるわ」

「僕がどれだけ頑張っても手に入らない充足感をアイツは得ようとしている。卑しい。ズルい。アイツを地獄に突き堕としてやりたい」

「こういう考え方を潜在的にしてしまう自分のことが嫌いだ。だから同じ思考パターンを持っている奴を見ると、情けない自分を見せられているようでムシャクシャする」

 

例として取り上げた上記パターンの共通点は、

「勘にさわる相手の中に『自分の性質』を見出し、その『自分の性質』に着目して相手を批判している点」である。

 

本質を見れば、自分の標的は「自分」に他ならないのである・・・

 

 

さて、文字数がエエ感じになってきた。

本稿を「その1」と位置づけて、次回「その2」を投稿させて頂くことにしよう。

 

人生25年・・・

まだまだ若輩者であるが・・・

ここにきてあらゆる本質が見えてきた・・・

それは「自分にとって知りたくないもの」だったかもしれない・・・

 

だが問わねばならない・・・

こんなにも奇なる人生を創った自分、その自分が住まう世界の正体が何であるかを・・・・

続く

景嗣

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