「選ぶこと」の悪徳性について

どーも、景嗣です。

 

思うに、「選ぶこと」は悪徳の始まりである。

 

目の前には、これから自分が採るべき選択肢がいくつか並べられている。

いくつも提示されている選択肢は、多種多様のメリット・デメリットを備えており、一長一短ではあるものの、どれも魅力的である。

まぁ、欲を言えば目の前に提示されている選択肢の全てを採ることができるに越したことはないのだが・・・・

 

この世の原則は「等価交換」である。

その分岐点にある選択が自分の人生にとって、大きな効用をもたらし得るのならば、それに相応する価値あるモノを支払わなければならない。

その選択肢のひとつを選ぶのに、生涯それこそ何十年の月日というコストを支払わなければならぬという状況ならば、目の前に提示されている選択肢の全てを選択するという発想に中々行き着かないであろう。

欲張るにはあまりにもコストが高すぎる。

人間の肉体・精神・時間・人生は有限、欲張るにはあまりにも「自己資産」が足りなさすぎる。

つまり、人間は自己の自己資産の有限性ゆえに、何かを得るためには必ず何かを捨て去らなければならない。

 

 

「人間は『選択すること』から不可避な存在である」

 

 

そして、選ぶことによって何が生じるか・・・・

 

まず、選ばれなかった選択肢は、その者によって吐き捨てられる。

各々の選択肢が成立した背景には、様々な人間の助力がある。

そもそも、選択肢の対象が「人間そのもの」であることも往々にしてあろう。

 

「『選ぶ』という行為があったと同時に『選ばない』という行為が生まれる」

 

ひとつのものを選ぶという行為は、それ以外のたくさんの選択肢とその選択肢を成立させてくださった協力者の助力を卑しくもドブに捨て去るという行為に他ならない。

 

 

幸にも、たくさん選択肢がある中で、見事選ばれた対象はというと・・・・

どうであろうか・・・・

 

そもそも、選択者自身、脆弱で愚かな人間だ。

神様であれば格別・・・・・

モノゴトの本質を理解し完全に合理的な選択を行うには、あまりにも情報不完全で、かつ判断力が乏しすぎる・・・・

 

実際に選んでみて、当該選択肢の実態を知った時・・・

「選択当初、こんなことは知らなかった。こんなはずではなかった・・」と落胆し失望するであろう。

 

己自身が決断を下したにも関わらず、皮肉にも己が最も優秀だと考えた選択肢によって絶望するわけである。ここに来て途端に選ばなかった選択肢のことを想い焦がれ、後悔するのである。

 

どうだ、このケース・・・

己を失望させると同時に、選んだ相手をも踏みにじる・・・・

 

どうだろう・・・

こういう思いを胸に秘めつつも、今の自分の自己資産がわずかしか残っていないことに鑑み、不満ながらも現状維持を図るか。

 

あるいは・・・

自分に残されている自己資産に余裕があることに鑑み、さらに自己の人生に幸福をもたらしてくれるものを選ぶ旅に再度出るのであろうか。

 

そうやって、また「選ぶこと」を始めるのか。

その選択肢の中に、一回目のステージで吐き捨てた選択肢を入れるのであろうか・・・・

やれやれ、吐き捨てられた側はカナわんな。

ヒドイ言い方をすれば、「セカンドレイプ」である。

 

 

「選ぶこと」というのは・・・・

選ばないモノをボロ雑巾のように吐き捨て、選んだモノの実態の無能さに落胆し、そして己の感情を虚無ならしめる。

そして、後悔という罪深き感情に突き動かされ、自己財産の限りにおいて、上記のような虚しい行動を何度も連鎖させる。

 

 

 

「『選ぶこと』の本質とは、すなわち『悪』である」

 

また・・・

「人間は『選択すること』から不可避な存在である」

 

 

つまり、「選ぶことの悪徳性」という観点から・・・

 

「人間は、生来的に劣悪なる存在である」と言えよう。

 

「『選ぶこと』とは、運命という鎖に縛られた人間の原罪に他ならない」

 

 

 

 

「僕は後悔なんてしない!! 絶対にだ!!」

 

どこから湧き出たのか、若者よ。。。

後悔なんてしない??

キミは感情ある人間だろう??

 

それは、神に誓って言えるのか??

その心に1%もの疑いの余地がないことを。

 

そもそも、それを保証する神なぞ存在しない。

すまんな、「存在不明のモノが存在しないことを証明しろ」という「悪魔の証明」のようなことを強いた。

申し訳ない。

 

だが、キミは若すぎる。

人生という名の漆黒の運命の渦に抱かれて、いつまでそのような虚勢を張れ続けるかな。

これはさぞ、ミモノになるだろう。

 

 

この問題に対する処方箋??

あるわけがなかろうて。

「『選ぶこと』は自己資産に限界のある人間であれば、不可避の行動原理である」

生きている限り避けては通れぬ。

人間誰しも、罪人である。

 

開き直るしかなかろうて・・・

ただ・・・

自分が生来的に罪人であることを弁えたうえで、選択という過程において切り捨ててきた屍に弔いの詩を捧げてやるのが、せめてもの償い・贖いである。

 

自分が切り捨ててきた屍の怨念を、死ぬまで背負い続けろ。

そのまま生き続けろ。

タトゥーのように深く肉体に刻み込め。

 

それは、「経験という名のタトゥー」である。

そのタトゥーを帯びたオマエは何とも妖艶で魅力的である。

 

あるいは・・・

次に誰かによって、オマエ自身が切り捨てられるとき、

きっと、オマエは最高級のタトゥーを刻んだ屍になれる可能性もあるのだから。

 

 

「人間は『選ぶこと』によって悪徳性を帯び」

「『選ぶこと』によって、その命を輝かせることができるのかもしれない」

 

 

 

「景ちゃん、今日の晩御飯、オムライスがイイ?? それとも、焼肉がイイ??」

 

景嗣「あー、えーと・・・中華・・・餃子喰いたいなぁ・・・・」

 

「あーもー、そんなんやったら早く言ってよー (困惑)」

 

 

思うに、選択肢の中から選ぶことは罪だが、新しく選択肢を創ることはさらに罪深いwwww

 

母さん、(m´・ω・`)m ゴメンやで wwwwwww

以上

景嗣

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