ペシミズム (厭世・悲観主義) と文章作成行動との相関関係について

どーも、景嗣です。

 

今日は、表題に示してあるように科学的な論拠に基づいた言論を書いていこう・・・・としたいけど、今のところ思いつくシナリオでは、多分に僕の感覚的な話と経験則の話を中心にしたネタばっかりになるかもしれん。

相も変わらず、本稿に書き記す内容も僕の個人的な見解に終始することであろう。読者諸君、いつもどおり、( ´_ゝ`)フーンくらいの軽い感覚で見てやってほしい。

 

「ペシミズム」とは

まぁ、「厭世主義」やら「悲観主義」みたいな意味合いで理解されることの多い単語ですわ。

今日のキーワードなので、とりあえず冒頭にて紹介させて頂く。

 

 

さて・・・

僕は大学院時代に法律学に関する論文を結構な文字数書かせて頂いたこともあるし、何より (世間的に求められてもいない) ブログ記事をこうやって毎日執筆している。

僕は、自分で文章を書き、筋書きを考えて、一個の「読み物」を作るという作業に身を置く時間が普通の人よりかは多いのである。

SNSの時代、Face Book やらなんやらで何かしら文章記事を書く人も増えているだろうが、この景嗣ほど文章に重みを乗せているライターはそんなにも多くはないだろうと自負している。

 

文章を執筆して発信する作業をする時間を経て、イロイロと感覚的に気づくこともありまして・・・・

 

思うに、文章作成の心理的インセンティブ (経済的ではない、心底「書きたい」と思う心だ) や文章構成作業の円滑化は・・・・

 

自分の中にある「ペシミズム」の高鳴りに比例して、大きくなるように感じるのね。

 

要するに、社会に対する恨みツラミやらのボルテージが上昇すればするほど、文章構成の筋道が明確に設定でき、とにもかくにも文章のタイピングが驚くほど進むのである。

何でこんなことを改めて感じ始めたかというと、ブログ記事作成へのモチベーションが右肩下がりになっている自分を俯瞰してみたことがきっかけである。

 

最近の僕は・・・何だが能天気だwww

や、常に能天気ではあるんやけども・・・・

何だが、「毒気」があんまりないのよね。

 

「ブログを書きたいっ!!」と渇望していた当初の僕は、

とにかく、社会に対するアンチテーゼ論やら、厭世的視座のようなものが根深く僕の目の奥に焼き付いていたのを覚えている。

 

また、「毒気」の無くなった最近においても・・

「イラッ」としたり、イヤな思いをして社会に対して文句のひとつやふたつを言いたくなるような状況になった時には・・・・

ブログ記事の文章作成がメッチャ捗るわけよ。

 

 

思えば・・・・

僕の好きな作家に「太宰治」というのがいる。

もうみんな知っておろう。名著「人間失格」を執筆した人物である。

 

彼の書いた作品を読んだ人間にはわかるだろうが・・・

極度の懐疑主義者、厭世主義者、人生悲観論者である。

人間倫理観を度外視したブッチャケ論にはむしろスカッとするものがあるし、何よりナイーブな人間の心の機微を的確に描写する様は「アーティストオブアーティスト」と評価しても差し支えなかろう。

 

彼は、社会を嫌うあまり、生涯高等遊民として創作活動に励んだ。

 

彼ほど極端な例はないけれども、芥川龍之介 (主な名著「羅生門」)、夏目漱石 (主な名著「こころ」) など、十中八九、名作家の彼らからも「ペシミズム」のニオイがするのは共感してもらえるところだろう。

 

 

名作家・名ライターと呼ばれる人の心の奥底には・・・・

「ペシミズム」という妖艶な炎が静かにユラユラと燃え盛っているような気がするんだ・・・・

 

 

そうさなぁ・・・・

もしかしたら、こういった仮説は文章構成という観点に限らないかもしれん。

あまねくクリエイティブな発想というのは、有象無象の集団に埋もれて集団が右を行けば無思慮に右を行くような、脳ミソのカロリーを使っていないアホにはできないところもあるかと思う。

たとえ、クリエイティブな発想が可能であったと仮定しても、周囲の人間の主張に自分が合わせていく必要があるため、とてもではないがクリエイティブな自分独自の発想を惜しげもなく発信することに戸惑いが生じるだろう。

 

まぁ、上記の内容は若干「ペシミズム」という枠から外れ得る部分もあるかと思うが、十中八九、万人に好かれる能天気なアホは、クリエイティブな発想を考え発信する機会を持つことが少ないという見方は概ね合っているんじゃないか。

 

 

僕みたいに・・・

心の奥底に、悲しみ・虚しさを滾らせて・・・

それが、表情にも雰囲気にも表れ、妖気を漂わせている人間は、

基本、誰も寄せ付けない (寄せ付けないようにしている。アホに寄られたらカナわんからなwww)。

孤独な時間がなんと多いことか。

 

その独りでいる時間、思索にフケるのだ。

 

思うに、僕の人生の中で最も貴重な時間である。

 

独りで思索にフケる時間を設けることで、あらゆる事象に対する自分独自の評価・考えを組み立てることができる。その中でクリエイティブな思考パターンも養われる。

独りよがりとの謗りを免れ得ぬことを百も承知で申し上げているが・・・

 

「真にクリエイティブな発想とは、孤独な時間からしか生まれない」

 

なんだか、最近そんなような気がしてならないのだ。

 

そりゃ、みんなで酒飲んで笑う時間も楽しいけども。

僕にとって、孤独な時間、独り静かに思索にフケる時間は、貴重な時間なのである。

 

はぁ。

今日も一段とツマらん記事を一筆書いてしまった。

気づけば、もう寝る時間ね。

 

さて、明日は何を書こうかな。

明日、皆に何を発信すべきかを考えるために

今日も、孤独に思索にフケる・・・・

ただ静かに・・・

俗世から離れて・・・

以上

景嗣

Follow me!

ペシミズム (厭世・悲観主義) と文章作成行動との相関関係について” に対して1件のコメントがあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です