「ミニマリズム」の効用について その2

どーも、景嗣です。

 

本稿は、「『ミニマリズム』の効用について」シリーズの「その2」に該当する。本稿を読み進めるにあたって、前稿「その1」を事前に読んでおくことを勧める。

以下、「その1」のリンクを貼っておく。各自確認されたい。

「ミニマリズム」の効用について その1

 

さて・・・

思うに、前稿では、僕の考えるミニマリズムの本質論について勝手気ままに語ってしまったところもあり、俗世にいる読者からするとマイナスな話ばかりであまり気分がいいものではなかったであろう。

なので、本稿「その2」ではなるべくプラスな話をするように心がけたい。

 

前稿では、モノをムダに買い込んだり、ムダな欲に焦がれてたりする人間を結構な論調で批判したけれども・・・

 

数年前の僕自身・・・・

ウェイトトレーニング用品をかなり買い込んでいた。

バイト代の大半を身体を鍛えるための道具を買うのにに使っていた。

こういう「欲の権化」になっていた時期もあったので、ムダなモノを買い込んでしまう人の気持ちは、わかるのである。

 

しかし、ある時。

僕の右目は網膜剥離に罹患してしまう・・・・

 

幸い、網膜は復位したものの、極度に重量のあるものを踏ん張って持ち上げたりすると、復位した網膜に悪影響が出るらしいので、ウェイトトレーニングは控えるように医者から指示があった。

 

・・・・

 

その瞬間、上の写真の中にあるトレーニング用品すべてが、ただ場所をとるだけのゴミとなってしまったのである。

 

何とも虚しい・・・・

まぁまぁの大金を払って搔き集めた道具だというのに・・・

その価値は、一瞬のうちに限りなくゼロになってしまった。

 

それから・・・・

家の中に買い込んだ、たくさんのトレーニング用品を最寄りの空手道場に全部寄付することにした。空手道場の子供たちならば、僕のため込んだトレーニング用品も有意義に使ってくれると思うから。

 

トレーニング用品で溢れかえっていた家の中がかなりすっきりしたものである。

 

これらのトレーニング用品が支配していた空間が新たに使えるようになった。

また、トレーニング用品をメンテナンスする時間も捻出しなくて済むようになったし、何よりトレーニングをしていたはずの時間を読書とかブログ作成とか、他の作業に充てることもできるようになった。

 

 

思うに、

人間の欲望というのは、無限大に広がるけれども、

肝心、その欲求を享受する人間には、身体的・時間的な限界がある。

人間の身体は一つしかないし、誰しも一日24時間しか与えられていないわけで。

 

例えるならば、積載量に限界のある器に「欲」と言う内容物をブチ込んでいくわけだ。

そりゃ、欲張りすぎて器の積載量を超えてしまったら、それ以上の欲は器に入らないわけで・・・

 

 

裏を返せば・・・・

 

今、器に入っている欲が「自分にとって真に必要なものではない」と悟って、思い切って器から取り出してみると。

新しい欲が器に入り得ることに気づく。

その欲が「自分にとって真に必要なモノである」と思えたとき、人間は幸せへの一歩を踏み出せるんじゃないかな・・・・

 

 

僕が勤めていた以前の会社は、はっきりいってブラックだった。

 

新入社員の僕に課長級の仕事を押し付けてくる。

そのクセ、給与体系は新入社員のまま。

早く帰宅出来て毎日9〜10時くらい (日をマタぐことなんてザラ)

土日出勤当たり前 (病院に行くため休むと申告すれば、悪口を広められる)

心苦しくも、我々の実働時間に合わせて、板金加工屋さんや塗装屋さんにも動いて頂いていた・・・ホント申し訳ない・・・・こんな会社に付き合わせて・・・

 

月給、残業手当は少なかったものの、実質労働時間は毎月100時間をゆうに超えていたわけで、大企業に勤めている定時帰りの新入社員の倍近くは稼いでいた。

(のちにこの会社は行政から労働時間に関する厳しい是正勧告を受けることになる・・・まぁ上の人間はアホやから何も体制変わってへんやろうけどwww)

 

しかし、毎日飯は外食、急いで家に帰って洗濯・風呂に入っても、気づけば12時越え・・・また、明日朝8時から出社・・・・

土日も同じローテーション・・・

こういう毎日がループしていた。

 

正直、この頃の僕は、プライベートに何をしていたか全く思い出せない。

そもそも、プライベートなんてあったのか??

金だけは大量にあるから、毎晩の外食に大量のアルコールを飲んで、ベロベロに酔い潰れてたっけ。ストレスがハンパなかったから・・・・要らんモノにジャンジャンお金を使っていたっけな・・・・

 

ほんで、何もかもにウンザリして、仕事へのモチベーションが「プツン」と切れてしまった。

部長に退職届をブン投げて、思い切って会社を辞めてやった。

 

退職日までの有給消化期間中、今までの多忙な日々から解放された僕は毎日ボーッとしていた。

 

ある日・・・

 

「そうだ、ブログ記事を書こう!!」

 

こう思い立つのである。

 

この発想って、前職のプライベート無き毎日を過ごしている僕にはあり得ない発想である。

 

思うに、前職の業務によって逼迫していた僕の時間や心身のキャパシティーオーバーを取り去ることで、自分の思考に余裕が生まれたからであろう。

 

先ほどの、器の限界積載量と欲という内容物の例え話と同じことである。

 

今現在の自分の器に積載物が満タンになっている状態では、それより外界にある真に自分が欲するモノの姿形が見えない。

器一杯に詰め込まれた不必要な欲を捨て去って、初めて「目新しい欲求」に巡り合えると思う。

 

前職ほどの稼ぎは望めないけども・・・

こうやって毎日、好きなトピックを用いてブログ記事を作成する活動が純粋に好きである。

大好きな少林寺拳法も再開できたし。

ストレスもないからお酒も飲まなくていい。正直最後にお酒を飲んだのは1ヵ月前の大学院研究室の飲み会以来だよ。

 

お金はあんまり溜まりもしないが、浪費もしない。

今の生活の方がプラスマイナスで考えると燃費がイイ。

何より、幸福感は今の方が断然ある。

 

 

思うに、「ミニマリズム」とは

社会の一般論・偏見のノイズを取り去って、

今の自分の生活が心底満足しているかを問い、真の自分にとっての満足を追求することである。

「モノを捨てる・買わない」というのは

飽くまで、今自分の器に満タンに入っているモノのせいで、本当に自分が欲するモノが見えない状態を打破するための有力な方法に過ぎない。

 

 

大企業に入った。両親も親戚も友達にも対面上、イイ顔ができる。

月給も福利厚生もイイ。

何にも問題ない・・・・

・・・のは外面だけ・・・・

 

出社してみれば、顧客対応・訪問、納期管理、仕入れ先との化かし合いなどのストレスフルな業務を毎日夜遅くまで、従事して。

毎日セクハラ上司に不快な思いをさせられ、

生意気な後輩に仕事を覚えさせて・・・

同僚とは内なる確執を秘め合って・・・

 

気づけば・・・

ストレスのあまり、ビールとタバコの量が増え、腹は膨れ顔の皮膚は汚くなり。

激務で睡眠時間を捻出するのがやっとで目の下にクマを溜める。

心身共に不健康になった自分をマネジメントするのに、更なる出費がかさんで。

 

結局は、多く稼いで、その分多く浪費して・・・

毎日、時間だけがいたずらに過ぎていく。

 

さて、読者諸君。

今の自分の現状をもう一度俯瞰してみて、考えてみるといい。

社会的な一般論や倫理観やバイアスを取っ払って。

今の自分の生活は心底満足するものであろうか。

他者の声なんて度外視して、自分の頭で考えて頂きたい。

 

もし満足できてないと気づいたなら・・・

思い切って捨ててしまってもいいと思うよ。

今のライフスタイルを。

 

捨てて初めて、見えてくる幸せの形もあると思うのね。

 

そりゃ、大抵の人は躊躇すると思うよ。今の安定した生活を捨てるなんてさ。

でも、十中八九、僕は色々と捨て去ってみて、今の生活がまぁまぁ満足のいくものであると感じる。

 

プライドとか、安定した生活とか、職務的な地位とか

大事にしていくべきだと思われるモノを捨て去らなければ、この境地には至れなかった。

 

 

いやはや。

僕の器にパンパンに入っていた不要なモノをおおかた捨て去ったように思う。

まだまだ、色んな新しいモノを受け容れられる状態にある。

次は、この器にどんなモノを入れていこう。

それが、真に幸せをもたらしてくれるモノだったらいいなぁ。

以上

景嗣

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