「ミニマリズム」の効用について その1

どーも、景嗣です。

 

最近、「持たない幸福論」とか、「ミニマリスト」とか、そういう類のコトバが流行っとるな。

要するに、「生活を営む上で最低限のモノを持つという生き方」だ。

資本主義・経済第一主義の日本社会においては、大量消費が推奨されるのが一般的であるように思う。高度経済成長期真っただ中の時なんて、「宵越しの金は持たねぇ」といわんばかりに、豪遊していたオジサンもたくさんいたことだろう。

 

しかし、経済第一主義のセオリーに逆行するかの如く・・・

「ムダに買わない・消費しない」っていう流れができてきている。

 

求人倍率や工作機械業界の受注などが未曽有の右肩上がりの潜在的好景気に差し掛かっているというのに、各家計の個人消費がいつまで経っても踊り場を脱しないのが、現代社会における経済状況である。

まぁ、マクロ経済的にいうと、市民どもにはライフラインの貯金をじゃんじゃん切り崩して、ドンドコムダ使いをして頂きたいところであるが。

そういうマクロ経済的な要請にアンチテーゼを呈する者が増えている。

 

個人的に、こういう流れを見て、僕はスゴイ嬉しい。

僕自身が、「ムダに買わない・消費しない」という経済スタイルに大いに賛成するからだ。

「ムダに買わない・消費しない」という論調の新書を見かけると何だが嬉しくなってしまう。

僕自身が過剰にモノを持つことに対してあんまり意味がないことを悟って、ありとあらゆるモノを断捨離してきた身だからね。

 

そういう風潮が社会のあちらこちらで散見される昨今、

「ムダにモノを買わない・消費しない」ことの本質的意義をあまり理解しないまま、何となく断捨離したり禁欲したりする人も少なくないのではないか。

 

てなわけで、今回は、「ミニマリスト」や「断捨離」の積極的意義というか効用というか、そういったことに関連する話をダラダラと話していけたらいいと思う。

 

いつものことだが、以下に書き記すのは、飽くまで僕個人の見解だ。( ´_ゝ`)フーンくらいの感覚で見てやってほしい。

また、気分任せの取り留めもない話になると思う。文章の構成もムチャクチャになることが予想される。あと最近、文章のキレが悪いのねwww

読み苦しいこともあるかと思うが、ご容赦頂きたい。

 

 

最初に言っておくが・・・

「ムダにモノを持たない・買わない・消費しない」という考えは、「ミニマリズム」の中においては飽くまで手段に過ぎず、本質ではないことは先に言っておこう。

大事なのは、「自分という個体が生きていくうえで、最低限必要となるモノを見極めて、ムダな欲を減殺すること。そうすることで、自分の本当にしたいことを実行すること」である。

 

企業も年数を経るごとに去年以上の売上・利益を上げなければならない。商品に (余分なww) 付加価値をつけたり、広告などのマーケティング戦略を駆使して、我々消費者の財布のヒモを緩めて、お金を吐き出させようとする。

上記の例をはじめ、消費者は「あらゆる」催眠にまんまと引っかかっている。僕から言わせると、昨今の消費者は要らん「モノ」まで欲しがり過ぎている。

 

「そんなことはない!! 俺の給与明細をみてくれよ!! こんな手取りじゃあ、今月分の生活費を賄うのにやっとだよ!! 貯金もできないし、欲しいモノなんて買える状態じゃないよ・・・」

 

ハァ??

誰がそういう類のレベルの話をした??

 

思うに、こういう人間は、僕がいう「モノ」の具体的なニュアンスを全くわかっていない。とはいえ、俗世の人間のほとんどはこういう人間である。ちっとも間違っていないし恥ずかしがることでもない。

 

ただ、あんまり頭を使わずに生きているのではないかと勘ぐってしまう。

 

そもそも・・・

 

世の中の企業間取引やら経済活動が活発化してきているのに、

なぜ、個人消費がいつまで経っても踊り場になるくらい、個人の給料が上がらないのか。

深く考えたことがないだろうか。

 

「それは・・・企業が金を吐き出さないからだ!! 結局、俺たちは強者に虐げられているんだ!!」

 

なぜ、企業はオマエら労働者に賃金を吐き出さないのか・・・

「悪い、悪い」と言うばかりで、経営者の脳ミソの中がどうなっているかを想像してみたことはないのか。

 

オマエら労働者が主張する「手厚い」福利厚生をひとつひとつ律義に守ってやっているというのに・・・

社会保険など毎月の負担はまだいいが、ヒト一人が退職してみろ。莫大な退職金を支払ってやらねばならんのだぞ。それがいつ来るのか、はたまた何人退職したいと手を上げだすかわからんのだぞ。

そういう事態に備えて企業としては、ある程度の膨大な金銭をプールしておく必要があると考えるのが合理的である。

そういう現状で毎月の給料を支払っているわけだ。企業側としては、精一杯の努力であろう。

それにも関わらず、「俺らがもらえないお金は全部役員が味を占めている」と噂を流したり、何でもかんでも経費で落とそうとしたりするアホがいるわけである。

 

大企業に勤めていた人間の退職金がどれほどの額になるかというのを、噂レベルだが僕は知っている。聞いた話が本当だとすると、それこそ結構な財産である。

 

そんな金が要るかね??

そもそも、オマエら労働者は何歳まで生きるつもりなんだ??

 

「100歳まで生きたいんですっ!! だから、老後には莫大なお金が必要なんです!!」

 

やれやれ、100歳まで生きて何がしたいのか・・・

そういう考え方を否定するわけではないが・・・

少なくとも企業はそういう人のニーズに応えるために、いつ退職されてもいいようにそれ相応の莫大な金銭をプールしていく方向になる。

そりゃ、その分、毎月の賃金は吐き出しにくくなるわな。

 

それに・・

100歳になるころには、ヨボヨボになって手足も不自由になって、金ばかりかかる何とも惨めな老人になるわけである。

むしろ、そんな生き恥に耐えられるのか??

思うに、こういうことを言う能天気な奴はイマジネーション力が欠落している。

 

 

続いて

「親が土地財産を持っていてかなり稼いでいるから、僕の家庭の家計自体はそんなに逼迫はしていない。正直、息子の僕が働く必要性は本当のところない。でも定職についていない男ってのは社会対面上あんまり良く評価されないんだよな・・・ やっぱり世間から良く評価されたい。よし!! 全然興味ないけど、就活始めようか!!」

 

おい待て・・・

 

何だ?? その動機は??

や、社会一般的には当たり前なんだろうが、そういった当たり前とかバイアスを取っ払って、飽くまで経営者ならどう思うかを考えたい。

 

「ただでさえ、ヒト一人を養うのに莫大な固定費がかかるというのに、心の底から仕事をする気のない奴がウチに来るなよな。オマエに支払う固定費の分だけ、本当に仕事をバリバリしたいやつを含めた全体社員に支給する一人当たりの給与が減るんやからな・・・」

 

従業員数が増えたら、単純に全体パイを配分していく割合が大きくなり、一人当たりが享受できるパイの恩恵は少なくなる。

「世間体をよくしたい。漠然とした不安をとりあえず払拭したい」

そういう本音の下で業務に従事する輩にも手厚い福利厚生を保障してやらねばならん。

そんな奴らが増えるたびに、一人当たりに配分するパイが狭小になる。

その分、向上心の高い従業員のモチベーションがダウンすることにつながる。

思うに、経営者としては望ましくない状況である。

 

 

他人に良く思われようが思われまいが、どうせ人間はいつか死ぬんやから・・・

漠然な社会的な不安があろうがなかろうが、どうせ人間はいつか死ぬんやから・・

そんなにも血眼になって、興味もない仕事にムリに従事する必要があるのか??

 

 

話が長くなった。

何が言いたいかと言うと・・・

 

働いて、企業に属する人間が増えれば増えるほど、一人当たりが享受できるパイが単純に減る。その一人一人がそれ相応の権利を主張すれば、尚更配分されるパイが減るだろう。

(この考え方の下では、そのヒト一人が増えることによって、全体パイの生産性が極めて上昇するといった考え方を度外視させてもらっている。そんな貴重な人間は会社内で指折りしかいないのが正直なところ。ほとんどの人間が他人の足を引っ張っている。会社ってそんなもんです。はい。)

 

さて、社会的にそんなにも必要とされてもないのに、なぜ働こうとする??

「100歳まで生きたい。世間によく見られたい。漠然な不安を払拭したい。よりよく生きたい」

そういう欲求があるのではないか・・・

そういう欲求を抱く故に、好きでもない仕事に四苦八苦する。

本人がシンドイだけならどーでもイイが。

 

真に評価に値すべき人間が享受できるパイが減り。

経営の資金繰りに複雑性を生ぜしめ。

結局は、個人家計に降りてくる金銭は狭小になるため、個人消費が冷え込み、経済の活性化が足踏みとなる。

 

理論的にいうと、会社利益の全体パイを上げられるスキルがある場合は格別だが、正直働かずに犬死にする方がよっぽど社会貢献なのである。

 

 

人間どーせ死ぬのに・・・

死んだら元も子もないのに・・・

「そんな欲求を夢見ることに何の価値があるのか??」

自分が死ぬまでの期間を逆算して、必要な金銭を算定した場合に、それらは余分な欲求である可能性が大いにあるのではないか??

 

 

「己が抱く余計な欲求ゆえに自分の首が締まっていってることにイイ加減気付けよ。人間ども」

 

「何でもかんでも、欲しがり過ぎだ・・・」

 

 

「ミニマリズム」は、ただ単にモノを減らしていくだけではない。

自分の欲求の真の姿とその必要性を発見し、自分の人生の中における必要・不必要の峻別を合理的に判断することである。社会の唱える洗脳まがいの先入観や一般論、バイアスを取っ払って、だ。

(その判断の反倫理的側面は別にして、だ。そもそも倫理的側面なぞ、吐き捨てる程の価値もないね)

思うに、公私ともにムダのない美しい結論が得られることが多い。

 

 

とりあえず、文字数がエゲツないことになってきた。本稿を「その1」と位置づけて、続編「その2」を明日以降に投稿することにしよう。

 

僕はヤバいことを言っているだろうか。
こういう過激な言論は今に始まったことでもないし、正直俗世の人間にどう思われようが気にならないレベルにまで達している。

ただ、「モノゴトの本質をありのままに見たときにそういう結論に至るだけだ」

それ以上でも以下でもない。

 

ただ、

こういうマイナスの話ばかりでは、あんまり面白みがなかろうて。

「その2」ではプラスな話を繰り広げてみたい・・・・

続く

景嗣

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