竿竹「にきゅっぱ」事件 その3

どーも、景嗣です。

 

本稿「竿竹『にきゅっぱ』事件」シリーズの「その3」である。

本稿を読み進めるにあたって、本シリーズの「その1」「その2」を事前に読んでおく必要があるように思う。

以下「その1」「その2」のリンクを貼っておく、各自確認されたい。

竿竹「にきゅっぱ」事件 その1

竿竹「にきゅっぱ」事件 その2

 

さて、「その1」「その2」の稿の総括みたいなのをテキトーにベラベラとしゃべることにしようか。

 

前回では、「竿竹『にきゅっぱ』事件」に対する、僕の端的な解答・考察をコピペさせて頂いた (稚拙で申し訳なかった)。

 

基本的に僕が専攻していた分野の大枠と言うのが、「当事者間において情報力・交渉力に構造的な格差が存在する場合の法律関係・法的処理の評価についての検討」といえる。

 

まぁ、その代表的なものとして、消費者契約が挙げられるわけだ。

 

イチ企業体は、他者とのコネクションネットワークを広く持っており、過去から集積された膨大なデータと受け継がれてきたノウハウ (営業・生産・仕入れetc) などを持っていると、一般的に評価される。

 

それに対して、消費者というのは、彼の業務外の生活に関する経済活動を行うとき、当該契約に対する知見が浅い場合も多く、それに関する情報を収集・吟味したりするのが困難である (これについて、インターネットの普及を機に、消費者の情報力劣位を否定する方向の論者が多くなった。よく文献で見かけたものである)。

消費者として一般市場に出ればわかるが、商品の値段というのは表示価格として既に決まっている場合が多い。昔の商品はそうでもなかったけども、最近の商品は複雑珍奇なものが多く、使用材質・生産過程における種々の工費などの見通しも消費者にとっては不透明であることが多くなった。

原価計算に基づいて自己の得失を判断することさえ困難な場合も少なくない。

市場において同業他社が乱立し価格競争の淘汰圧が機能している場合は格別、限りなく独占・寡占に近い事業においては、適正価格での売買がなおのこと行われにくい。

 

 

・・・御免、なんか下手に難しいコトバを使い過ぎた。

 

他にもイロイロと論拠はあるんやけども、事業者VS消費者間における取引については、平等な力関係が醸成できず、消費者にとって一方的に不利益となる契約が結ばれがちであるとの説明がよくされるわけね。

だから、消費者契約においては、消費者の情報力・交渉力をエンパワーしたり、事業者側に何かしらの行為義務を課したりして、当該契約における力関係を平等な形に是正することが要請される、みたいな口ぶりを使うわけ。

 

 

何が難しいって、これって、私人間契約において機能する「契約自由の原則」を修正する考え方なのね。だから、論文を書いたり話し合ったりするときには、いっつも伝統派 (原則絶対主義) に噛みつかれるわけ。

仮に、安易に原則の修正を認めてしまうと、既存ルールの法的安定性が害される可能性があって、今まで画一化されていた事案の解決方法の考え方に混乱を生ぜしむる可能性もある。社会プレーヤーに不意打ち的な法的措置を及ぼしかねないわけである。

 

ほんでさ・・・

 

「そもそも何を以て、消費者は情報力・交渉力劣位と評価されるの??」と改めて問いかけられるとこれが案外難しい。

 

僕の知り合いに、天下の「NTT」に籍を置いて、なおかつ課長職に就いている方がいらっしゃる。たぶん、この人は通信知識・ノウハウについてモノスゴイ知見があるのだと思う。

こういう人が、自分の家のネット環境を整えようとして、通信会社と相対したとき、きっと彼は自分に有利な契約になるようにうまく立ち回ることが期待できるだろう。

 

逆に・・・・

 

僕は、以前の会社で前課長が勤めてた「板金購買に関連する諸業務」を行っていた。表面的に見ると、前の会社は板金加工・塗装手配に関して十分な知識・ノウハウを持っているはずである。しかし、その実、板金購買業務を運営している僕は、そういう知識に関して素人であり、何もかも手探り状態であった。

幸い、どこの仕入れ業者さんも良心的な方ばっかりだったので、僕に不利益になるような取引を持ち掛けることは絶対になかった。本当にこれは幸いだった。

(むしろ、みなさん、板金購買を半ば押し付けられて (←wwww) 右も左もわからず半泣きの僕に、懇切丁寧にバックアップしてくださった。ホントに感謝してる)

下手をすりゃ、事業者だって、必ずしも情報力・交渉力優位というわけでもない。

 

 

情報力・交渉力劣位なんてな、

時と状況によって変わるんよね・・・

というのもあって、改めて当事者間の情報力・交渉力の構造的格差の存在を説得的に説明しようとしたとき、わりと難しいのである。

 

 

だから、消費者契約とかこういった類の事案解決を考えるうえで、当該事案の主たる論点に差し掛かる以前に、必ずと言っていいほど、「情報力・交渉力の構造的な格差の存在」という難しい問題と向き合わなければならない。

これが、何と手間のかかることか。

僕が在籍しているときに拝読した論文には、様々な見方で当該問題について検討しようとするものがあった。

(例えば、当事者の属性の類型化論であったり、構造的な格差を生ぜしむる契約、例えば、契約構造の複雑さであったり、商品・商材の複雑さに着目する、などである)

 

 

とにもかくにも、「法的に弱者として位置付けられ得る人を守ろうとすると、色んな意味で苦労したな」という印象があった・・

(「司法的な観点ではなく、行政活動というアプローチによって、消費者をエンパワーすれば足りる」という意見は、もう聞き飽きた。だったら、何とかしてくれよ、公務員さんよ・・・)

 

 

・・・何か、学術的な能書きが多くなっちゃったね・・・・

 

「竿竹『にきゅっぱ』事件」に話を戻そう。

最初、一般の竿竹の相場が2000円で、今回は「にきゅっぱ」で売ると言われたら、竿竹の表面に「金箔」が貼ってあるとか、余程のケースでなければ、「2980円」と思うのが普通だろう。

竿竹を裁断した後になって、不意打ち的に「29800円」を要求して来られたら・・・

主婦Bとしては、おかしいとは思いながらも、後戻りできない状況になっていることから、強いことは言えなくなるし、何より精神的に圧迫感を覚えるだろう。

なおかつ、拍車をかけて、竿竹を裁断した事業者Aが強い口調で迫ってくるわけだ・・・

(民法96条1項に言うところの「強迫」に基づく意思表示の取消の可能性を考える生徒はいた。色んな考え方はあるけれど、つぶさに要件・事実を精査していくとあてはまらない。当該意思表示自体は、相手方による強迫行為によって生じた畏怖の感情に因ってなされたわけではないので・・・・)

 

まずもって、主婦Bには正常な判断を下すための精神力にブレが生じるし、おかしいとは思いながらも、具体的に何がおかしいのかを論理的に突くための知識もなければ自信もないであろう。

しかも、自分の家の中だぞ。何をされるかわからない恐怖感もひとしおであろう。

そういうことを全て熟知した上で、弱者から高額の金銭を巻き上げようと企むわけである。これが「悪質」と呼ばなくて、なんと呼ぶべきか。

 

幸い、この「竿竹『にきゅっぱ』事件」の解決は簡単であったが・・

 

 

こういう下衆を断罪し、弱者を救う方法を探す道というのは・・・

往々にして・・・

結構、イバラの道やったなぁって・・思うのね。

 

 

 

「景嗣放浪記」では過激な発言をしまくっている僕だけども・・・

 

ホントは、僕はお人好しで優しい人間なのかもしれない・・

 

 

この世は、なぜ・・・・

 

弱者を救おうとする者には多大な困難さが生じ・・・

 

強者の味方をする方が断然簡単なんだろう・・・

 

 

こんなのは当たり前だ。キレイごとを言って申し訳ないけども。

 

 

弱者を救おうとして強者に立ち向かい傷つけられて・・・

守ろうとした弱者へ手を伸ばしたら・・・

皮肉にもその弱者によって、伸ばした手をハタき落とされて・・・

気づけば、自分が何者かわからんくなって・・・

 

 

何もかもが虚しくなっちゃうよね・・・

見返りを求める思考が不純であることを弁えた上だが、

これが何とも虚しい。

やってられなくなる。マジで。

 

前職でも

守ろうとした人間に後ろから刺されるようなマネをされたっけ。

 

何でなんかな・・・・

もう、しんどいって・・・

 

そもそも、何で僕は、「弱者」とか「悪徳業者」とか、「稚拙な善悪二分論的な視座」でモノゴトを見てしまったんだろう・・・

弱者に同情してしまう僕の心は弱いのか・・

悪徳業者を許せないと思う、正義感は吐き捨てる程の価値しかないのか・・

すべて・・何らの懸け値もない感情かもな・・

 

 

とか、思うたびに、己の未熟さが露呈する。

堂々巡りだ・・・

 

どっちみち・・・

今の僕には、もはやそんな力も可能性もない。

 

静かに死を待つだけだ・・・

 

 

目を閉じよう。

誰もいない世界でボンヤリと眠っていたい・・・

静かに・・・

 

以上

景嗣

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