景嗣、「オヤジ狩り」にあって・・・ その2

どーも、景嗣です。

 

はい、「オヤジ狩り」の話の続きですなぁ。

本稿は、「景嗣、『オヤジ狩り』にあって・・・」シリーズの「その2」である。本稿を読み進めるにあたって、前稿「その1」を事前に読んでおく必要がある。

以下、「その1」のリンクを貼っておく。

各自確認されたい。

景嗣、「オヤジ狩り」にあって・・・ その1

 

僕、景嗣は、金髪で黒マスクの、サバイバルナイフを持ったチンピラ3人組に襲撃されたことがある。機を見計らって、自転車をブン投げて3人のうちの2人をブッ飛ばした。残った1人には手を一切掛けていないものの、敵勢力の戦意を削ぐことができたようで、撃退することに成功した。

こういう経験を経て、色々と思うことがあって・・・・

前稿「その1」では、「心理的な安心感の減殺」や、少林寺拳法の特徴のうちのひとつ「不殺活人」やら「知略」なりを取り上げて、「武的要素」を中心に話を広げさせてもらった。

 

今回は、少し、社会学的な方向に話を持っていけたらエエなと思う。

 

最近、僕の周りで・・・・

「街中でイザコザに巻き込まれそうになった、あるいは実際に巻き込まれた」という類の話題がよくでる。

 

個人的な見解にはなるのだが・・・

 

最近、少々頭のイカれている連中が多いような気がするのだ・・・

 

一例を挙げるなら・・・・

 

僕が通う道場の先輩拳士が言っていたことだが・・・・

 

その拳士がバイクに乗って走っていると、後方から若者のライダーが急スピードで近づいてきて、その拳士の「真横」を猛スピードで追い越したのだという。

その「真横」というのが、それこそあわや接触し、事故になりかねないレベルの接近具合であったという。

良かったのが、この拳士、そのライダーの気を未然に感じ、ハンドルを反対側に切って接触を避けたのだという。

 

「危なかった・・・・」

その拳士が「ふぅ、やれやれと」一息ついていたのも束の間・・・

 

その拳士を追い越して、数十メートル先まで一気に走り抜けていたライダーが、今度は急に引き返してきたのだという。

 

「謝罪しに来たのか??」

当然、その拳士はそう思うだろう。

ところが・・・

 

 

「おいッ!! オッサぁンッ!! 危ねぇやろがぁ!! 俺が走っとんねんから、さっさと道を空けろやぁ!! ボケナスぅ!!」

 

 

怒り狂ったように、その拳士に罵声を浴びせに迫ってきたという。

 

流石にその拳士も、内心かなりブチギレたようで・・・・

 

「履いていた靴を脱いだ」という・・・

 

少なくとも武道経験者なら、何となく共感できる行動だ。

すなわち、道場で養っている運足・蹴りの感覚を爆発させるために素足になるのである。

おそらく、僕もこういう状況に出くわしたなら、靴を脱ぐであろう。

心の中で「ブッ殺す・・」と念じながら、だ。

 

「何や、このオッサン?? 靴なんか脱ぎよってからに。頭おかしいんとちゃうかぁ!!??」

(や、頭がおかしいのは貴様だろうがwwww)

 

その頭のイカれたライダーは上記捨てセリフを残して、再びバイクを走らせてその拳士から離れたという。

おそらく、このライダーがバイクから降りて立ち向かっていたなら、その拳士によって血祭りにあげられていただろう。

その拳士もこの件については、さすがに殺意が湧いたというのだから・・・

 

まぁ、多少詳細をハショルが、「何かコイツ変だな」と思うやつは結構よく見るし、耳にする。ここ最近。

 

フーム・・・・

まぁ、こういう連中はほんの一部の人間であって、社会のみんながみんなこういう奴で構成されているわけではないが・・・・

 

最近、頭のイカれた連中の話が身近によく出るようになったなぁって思うのね。

 

何が原因なのか・・・・直接的であれ、間接的であれ、原因はいくつか想像できる。今の段階では、構成がまとまってないのと、紙幅の都合のため、取り上げないが・・・

(いつか「景嗣放浪記」において、その原因について、ボーッと考える稿を執筆してみてもよい)

 

 

まぁ、要するにさ・・・・

 

「まさか、そんな通り魔やら無差別殺人鬼に襲いかかられるなどの大惨事に、自分は巻き込まれることはないだろう」と一般大衆は思っているかもしれんが、そういうケースが現実的に我が身に降りかかる可能性が結構あるかもしれない、ということだ。

 

日本人ってのは、良心的な民族で、

基本的に「性善説」の考え方で動いているように思う。

「隣人はきっと悪い人じゃない」と意識的には思わなくても、

潜在的に気を緩めている節はないだろうか。

島国に住み、農耕文化をオリジンとする民族独特の性格なのだろう。

(もしかしたら、平和ボケがそうさせているのかもしれん。必ずしも「日本民族」というブランドが起因しているわけでもないような気もする・・・)

 

ところが、情報化社会・グローバル化社会に突入して、色んな刺激を受け、人間に何かしらの変化が生じているような気がする。

 

おっそろしく頭のイカれた連中が増えた。

 

そういう奴が、読者の隣を歩いていてもオカシクない・・・・

 

ロボット化が進んで、今後の警察・警備活動において、事件の未然防止活動に大いに期待できるという意見もあるが・・・

事件に巻き込まれるリスクがゼロになるわけではない。

(僕から言わせると、「事件防止のシステムが整った」というアナウンスを受けて、国民が油断しているときこそ最も危ないのである)

 

 

「最終的に自分の身を守れるのは、自分なのよ」

何よりさ・・・

「自分の非力さゆえに、大切な人を守れなかったら・・・ それこそ情けないよ」

 

 

「いつ変な奴に襲われるかわからんから、周りの状況をなるべく観察しよう」

いっつもこういうことを考えていたら疲れちゃうけども、意識的な危機管理はした方がいい。

 

ほんで、

マニュアルを捨て去り、「知略」を鍛えよ。

仕事もそうだが、何事も結局は置かれた状況に応じた対応が求められる。

臨機応変さというか、「柔軟性」を養うのだ。

現代人ってさ、メートル法というか杓子定規にモノゴトを推し量る奴が多いやん。

(↑何も思考することなく「それが常識だ」と言ってむしろ威張っている奴は、ホントつまらん。帰れボケナスwwww)

「柔軟性」を意識的に身に着けるよう、心がけて頂きたい。

 

また、これが難しいのだが、臨機応変な対応をする思考力があったとしても、過度に緊張してしまうと、「冷静さ」を欠いて己の本領が発揮できない場合が多い。「緊張」の中においても「冷静さ」を保つという意味での「柔軟性」も必要である。

 

危機管理という「緊張」と

柔軟な、「弛緩的な」思考に基づく「知略」と「冷静な判断」・・・・

 

「緊張」と「緩和」をよりウマくコントロールしていく能力が必要であろう。

 

 

最終的にこのコトバを言いたかってんけど・・・

「弛緩的緊張」をしっかりと養って頂きたいものである。

現代社会を生きていくならば・・・・

 

 

「Aくんよ。最近、頭のおかしい輩が多くなってるから、街を出歩くときは十分に気をつけるんやで。ところでAくん自身は、変な奴に出くわしたなどの経験はあるかな??」

 

A「えっ、今のところそういう経験は・・・ あっ、あります、ありますよ。超ド級に危険な思想を持っていて、なおかつ仮に襲撃されたらひとたまりもなさそうな人、居ましたわ」

 

「ほう、どんな奴かな??(興味津々)」

 

 

A「決まってるじゃないですかぁ。景嗣さん以外に誰がいるんですかww」

 

「ッ・・・・・・」

 

 

(´;ω;`) (´;ω;`) (´;ω;`)

おっふ・・・・

さて、景ちゃん、今日も枕を濡らしまする。

wwwwwww

以上

景嗣

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