善悪の彼岸ー「仮面ライダーブラックRXから見る」その2
どーも、景嗣です。
本稿は、「善悪の彼岸ー『仮面ライダーブラックRXから見る』」シリーズの「その2」である。
本稿を読み進めるにあたって、前稿「その1」の内容を押さえておく必要がある。特に「その1」における「最終回動画のくだり」を読んでおかないと、本稿の話がまったくわからんよ。
以下リンクを貼っておくので各自確認されたい。
「俺は太陽の子!! 仮面ライダーブラァックッ!! R,Xッ!!」
↑とりあえず、言ってみたwwww
さて、「仮面ライダーブラックRX」の作品を表面的に見ると、地球を侵略せんとする「クライシス帝国」は絶対悪である。その「クライシス帝国」の魔の手から地球を守るために、絶対善「仮面ライダーブラックRX」は戦う、という勧善懲悪的な構造が採られていそうである。
ところが、最後のRXとダスマダー大佐との掛け合いの部分を見ると、どうやらクライシス帝国側にも「それなりの事情」があるらしい。
クライシス帝国の民たちが住む「怪魔界」が滅亡の危機に晒されているという。
「怪魔界」が急激なスピードで破滅に向かっている背景には、「地球の人間たちによる環境破壊」が原因にあるというのである。
「地球」と「怪魔界」は表裏一体の世界。運命を共にする両世界がお互いにバランスを取り合っていたものの、「地球の人間たちによる環境破壊」が原因となって、そのバランスが崩れ、そのしわ寄せが「怪魔界」に押し寄せてきたという。
このままでは「怪魔界」が滅亡してしまう。クライシス皇帝は、「怪魔界」に住む50億の民の命を救うために、クライシス帝国の民たちを地球に移住させる計画を立てた・・・・
「怪魔界を滅亡の危機に追いやったのは、愚かな人間たちだ。ゆえに我々50億の怪魔界の民が地球に移り住むことを甘んじて受け容れろ。たとえ地球に住む人間たちの平穏を害する結果になっても、だ!!」
これが、彼ら「クライシス帝国」の言い分である。
ただ、RXの証言によれば、「怪魔界」が滅亡の危機に瀕しているのは、クライシス皇帝による横暴な政策が原因であるとのこと。
ここら辺の事実の真偽が不明であるが、もとを辿れば人間の環境破壊が原因であることは間違いないようである。その証拠に、それをダスマダーに指摘されて、RXは沈黙せざるを得なかった・・・
クライシス帝国側の立場に立って、彼らの言葉を噛み締めてみると、彼らは彼らである意味被害者であり、可哀そうな側面もある。
「善悪」というバイアスを取っ払って、もう一度対立する勢力の性質を見ていく。
クライシス帝国に侵略されそうな地球。地球とそこに住む民の命を守るために戦う「仮面ライダーブラックRX」という勢力。
人間による地球の環境汚染によって死滅させられそうな怪魔界。怪魔界とそこに住む民の命を守るために戦う「クライシス帝国」という勢力。
果たして、両勢力に「明確な善悪の性質付け」が可能なのであろうか・・・
思うに、両者とも、「守る者のために命を賭して戦う勇者」であることに変わりはない。
一見「真逆の性質」と思われる善と悪も、突き詰めれば、「まったく同じ」なのではないか??
そもそも誰なのだ?? 「RXが『善』であり、クライシス帝国が『悪』だと決めつけたのは・・・」
以前「景嗣放浪記」のブログ記事で、上記のような疑問に対する答えというか、ヒントのようなものを提示させて頂いたことがある。
以下リンクを貼っておく。各自確認されたい。
本ブログを毎日欠かさず見てくれている読者ならば、もうわかるだろう。
この「景嗣放浪記」においては、「誰が悪で誰が善になるべきか」といったプリミティブな次元の話など、もはや取り上げる必要などないと考える。
もし、それに対する一応の解答が欲しければ、くれてやる。
一行の文で足りるわい。
「観察者の執着がもたらす、都合のいい偏った解釈によって決する」
クライシスの50億の民ならば、どう考えるかに思いを巡らせてみれば簡単だ。おそらく、自分らの命を救おうとするクライシス皇帝を「善」とし、それを阻むRXを「悪」とするだろう。
「善悪」なぞ、観察者の置かれている立場と見方によってゴロゴロ変わる。
それだけのことだ。それ以上でも以下でもない・・・
「誰が善で、誰が悪か」という外野のガヤに関する議論なんぞ、何の価値もない。
んなことは、どーでもいいんだよ。
「景嗣放浪記」ではもう少し踏み込んだ話をしたい。
本稿表題に示してあるように、「善悪の彼岸」すなわち、「善」とか「悪」といった浅はかなクラシファイングを超えた、「その向こう側の話」ができたらいいかな、と思う。
そうさなぁ・・・・
少林寺拳法の開祖・宗道臣は、人生の在り方というのは、まるで漢字の「行」の字のようであると説いた。
その心はこうである。
「強き者が弱き者を背負い、互いに向かい合っている」というのだ。
どうやら、どういう立場に立っている者であっても「守るべき者」がおり、自分の立場とは相容れない「敵対勢力」が存在する。そして、お互い「守るべきもの」を守るために、「お互い睨み合う」と解釈できる。
もしかしたら、
心ある生命にとって、各勢力の対立関係が生まれて争いが生じるというのは、「この世の常・世の中の理」であって、ある意味不可避のシナリオなのかもしれない・・・・
自分が居て、その背後に守るべき尊い命があって。
目の前には、自己勢力と相対する勢力が存在して。
その反対勢力の背後にも尊い命がある。
両勢力ともに利益相反の関係、ひるんだら相手勢力に大切な者たちの命を奪われかねない。
これが世の常、この世の理とするなら・・・・
目の前にいる相手勢力にも守るべきものがいることを十分理解して・・・
「睨み合う」のではなく、一旦「微笑み返し」てみてはどうだろう。
ほんで、テーブルとイスを用意して、コーヒーでも入れて、ひとまず話を聞いてやるのである。相手がどう出るかわからんが、とりあえずそっから始めてみてはどうだろう。
「バカな!! そんなことは不可能だ!! 非国民め!!」
まぁ、実際問題、難しいかもしれんのう・・・
僕自身、社会に出て「己を殺しに来た相手に微笑み返す」ことの難しさを改めて痛感している。努めてそうやってみても、いい結果にならんことの方が多いかもしれん。
まぁ、ただ、「仮面ライダーブラックRX」の作品を見てると、「コイツら、あまりにも下手クソ過ぎるやろ」と思ってしまうのである。
怪魔界が人間による地球の環境破壊によって滅亡の危機に瀕しているという状況を受けて、クライシス帝国には採るべき選択肢が結構あったように思う。
地球の人間たちに怪魔界の状況を説明して、環境破壊に歯止めをかけてもらうよう直談判する。歯止めをかけるのが無理であっても、怪魔界の現状を知ってもらうことに意味がある。
怪魔界の民たちを地球に移住させるにあたって、人間と共存するような仕組み立てをつくるよう提案していく。
それが否決されても、「テラフォーム」よろしく、新しい惑星をつくり、そこに怪魔界の民たちを移住させ、惑星製作のためのコストのいくつかを人間たちに負担してもらうように交渉する。
など、だ。上記はほんの一例に過ぎない。まだまだ採れる選択肢はあるはずだ。そんな、むやみに人間を抹殺し、嫌がる相手の意志を無視して地球を侵略せざるを得なかったわけでもないだろう。
また、RXや人間側も下手クソだ。
クライシスの攻撃を受けて、「どうしてコイツらは僕たちを襲うのだろう??」と、つゆとも思わなかったのだろうか。
戦いの最中でも、クライシスの手下たちに事情をシツコク聞けば、地球を襲う真意を吐露する機会もあっただろうに・・・人間にも悪かったところがあるとわかれば、それなりにクライシスの主張にも耳を傾けてやれたかもしれんというのに。
もし、怪魔界が衰えた理由がクライシス皇帝の横暴な政策であるとするならば、クライシス勢力に当該政策によって怪魔界が衰退した相当な理由を示す証拠のようなものを提示する努力もできたはずではないか。
結局、RXがクライシス側の真意・事情を知ったのは、最終回ではないか・・・
時すでに遅し・・・ や、遅すぎるやろ・・・・
クライシス帝国には、それ相応の交渉力や提案力、説得力がなかったのかもしれない・・・・
RXには、それ相応の情報収集力や懐柔力、許容力がなかったのかもしれない・・・・
いや・・・
両者ともに共通言語でコミュニケーションを行い、論理を組み立てることができる高度な生物・・・・ 上記のような『力』は両者とも身についているはずだ。
思うに・・・
両者ともに、「憎しみ」や「傲り」という忌まわしき感情を制御する『力』がなかったのではないか・・・・
侵略されては、「憎しみ」を増大させ、報復を行う。
Win×Winの関係を築く方向性を度外視して、だ。
相手のバックグラウンドに守るべき者がいることを忘れ、実力行使することに何らの後ろめたさを感じない・・・・
「貴様ら、ゆ”る”さ”ァ”ん”!!!!!」
両者の大切なモノが奪われていくにつれて、それらの負の感情は苛烈化していく。気が付けば、後戻りができなくなり、絶対対立構造が浮き彫りになってくる・・・・
それを見て、外野が「善だ!! 悪だ!!」という、つまらん評価を下す。
思うに、外野に「善か悪か」という評価の余地を与えてしまう段階に来た時点で、両者は「憎しみ」と「傲り」の感情を制御する『力』が無かったと判断してもいい気がする。
そういう文脈において、クライシス帝国は勿論、仮面ライダーブラックRXも「愚か」であり、「弱卒、非力である」と言わざるを得ない。
少林寺拳法には「力愛不二」というコトバがある。
「力の伴わざる愛は無力なり、愛の伴わざる力は暴力なり」
思うに、両者とも確固たる『正義・愛』(守るべきものを守る) を胸に宿していたものの・・・・
両者共存の道を模索する『力』がまるでなかった。
ゆえに、どちらかが滅ばなければならなかった。
心ある生命どうしの生きる道としては、バッドエンドであるとの謗りを免れない。
(ここが面白いのだが、読者によっては、両者は『光と闇という強力な力』があって、『相手民族の幸せを想う愛』が足りなかったのでは?? と思う人もいるだろう。一見『力』と『愛』は相対する概念のように見えて、厳密に両者を突き詰めてみると、両者の峻別の境目がわからなくなるものである。「善悪」の峻別もそうだが、こういう話に面白さを感じる読者は、是非前掲ブログ記事「モノゴトの両極性について」を読んで頂きたい)
仮面ライダーブラックRXのカッコよさに憧れるも・・・
彼らの「生き方の下手クソさ」を反面教師にして、何かしらの教訓を得る必要があろう。
思うに、こういうヒーロー物語は、子どもは勿論、大人になっても重大な課題をダイレクトに突き付けてくるものである。
もしかしたら、僕がもっと人生経験を積んで齢を重ねていって、この「仮面ライダーブラックRX」の作品を再度見返したとき、また違った見方を提供してくれるかもしれない。
さて、本稿を読み終えた時点で、RXとクライシスとのバトル映像をアップしておく。これを見て各人、改めて何を思うのだろう・・・・
静かに各人の胸にしまっておいてほしい・・・・
『力愛不二』
半ばは自分の幸せを考え、半ばは他人の幸せを考えられる「愛 (力) 」と・・
両者共存できる道を模索し提供する「力 (愛) 」を・・
身につけられるように、日々精進致したいものである。
以上
景嗣