「人は何故、大自然に癒されるのか」について その1
どーも、景嗣です。
皆さん、旅行とか好きですか??
僕はすんごいインドア主義なんで全然旅行には行かない。
ぶっちゃけ、旅行というカテゴリーにまったく興味がない。
ただひとつ、旅行というジャンルにカテゴライズされる話の中で興味が湧く議題がある。
「大自然に身を置くと、何だが癒される」という類の話題である。
そういう類の話題の中で、
ある者は、「社会生活のストレスをデトックスすることができた」と、感覚的な感想を述べるし、
ある者は、「広大な草原や遥か大空に向かってそそり立つ山々のスケールのでかさを目の当たりにしたら、自分の悩みなんて小さく思えたよ」と、ちょっとした思索にふけたりする。
まぁ、どういうスタンスで他人に表現するのかは、人それぞれだと思うが、およそ各人に共通して、「何らかの癒し効果」が心身の中で起こっているように思う。
「空気がおいしい」とか、「川の流れる音は風情があって、心落ち着くね」とかだ。
少なくとも、大自然に身を置いて、心身の中でマイナスの作用が起こることはまずないだろう。
「大自然」という環境に何かしらの癒し効果が認められるように思う。
今回、「景嗣放浪記」では、「人は何故、大自然に癒されるのか」という問いを立てて、それについてベラベラしゃべることにする。そこで何かしらの仮説が得られたならば、これ幸いである。
ただ、本稿では、「〇〇イオンという物質が、大自然の空気の中により多く含有されていて・・・」といった、物質・化学的なトークはしない。
そういうトークがしたければ、専門家の門を叩いた方が良い。
僕、文系だからさ・・ んなこと知らねぇからさ・・
本稿では、飽くまで、「人間の思考パターン」というか「心理」というか、哲学的な話ができたらいいかなと思っている。
「景嗣放浪記」を毎日見てくれている読者なら、何となく予想してもらえるだろう。「景嗣自身の経験則なり、考え方」を通じて、僕なりに好き勝手にグダグダとしゃべるスタンスだ。
最終的に得られた示唆というか仮説みたいなものが、読者にとって、何らかの気づきを与え得るものであったならば、「儲けモン」くらいの感覚で読み流していってもらえたら幸いである。
飽くまで、僕の好きなことについてベラベラしゃべるだけだ。
それでは始めよう。
「抜刀」
さて・・・そもそも何故僕が「人は何故、大自然に癒されるのか」という問いについて、思索にふけってみようと思ったのか。
その動機について少し触れておこう。
ここ最近・・・・
建造物やら、物やらから、声が聞こえてくるのである・・・
しきりに僕に自己紹介し始めるのである・・・
「僕はコップ、食器の一種だ。主に飲料水を注ぎ入れて、『人間が』その飲料水を飲むために作られたんだ」と、コップが僕にしゃべりだす。
(「景嗣よ・・・いよいよ頭がおかしくなったか・・・」 いえ、いたって正常です。ご心配なく。ただ、頭がおかしいのは相変わらずですがねwwww)
ガラスやプラスチックとかは、まだ自己紹介の声がうるさくない。
大変なのは・・・SSとSUS材で作られている物を見かけたときだ。
「ヤッホー、僕はテスリだよ。言わずもがな、『人間』が階段の上り下りをするときなどに僕に掴まって転び落ちないようにするための設備さ」
「材質はSUSで、雨の日も錆知らずさぁ!! 表面処理は2Bでもいいような気もするんだけど、お客様が僕に見たり直に触れたりするじゃない?? だから、『人間』が気を遣ってさ、表面をHCrに仕上げてバフ研磨まで施しているんだ。スゴイでしょお!!? ピッカピカだろう!!? んでさ、んでさ、だいたいはキレイなウロコで溶接してるんだけど、この部分は特殊な機械加工が要るから、この部分は外の会社で加工してもらうの。スゴイでしょー。ほんでさ、ほんでさ。この部分は、別の表面処理のヘアーライン仕上げを・・・」
前職で、さんざんSSとSUSを取扱っていたせいもあるのか・・・
SSかSUSに出くわすとソイツらの自己主張がとにかくウルさい。メマイがして仕方がない。完全なる職業病である・・・
挙句の果てには・・・
「僕はさ、屋外に設置されている平面のテスリだからさ、錆が如実に表れるから、SUSなんだけどさ・・・ アソコの建物の中に付けてあるテスリを見てごらん。あれは滅多に濡れないから、SSなのよ。表面をメッキ処理して、SUSの僕に似せてるけど、別物なの。 何でかって?? そりゃ、一般的に僕みたいなSUSより安物だからさ。少しでも原価を下げるために『人間』がアソコのテスリの材料費をケチってるんだよ。試しに板厚を見てごらん。SUSの規格にはない厚みをしているからさ・・・・ 僕ってスゴクなぁい?? (何とも奇怪なドヤ顔である・・・)」
頭がイタイ。そのSUSのテスリが他人であるSSのテスリを巻き込んでベラベラと取り留めもない自己紹介・他者紹介を雄弁にしゃべりだす。しゃべりかけてくる内容も材料費・工費といった原価レベルの話まで落とし込んで深い話をしてきやがる。
仕様書どおりの作りなのかどうかは知ったことではないが、偽造工作の可能性までも告白し始めてくる。参ったな、こりゃ・・・
都会の駅構内を歩きだしたら、周りにある物という物がしゃべりまくって、頭がカチ割れそうになる。
まぁ、半分冗談だが、色んな設備・部品がしきりに僕に話しかけてくるわけだ。それも膨大な情報量を、だ。
まぁまぁ疲れてくる・・・
これのせいもあるのか、最近都会の町を歩いているとメマイをもよおすことが多々ある・・・
とはいえ、
僕の情報処理能力は低いわけでもない。
前職では、まったく興味のない分野の仕事内容・部品材質に関する知識をわりとしっかり吸収していたように思う。
なんでこんなにも都会を歩くのに、相当なエネルギーを要するようになってしまったのだろうか・・・・
その答えらしきものを見つけるきっかけがつい最近あったのだ・・・
都会の街並みをすり抜けて辿り着いた公園。
周りの設備の・部品のウルサイ声に僕はわりと疲弊していた。
その公園のベンチに何となく腰かけて、辺りを一瞥した。
ふと、目の前にあった樹木に焦点が合ったとき、
「ハッ」と感じることがあった・・・・
そろそろ文字数がエエ具合になってきた。
とりあえず、本稿を「その1」と位置づけて、明日以降に「その2」を執筆し投稿することにしよう。
続編、お楽しみにしておいて頂きたい・・・・
続く
景嗣
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