「ソリタリー」について、フリートーク

どーも、景嗣です。

 

読者諸君は、「ソリタリー」の存在を知っているだろうか。

表題でも示しているように、本稿では、「ソリタリー」なるものについて、自由にベラベラとしゃべることにしよう。

 

この「ソリタリー」の存在が地上波TVにて発信された番組の代表例として、明石家さんまがMCを務める、「ホンマでっか!? TV」が挙げられる。

 

そもそも「ソリタリー」とは何であるか。なるべく語弊を避けて説明すると、

「孤独を苦とせず、むしろ孤独でいたいと思う、個体に稀に見られる特殊な性質のことを指す。この性質を持つ個体は、一般的な個体が群れを成して社会的な行動を採る傍ら、群れをなさない。群れをなすことに必要性を感じない」

 

ざっくり言うとこういう性質を指す。

 

友達を作りたいと思っていても、不器用ゆえに友達ができずにボッチでいる、という類の個体とは全く違う。「孤独で居たい」というのが潜在的な欲求であるため、友達をつくるインセンティブがそもそも自分の中にないのである。

 

もう少し、専門家のコトバを引用してみよう。こういうのはミスリードがあると困るゆえ。

 

以下、かの有名な脳科学研究者、澤口俊之教授の言表を引用する。

 

「生物学をやっている人間にとっては常識なんですけど、『ソリタリー』を持つ人は必ず居るんです、人類史で。『ソリタリー』の方は友だちなんか作りたくないはずなんです。無意識に友だちを遠ざけているんです。『ソリタリー』というのは人類進化上、非常に重要な役割を担っていたってことが最近の研究で分かっています。色んなところで一人でやるので、独自の考えを持ちやすいのと、同調しないし、新しいものを見つけたり、必要なんですよ。ですから『ソリタリー』の方が居ないと人類は進化しなかった、という進化論もあります。友だちなんか要りません」

 

なるほど、群れを成すことを避け、社会性を犠牲にする。その代わりに群れを成す人間には有し得ない、自分独自の発想・発見によって、回りまわって人類社会の永続発展に寄与し得る存在かー・・・・

 

人類史上において、パッと思い浮かぶのは、「クリエイティブな偉業を成し遂げた人物たち」であろう。

 

アインシュタインやエジソンなど・・・人類史上において、前代未聞のクリエイティブな発明をした偉人たちほど、学校などの社会生活にせせこましさを感じて社会の輪に入らなかったり、何気ないコミュニケーションもままならないといった意外なエピソードが残っているものである。

 

そういった雲の上の偉人たちに限った話でもなく・・・

 

僕は、とある私大の大学院の修士課程を修了している。実力がピンからキリまでの研究者を見てきた。優秀であるか否かを問わず、研究者はどこかしら「ヌケている」部分が多いように思う。僕の経験上、そう思う瞬間が多かった。

 

僕の論文の指導教授は、まぁまぁヒドかったかなぁ。。。

 

約束時間には必ず遅れるし。

担当講義の教室番号をいつまで経っても覚えられないし。

研究室に忘れ物を何回も取りにいったり。

神経衰弱やらしたら、ぜんぜん覚えられないし。

 

「なーんか、ヌケてんだよなぁ・・・」

 

まぁ、日常生活のヒトコマを切り取ったら、ヌケている部分が多いものの、こういう類の人たちであるからこそ独創的な発想をすることができるのかもしれない。ゆえに、彼らの発表する論文・研究成果には、一般人では創り得ない独自の付加価値が付くわけである。

 

 

ここでふと思うわけだ。

 

僕、景嗣もこの「ソリタリー」の性質を持っているような気がする、と。

 

正直、友達がたくさんいるとかいないとか、僕にとってはどーでもいいのね。あんまり興味ない。むしろ、たいていの飲み会に付き合ったときに、モノスゴイ疲れるというのが素直な感想だ。

まぁ、自分の思想に何かしらの影響を与え得る存在であれば、友達になりたいし、てづから飲みに行きたいと進言する。

まぁ、もとより人としゃべるのが苦手だ。拳法をやっている人間のクセに、人の顔を真正面から見るのにかなり心理的な抵抗がある。

 

そして、本ブログ「景嗣放浪記」の読者であれば、もうおわかりだろうが。

 

僕、景嗣は、一般的な社会人がするであろう思考パターンとかなり違っている。

群れを成さないゆえに、独創的な発想、思考パターンで世の中のことを眺めて、自然にクリティカルな意見を持つようにしている。

そういう思考パターンが、回りまわって社会に寄与し得るのかどうかはわからんが・・・・十中八九、一般人がしないであろう思考パターンが身についているし、一般人が知らないであろう知恵・知識をいくつも持っている。

 

まぁ、正直、「ソリタリー」に関する議論を取り上げた記事を読んで、「これ、僕そのものじゃないか」と直感的に思ったね。

 

さて、

ここからは、一般的に言われる「ソリタリー」の特徴の話をするのではなく、限りなく「ソリタリー」の性質を持つ僕の、「ソリタリー」の性質を持つがゆえの性格パターンをひとつ紹介しておこう。

 

なお、飽くまで僕個人が、「ソリタリー」に関連しそうな、僕独自の経験則上の思考パターンを紹介するに過ぎない。「ソリタリー」の性質を持つすべての人に必ずしも当てはまる話でもない。

 

ここからは、( ´_ゝ`)フーンくらいの心づもりで見ていってほしい。

 

 

一般の人が持つ興味のスタンスが「浅く、広く」とするならば、

 

「ソリタリー」の人が持つ興味のスタンスは、往々にして、「狭く、深く」のような気がする。

 

 

そもそも、「友達がいるいない」に気を病む人種の深層心理には、「社会的な他者との関係における自分の位置づけやら、他者そのものに対する『興味』」が少なからず存在するように思われる。

 

「ソリタリー」の人が友達の有無について気に病まないのは、そもそも自分が持ちうる興味の範囲が狭く、「人間に対する興味自体が、自己が持ちうる興味の範疇の外にある」のではないか。

少なくとも僕はそうである。たいていの人間に興味がない。

僕が興味を示している人間は大したもんである。

「景嗣賞」を贈呈したいものだwww

 

 

まこと、恥ずかしい話であるが、僕、景嗣は自分の専門外のジャンルに関する活動に対して、極端に集中力を発揮できない。

 

これが人生25年の中での大きな悩みであったが、よくよく考えた時、僕が集中力を発揮できない事柄は往々にして「全然、興味ねぇよ」と思う対象ばかりであった。

 

前の職場での購買業務は・・・ 後半戦以外の業務については、まったく興味がなかった。ゆえに、集中力を全然発揮できなかった、というのが正直なところである。

 

よく、前の課長に「オマエ、ボーッとすんなよ!! ボケッ!!」と、よくブチギレられてたっけなーwwww

(まぁ、今となっては、いい思い出であるwww)

 

あまりにもボーッとしてたこともあったのか、しょうもない輩に「景嗣は発達障害だ。気持ち悪い」と陰口を言い振らされていたりもした。

(俺の耳まで届いてんだよ、クソダボ共が。辞め際に顔面を数発殴っていればよかったなー)

 

 

その代わり・・・・

 

ドンピシャで自分の専門に関する活動については、「異常なまでの集中力」と「探求意欲」を発揮する。

 

少林寺拳法・武道はホントにいい例で、興味をもったらトコトン突き詰めたくなる。

それこそ、時間なんて簡単に忘れるほどに。

 

大学院時代に執筆した修士論文。集中がしっかり入ったら最後、力尽きるまでずーっと作業してたっけな。それこそ、深夜から次の日の朝方にかけて気絶するまで、ずーーーっと。

(家で作業する場合はこういう状態になることが多かった。研究室ではあんまりこういう研究の仕方はしていなかったが・・)

 

本ブログ「景嗣放浪記」の記事執筆も同義である。タイピングし始めたら、やめられない止まらない。「カッパ海老せん状態」である。

(今、朝の3時であるwwww)

好きなことについて思索し、ひたすら文章化していくことが本当に好きみたい。

食事することも、睡眠することも簡単に忘れてしまう。

 

 

周りの一般人からしたら、「正気の沙汰」ではないだろうが、当の本人からしたら、これが普通なのである。

 

僕からしたら、一個のことに極度の集中力を発揮することの方が簡単だ。むしろ、一般人が得意とするようなマルチタスクが死ぬほど苦手である。

 

 

以上のような、興味のスタンスが「狭く、深い」というのは、全ての「ソリタリー」には当てはまらないかもしれないけども、「ソリタリー」に近い僕自身の経験と傾向から、「ソリタリー」にはこういう特徴があるんじゃないかと、感覚的に思うわけ。

 

一見、変人だけども、使い方次第では大いに社会貢献し得るよね、やっぱり。

 

 

生物学上、かつての人類史上、進化の過程の中で必要な因子とされた「ソリタリー」。この現代社会においてこのような性質を有する者は僕だけではないはずだ。「ソリタリー」を有する人は、結構たくさんいらっしゃるように思う。

 

しかし、肝心の、「ソリタリー」が活躍できる場面というのが極端に少なすぎるのではないか・・・

 

そりゃ、経済活動の根本は人と人とのやりとりだし、「孤独になりたがりぃ」で「興味のスタンスが自分勝手」の人間にとってはかなりセセコマシイ世の中に感じる。何より社会構成員の中では少数派であるし、団体行動の中での「ソリタリー」は周りからメンドくさく思われがちである。それゆえにどうしても理解を得られにくい。

 

 

なんかさ・・・

少しでも、僕みたいな「ソリタリー」の性質を有する人にとって、活躍できる場面をさ、見出していきたいよね。

だってさ・・・生き辛いんだもん・・・ホンマに・・・・

 

 

 

本ブログで、「早死にしたるわい」とは何べんも言うとるけども、やっぱり数年は生きなければならないわけで。せっかくなら、残りの人生、自分の能力を有意義に使ってみたいのね。願わくば、自分の能力を有意義に発揮できるステージを見出していきたいなと感じるのである。

 

とりあえず、好きなことを継続してやり続けてみよう。

 

それがいつしか、僕の活躍のステージになるかもしれないから。

 

ひいては、僕と同じ悩みを持つ人にとって、僕自身がガイドラインになってあげられるかもしれないからさ・・・

以上

景嗣

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「ソリタリー」について、フリートーク” に対して1件のコメントがあります。

  1. くろず より:

    私もソリタリー気質で人と関わって生きたいとは思いません。
    人と関わって生きていくことができない自分に嫌気が差していました。
    しかしこの記事を読んで、少し心が落ち着きました。ありがとうございます。

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