「煩悩クリエイター 稲田ズイキ」 襲来 その2

どーも、景嗣です。

 

 

本稿は、前掲ブログ記事「『煩悩クリエイター 稲田ズイキ』 襲来 その1」の続編に該当する。

 

前稿で予告したとおり、本稿ではいよいよ、景嗣と稲田ズイキ副住職が繰り広げた「仏道を通じた人生問答」について思い出す限り書き記しておきたい。

 

「稲田ズイキ」?? 誰やねん、ソイツ??

という方は、前掲ブログ「その1」を要参照である。以下リンク

「煩悩クリエイター 稲田ズイキ」 襲来 その1

 

さて、本稿執筆にとりかかろう。

先に言っておくが・・・この時、僕はベロベロに酔っぱらっていた。いざ執筆にとりかかってみると記憶が曖昧で書ける内容が薄っぺらいものになるかもしれん。

そん時は、御免ッ!!wwwww

 

 

景嗣 (以下、「景」) 「思うに、世の中の人間の多くは、『欲』を爆発させ過ぎるあまり、己の『欲』に溺れている。高度経済成長期ごろから、物質・サービスの売買に基づく経済活動によって、景気再生をしてきたという実績はあるものの、最近の経済活動を見て何となく疑問を感じるんだ」

 

 

稲田ズイキ副住職 (以下、「稲」) 「疑問?? 例えば景嗣くんはどういったことに疑問を感じているの??」

 

 

「ニュアンスだけでも汲み取ってもらえたら嬉しいんだけどね。何となく欲しいものにあれこれと手を出して結果的に余分なお金を支払って、その支出分を賄うべく自分の身体と時間を犠牲にして馬車馬の如く働いて。ほんで、心身ともに摩耗した自分を癒すためにさらに余分なサービスにお金を払って、っていう感じのさ・・・」

 

「人間の行動をマクロな視座で眺めた時に、『それって本末転倒じゃないか』って思う瞬間が多いのね。本当に生きるうえで必要ないものまでもが売買対象にされていると思うのね。ほんでそれゆえに苦しむ。。。別にこれは消費者取引に限ったことでもなくて、企業の経済活動・内部統制も見方によったら同じだと思うのね」

(景嗣は普段、寡黙でクール (←) なのだが、酔っぱらうとベラボウにしゃべる)

 

 

「なるほど、それってもしかしたら、高度経済成長期ごろから主流にされていた経済活動が、現代人の経済スタイル・生活スタイルに合致しなくなりつつあるということかもしれない。仏教には『諸行無常』というコトバがあるように、世の中で通用するセオリーは時を経るごとに移り変わると考えるのね。もしかしたら、『諸行無常』、従来の経済活動のセオリーが現代で疑問視される『転換期』に来てるのかもしれないね」

 

 

「僕もそう思うよ。実際、まだマイノリティーではあるものの、『ミニマリストー持たない幸福論』という考え方が支持を得るようなご時世になっているしね」

 

「僕、個人として思うことなんだけど、古今東西変わらない理のようなものがあると思っていて、人間は『欲』を原動力にして生きるという活動ができているけど、『欲』も度が過ぎるとそれによってムダに苦しむことになると思うのね。だから、欲望を爆発させて刺激的な生活スタイルをするよりかは、適度に『欲』と向き合って、本当に必要な『欲』だけをピックアップして、ムダを削ぎ落していくというスタイルの方が金銭的・精神的・肉体的・時間的にもより豊かな生き方ができると思うんだ」

 

 

「なんだか、景嗣くん、僧侶みたいなことを言うね。。。僕ら仏教の世界では、それも『煩悩』のひとつとして位置付けているんだ。釈迦は、仏道を通じて、その煩悩と向き合い、一つ一つ『消していくこと』を目指しているんだ」

 

 

「消していく?? でもさ、和尚。正直、人間って生き物だから本能的にお腹が減るじゃない。『食欲』という煩悩を消し去ってしまったら、それこそ人間死んでしまうよね。その他の煩悩、すなわち、あらゆる『欲』も完全に消し去ることは、おそらくできないんじゃないかな?? 人間として生を宿している限り」

 

 

「うん、その通りなんだ。仏教では、煩悩を消すことを目指しているんだけども、実際上は無理なんだよね。人間が生を宿しているうちは、煩悩は減殺していくだけでもやっとなんだよね。だから、一般的に僕はこういうふうに説明するんだ。『なんだか僕の日常が苦しいなと思ってたけど、真因は僕の欲が突っ張っていたせいだった。今後この欲とは適度に付き合っていこう』という風に、『自分の煩悩を把握して減殺するように努める時点』で、人間の場合はスゴイんだ、ってね」

 

「だから、景嗣くんの先ほどの古今東西変わらぬ理があるという話を聞いて、『おー、スゲぇな』と思ってしまったよ。何か、仏教のことについて、調べてたりするの??」

 

 

稲田ズイキ和尚に、前掲ブログ記事「その1」で記した内容、少林寺拳法は『人づくりのための行』であり、武術鍛錬を通じて人格形成を行うことを目的にした武道であること、そして、その人格形成のための教えは、禅宗すなわち仏教由来の教えであることを話す。

 

 

「へぇー。少林寺拳法って、戦時中の時に仏道を伝えるのにうってつけの手段だったんだね。どの時代でもそうなんだけど、例えば『これを唱えれば極楽浄土へいける』とかさ、仏教は時代時折の社会の潜在的なニーズに合わせて、微妙に布教の手法が変わってきたりするわけ。それこそ宗派が分かれるっていう現象の真因もそこにあると思うわけ。そういう意味では、少林寺拳法は現代の社会の潜在的なニーズに合わせた仏教のイチ形態であるように感じたよ。景嗣くん、僧侶になったらどうだい??」

 

 

「いえいえ、和尚、とんでもない。少林寺拳法が有用視されていたのも戦時中だからこそであって、平和な現代ではむしろ『野蛮だな』という見方の方が強いよ。『諸行無常』、もしかしたら、少林寺拳法はもはや教えを伝えていく手段としてはもう古いのかもしれない。ほら、僕みたいにさ、『スネに傷のある僧侶』がいたとしたら、みんな怖がって布教どころじゃないよwwww」

 

 

「いやいや、ホントうってつけだと思うよ。何でか、形がしっかりできてる人ほど、仏道の教えを全く理解していない人が多いように思うんだ。まぁ、まだまだ修行不足の僕が言うのもおこがましいかもしれないけどさ。敢えて型破りな僧侶を目指している僕の個人的な意見だけど、『喧嘩坊主』っていう僧侶の形態があっても全然いい気がするんだ。大事なのは、『教えの本質をブレずに探求して伝えられる人を作っていくこと』だからさ・・・・」

 

「僕は、『HENTAI』というキャッチフレーズをモットーに諸活動を行っている。その心は『諸行無常』。あらゆる物事は移り変わっていく。それを弁えたうえで時代時折に合致した、仏教スタイルに「形態を変えること」が大事だと思っている。これがすなわち『HENTAI』なのだ。だから、仏教の考え方が現代人の頭の中にすんなり入るようにするためにも、時代遅れの従来の型に囚われない動きをしていきたいんだ。まぁ周りの人らは専ら僕のことを『変態』扱いしてるけどねww」

 

ふーむ・・・稲田ズイキ和尚は勿論、僕、景嗣も「HENTAI」なのだろう。

こういう話を肴にして飲む酒は至高の極みである。

俗世の飲み仲間では、邪見に扱われるメンドクサイ議論。こんなにも真摯に話を聞いてくれて返答して頂けるとは、ありがたい。

 

ここまでの「人生問答」を経れば、稲田ズイキ和尚が確たる軸を持った僧侶であることがわかる。決して、道楽で「HENTAI」を自称しているわけでもなさそうだ。

 

思わず、タイピングも走る走るwww

 

せっかくの機会なのだ。まだまだ、稲田ズイキ和尚と「人生問答」をしてみたい。ここで僕はいよいよ、人生論の本質「生老病死」の話題に思い切って斬り込む。

 

さて、いよいよ「人生問答」の核心、「生老病死」の話へ・・・

と思ったが、次稿へ譲ろうと思う。

タイピングするのが楽しすぎて、いつのまにやらスゴイ文字数だ。

「人生問答」の続きは「その3」に書き記す。

それにしても楽しいな。「人生問答」の執筆はwwww

まだ続くよ

景嗣

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