「煩悩クリエイター 稲田ズイキ」 襲来 その1

どーも、景嗣です。

 

みなさん、「煩悩クリエイター 稲田ズイキ」を御存知だろうか??

 

何週間か前に、ひょんなことから彼と会食させて頂き、色々とお話する機会を賜ったので、今回、彼のことについて少し記事にしてみよう。

南無〜。

 

以下、彼の詳細について簡単に紹介しよう。

「煩悩クリエイター 稲田ズイキ」

京都の寺の副住職。

煩悩とともに生きる煩悩クリエイター。

「仏教でHENTAIする」をモットーにフリーランス活動中。

渋谷のWEBメディア会社で働いてた。

オタクカルチャーマガジン「DON’CRY」編集。ハロプロが好き。

(↑Twitter 自己紹介から抜粋)

 

・・・京都の寺で副住職をしている以外の情報がなかなかクレイジーだろう。

(ちなみに僕、景嗣は、NMB48の山本彩が好きである。えっ??聞いてない??)

彼は、普通のお坊さんとは一味違うカラーを出そうとしているのである。

 

昨今、現代人のお寺離れが著しく進んでいるようで、従来のやり方では、なかなか仏教の教えが普及していかないという厳しい現状にあるという。

そこで、彼は、現代人と仏教の教えとの間の「架け橋」となるべく、日々の修行と創意工夫に勤しんでいるという。

 

彼の強みは、WEBメディア会社就労時代に培ったマーケティング作法である。これを駆使して、現代人の目に留まるような、心に響くような、広報活動を日々しているという。

 

その代表例として・・・以下のような動画を彼は作成した。

(↑You Tube抜粋)

・・・ねぇ。キチガ、いや、すんばらしいでしょー (←www)

その他にも、お寺ミュージカル「テ・ラ・ランド」なるものを、彼のお寺で開催したという。

お寺ミュージカル映画祭「テ・ラ・ランド」が、ただただエモかった。

(↑上記リンクから記事参照)

ヒャー。なかなかエモいっちゃねーー (←褒めコトバだよwww)

 

 

そんな、稲田ズイキ副住職、「景嗣放浪記」のブログ記事を毎日見ていてくれているようで、彼の方から、「景嗣くんに会いたい」と誘ってきて下さったのである。

「えっ?? 何もコネクションが無いところに??」

それは違う。

 

実をいうと、景嗣と稲田ズイキ副住職は、約3年ほど前から知り合いである。

 

同じ大学院研究科に籍を置く同学年どうしだったのだ。

景嗣は民法専攻 (その中でもとりわけ発展的かつトリッキーな法分野)。

稲田ズイキ副住職は知的財産法専攻だった。

広い括りでいうと同じ民事法分野であるが、厳密にいうと畑違いの分野を専攻していた。

 

研究室も違っていたので、正直なところ、「お互い、存在を知っているのみで、直接お話をしたことはあまりない」程度の付き合いであった。

 

まぁ、お互い気になるも、踏み込んで間合いを詰めることをして来なかった間柄であったが、「景嗣放浪記」のブログ記事の執筆・投稿を端緒に、意見交流の機会を稲田ズイキ副住職から賜ったのである。

 

 

南無〜 (合掌)

 

 

稲田ズイキ副住職、僕が過激に毒を吐きまくっている記事を読んで、「まず心配になった」というのである。

ハタから見たら、僕は異常な精神状態に見えるのだろうか。

僕の今の精神状態は、むしろ悟りの境地に近く、昔よりも落ち着いているのだが・・・・

 

そういう話をして、稲田ズイキ副住職もご安心になられたようであった。

贅沢にも日中から、ビールを愉しむことに。

この背徳感がたまらなく愉悦である。

 

 

さて、景嗣と稲田ズイキ副住職が酒の肴としてどんな話で盛り上がるのかというと・・・

 

専ら、「仏教フィルターを通した人生観」である。

んっ?? 景嗣は仏教の話ができるのか??

 

あのな・・・・

 

景嗣は少林寺拳法の修行をしている。少林寺拳法は単なる格闘技ではない。

少林寺拳法は「人づくりのための行である」

(↑景嗣のクチからこんなコトバが出ることに驚きだろうwww)

 

少林寺拳法創始の由来を簡単に説明すると・・・

 

その昔、菩提達磨 (禅宗≒仏教の修行法のうちのひとつ、の祖師) が、釈尊の正しい教えを伝えていくためにインドの地から中国の地へと渡来する。その菩提達磨が現在の中国河南省嵩山少林寺に留まった際に、彼によって拳技 (印度拳法・天竺那羅之角・易筋行) が中国の地に伝えられたとされる。

 

少林寺拳法の開祖、宗道臣は中国に渡り、当該拳技各派の達人より秘技を修得し、日本へ帰国する。

 

時の日本は戦時中から戦後にかけて。物資はなく、仕事もなく、国内は混乱を極めていた。強者が弱者の追剥をする。そういった非人道的な光景が日常茶飯事のように見られるという事態だった。

 

そこで、開祖は祖国復興を目的とし、その手段として、中国在住時に学んだ「禅の教え」と「武術」をミックスした「拳禅一如の修行法」、少林寺拳法という武道を創始するに至る。

 

以下、景嗣が聞いていった話であるが、少林寺拳法を普及するにあたり、開祖が最初に起こした行動というのが・・・

 

チンピラが弱者の追剥をしている現場に赴き、何十人いるチンピラをボッコボコに叩きのめすのである。ほんで、半泣きのチンピラに「強くなりたいか? 入門してみないか? うちの道場へ」と勧誘するのである。

どうやら、そういうことから少林寺拳法の入門者を増やしていった模様である。

上記で説明したとおり、少林寺拳法の考え方の源流は、禅宗≒仏教の修行法のうちのひとつにある。その教えを入門者に普及させていくことが重要なのだが・・・

 

腕っぷしばかり自身のある、頭の悪いチンピラばかりが集まるわけである。

そこで開祖は「サルでもわかるように」禅宗の教えを簡略化させたのである。

それが、「聖句」であり、「誓願」であり、「道訓」であり、そして「信条」であるというのだ。

(改めて道訓の文面を噛みしめるように拝読してみる。皮肉にも、僕、景嗣は道訓の教えに逆行するかの如く、歪んだ思考軸を持ってしまっていることに気づく。何ともお恥ずかしい。僕は「サル以下」である。とはいえ、これを実践するのは人間である限り難しい。道訓拝読を端緒に自己を戒める作業にこそ、意味があると思う)

 

まぁ、何が言いたいのかというと。。

少林寺拳法をまぁまぁマジメに修行してきた僕、景嗣は、自然と仏教の考え方と行動軸が身についているというわけである。

加えて、個人的に「禅」や「仏教」の考え方には興味がある (一口に仏教といってあるものの、時代によってその姿形はちょこちょこ変わるのだが) 。

毎月、死者を弔うために、クソマジメに「般若心経」を唱えるほどである。

 

目の前にいるのは、稲田ズイキ副住職、仏教の申し子である。

稲田ズイキ副住職が「煩悩クリエイター 正式な坊主」ならば・・

景嗣は、「求道者 喧嘩坊主」である。

両者異色ながらも「坊主」であることに変わりはない。

 

「僕と彼は、話が合わないわけないのだ」

 

日中、とても日差しがまぶしくて、バカンス日和。

場所は梅田。カワイイ姉ちゃんがそこら中を練り歩いていた。

そんな時分に・・・・

景嗣と稲田ズイキ副住職は、盃を交わし、ひたすら仏道を通じた「人生問答」をアツく語り合っていたのである・・・・

 

ふぅ、そろそろ文字数がエエ感じになってきたのう。

「人生問答」の内容を覚えている限り、僕の解釈で「景嗣放浪記」に書き残してみようと思うのだ。

(まぁ、当初ベロベロに酔っぱらっていたわけで・・・うろ覚えなのが大変申しわけないが・・・)

本稿を「その1」と位置づけて、「人生問答」の具体的内容については、次稿「その2」に譲ることにする。

次稿、グダらないように頑張ります。お楽しみに。

南無〜 (合掌)

続くよ

景嗣

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