網膜剥離ー悪魔の接吻 その4

どーも、景嗣です。

 

「網膜剥離闘病記」4作目である。

ここまで僕に付き合って頂いて大変ありがたい。

まだ、「網膜剥離ー悪魔の接吻 その1、2、3」を読んでいない読者がいれば、そちらを先に読んでおいていただきたい。

網膜剥離ー悪魔の接吻 その1

網膜剥離ー悪魔の接吻 その2

網膜剥離ー悪魔の接吻 その3

 

↑「その1、2、3」のリンクである。各自確認しておいていただきたい。

 

 

網膜剥離罹患から約半年・・・・ようやく右目の眼帯を外して生活することができる。

眼帯を外した当初は、強度の斜視で右目が明後日の方向に向いていた。これについては、時間を経るごとに視線の焦点が戻り始め、まもなく改善した。

 

問題は・・・・

 

光と色がボンヤリ見えるだけ・・・・

新聞の文字が見えない・・・

母の顔が・・・のっぺらぼう・・・何も見えない・・・

 

こういう状態がいつまで経っても改善しない。

不安になって、主治医に相談してみた。

 

「網膜剥離の手術を受けた場合、一般的に、以前よりかは見えにくくなります。それに加えて、眼圧の上昇も相俟って、少し網膜の神経が痛んだというのもあるでしょう」

 

「先生、とはいえ、この視力では生活できない。少しくらい視力は回復するんですよね??」

 

「・・・残念ながら、痛んだ網膜の神経はもとに戻りません・・・それ以上良くなることはありません。むしろ、今後眼圧の上昇が続くようでしたら、ますます悪くなっていくと思われます・・・」

 

僕の右目は度重なる手術のせいで、眼圧上昇の歯止めが利かなくなったらしい。

慢性的に眼圧が上昇する「緑内障」という後遺症が残ってしまった。

現在でも、毎朝、眼圧を下げる目薬を欠かさず点眼している。

視力が回復するどころか、いずれ右目は完全に失明する運命にあるという。

 

愕然とした。せっかくこの半年間、苦しい思いをして守ってきた右目の網膜はほぼ使い物にならなくなっており、近い将来失明するとのこと。

何という徒労感・・・・

 

愕然とした理由はそれだけではない。

 

覚えているだろうか・・僕が網膜剥離に罹患した原因を。

「アトピー性皮膚炎」だ。

否が応でも顔面を手で無意識に掻きむしってしまう。眼球を物理的に刺激してしまう。この時に、網膜が弱ってくるのだ。

僕の利き手が右手であるため、右手で右目を刺激する回数が左目より多かったため、右目から先に網膜剥離を発症したに過ぎない。

 

何が言いたいのかと言うと・・・

 

実は、僕の左目には複数の「網膜裂孔」が見つかっている。

左目は、たまたま網膜が剥離しない程度のダメージを受けていただけで、弱っていること自体に変わりなかったのだ。

 

年齢を重ねるごとに、眼内の硝子体は「ゼリー状」から「液状」に変わる。

その時に、網膜のハゲの部分から硝子体の水が浸入することにより、網膜は全剥離する。

 

そう、僕の左目の網膜はいずれ右目と同じように剥離する運命にあるのである。

 

だから、僕は手術後の右目の見え方に一層注目していたのだ。

今後、両目ともが、その見え方になり得ることを覚悟していたからだ。

 

それがどうだ。今の右目の見え方が両目ともになったら・・・

それこそ全盲の人とまったく変わらないではないか・・・

 

目の前の景色以上に、僕の将来が何も見えなくなった・・・・

 

 

みなさん、知っているだろうか。

「郷里大輔」という声優のことを。

キン肉マンの「ロビンマスク」や「アシュラマン」役を演じていた有名な声優である。

僕が大好きだった声優の一人である。

 

彼は売れっ子の声優だったが、両目とも網膜剥離に罹患してしまう。

術後の視力が思わしくなかったようで、次第に元気を失くしていき、

「台本が読めない・・・」と小さな声で不満を漏らすようになったという。

 

ある日・・・

 

彼は、建物の隙間で手首から血を流して、うつ伏せで倒れていたという。

発見されたときには既に死亡していた。

 

現場近くに、刃物と遺書が置いてあったという。

遺書には家族宛てに「ごめんね」「ありがとう」と書かれていた。

真実はわからないが、少なくとも警察は、これらの状況から自殺と判断している。

 

文字を「目」で見て発信することを生業にしていた郷里氏。

目が見えなくなることは、彼から仕事だけでなく、生きる喜びさえも奪っていったのだ。

 

今まで見えていた周りの景色が見えなくなる恐怖。

郷里氏の人生は、僕の人生の成れ果てなのかもしれない。

彼と同じく、絶望というか死をとても近くに感じてしまう。

 

 

「見えない・・・」

「何も見えない・・・僕の将来さえも・・・」

 

恐怖? 憤怒? 悲哀?

そういう動的な感情ではない気がする。

虚無だ。

限りなく静的な感情に近い。

今まで走ってきた25年、全て無に帰したような感覚。

こんなに惨めなことがあるのか。

 

こう思うのは大袈裟だろうか??

少なくとも当の本人たる僕としては、厳しい現実を突きつけられて、そういう思いにならざるを得なかった。

 

一所懸命に生きることがもはやアホらしくなってきた。

 

 

 

 

 

 

「悪魔が僕の耳元でこう囁いた」

 

 

「アナタも地獄においで。もっとアナタを愛してあげる」と・・・

 

 

 

 

 

「その悪魔の姿がやけに妖艶で美しく見えてしまった」

 

「何度もその悪魔と唇・躰を重ねてしまったからだろうか・・・」

 

「誰からも愛してもらえなかったことも相俟ってか・・・」

 

「悪魔の濃厚な愛撫に心がトロけてしまったようだ」

 

「もっと快楽が欲しい」

 

「もっと、もっと僕を愛してくれ・・・」

 

 

 

 

正常な判断力を失った・・・

 

 

 

無意識のうちに、僕は頑丈なロープを買ってきていた。

 

 

また、僕のスマホの履歴には「もやい結び 方法」の文字が何件もできていた。

 

 

頑丈な「輪っか」を作って、試しに首に懸けてみた。

 

 

「オエッ」

 

 

この瞬間、ようやく「ハッ」と我に返る。

 

 

自分がこれから犯そうとした、人間の禁忌に気付く。

良かったか悪かったか、取り返しが付かなくなる前に正常な判断力が戻った。

 

 

その瞬間、涙が止まらなかった。

 

数々の恩人を残して、自殺という人間の禁忌を犯そうとした己の心の弱さゆえか。

視力を失ったうえで、これからを生きなければならないという、僕に課せられた厳罰に対する辛苦ゆえか。

目が見えることを前提に養ってきたスキルが、すべて無に帰したことによる虚無感・惨めさゆえか。

はたまた・・・

生きる価値の無い自分を仕留め損ねた、勇気の欠落に対する情けなさゆえか。

 

・・・その涙の裏に隠されている僕の感情は、極めて複雑怪奇だった。

 

 

そして、いま・・・

「とりあえず母を残して先立つことはやめよう」

これだけが僕の生きる理由である。

逆にその目的さえ達成すれば、ようやく生を捨てることができる。

 

僕自身の人生の向上??

うーん・・・・

ひとつひとつ丁寧に積み上げてきたことが、一瞬のうちに崩れ去ってしまったのね。あっさりと。

真剣に人生を生きていた分、徒労感というか虚無感がハンパないのね。

そら、人生を向上させられることに越したことはないよ。

でも、肩肘張ってまで一所懸命に頑張ることがもうコワくなっちゃったのかもね。

イチから積み上げていって、あっさりゼロに帰してしまう、あの徒労感にもう僕は耐えられない。

疲れたわけよ。真剣に人生を生きるのが。

 

 

周りの景色が正常に見える期間は残り少ない。

残された人生、あとわずか。

こっからは好きなように生きてやる。

良いか悪いか。そういう評価はこの際どーでもいい。

 

俗世からなるべく遠い方向へ、ボンヤリと歩いていこう・・・

 

 

 

 

 

「悪魔が僕にキスをした・・・」

 

 

 

「いつの間にやら、僕は悪魔の唇に魅せられてしまったようだ」

 

 

 

「悪魔と愛し合っている甘美な時間が僕の心を変えてしまったのか」

 

 

 

「僕は狂ってしまったのか。今ではそれすら判断がつかない」

 

 

 

「悪魔よ。いつになったら僕を楽園へ連れて行ってくれるの??」

 

 

 

「アナタのキスだけが、僕を俗世の痛みから解放してくれる・・・」

 

 

 

さて、「網膜剥離ー悪魔の接吻」、その1〜4までかなりの長編となってしまったが、最後まで御覧いただき、誠にありがたい。

視覚を何不自由なく使える時間も本当に残り少ない。

残された時間で、僕の考え方を何かしらの形で残しておきたい。

僕が毎日熱心にブログを執筆している理由もすべてそこにある。

まぁ、そういうわりに、毎日テキトーにやらせてもらっている。

・・・残すほどの価値もないかもね。

まぁ、マイペースに好きなようにやったりますわ。

以上

景嗣

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