網膜剥離ー悪魔の接吻 その3
どーも、景嗣です。
さて、「網膜剥離闘病記」も3作目に突入する。
長編で誠に恐縮だが、少しでも暇があったらお付き合い願いたい。
本稿を読むにあたって、前作「その2」・前々作「その1」の知識が必須となる。まだ読んでいない方は、是非読んでおいてほしい。
↑「その1、2」のリンクである。各自確認しておいていただきたい。
バックルの露出と結膜の縫合。これを幾度となくループした。
僕の右目は、常に炎症を起こし続けていた。
主治医も怠けていたわけではない。結膜が脆弱な患者のバックルが露出した場合の対処法について、ほぼ前例が無い。こういうケースの打開策について、あれよこれよと考えるも、なかなか勝機が見えてこない・・・
毎週・何日かおきに何度も手術を重ねたのだ。
気づけば、僕の右目は常に尋常じゃないほどに炎症を起こしている状態だった。
「悪魔が僕にキスをした・・・」
ある日から・・・右側の頭部全体に激痛が走るようになった。
特に右目の眼球が尋常じゃなく痛む。痛むとはいっても、縫合と切開の傷口が痛むという類の痛みではない。
その、なんというか。
「右目が破裂しそうなのだ」
・・・そういう類の痛みだ。
もう立っていられない。
横になっていても相当右側の頭部が痛む。
明らかに、僕の右目に何らかの異変が起こっているのを自覚した。
それも、今までにない、新しい類のものである。
まぁ、いつものようにシリコンバックルが、昨日縫合した結膜を突き破って顔を出していたわけだ。どちらにせよ病院に行かなければならない。
検査の結果・・・
「眼圧が以上に高くなっていたのである」
さらにマズイことになった。
「眼圧」とは、眼球の球の形状を保つために、眼内の中心から眼底側へ一定の圧力をかける作用のことである。
この眼圧が通常の値よりも高くなったとき、過剰に網膜が眼底に圧迫されることになり、網膜の神経が痛んでいくのである。この状態が続くと網膜神経が壊死し、失明に至るのだ。
これが恒常的に起こっている症状を「緑内障」という。
通常の値はだいたい9〜18くらいだと聞いていたが、この時、すでに35の値を示していた。網膜神経が時間と共に痛んでいく値である。
どおりで眼球が破裂しそうな感覚がして、頭部に激痛が走るわけだ。
早急に眼圧を下げる必要がある。
僕はこの時、すでに眼圧を下げる飲み薬を服薬していた。前稿で示したとおり、眼圧を下げる効果は低い。もはや飲み薬の力では眼圧を下げれない症状になっていたのである。
眼圧を下げる目薬ならば、眼圧をすぐにでも下げられる。
そこで、またもや主治医が頭を抱えるのだ。
眼圧を下げる目薬は、眼表面が傷んでいる状態だと使えない。
シリコンバックルが結膜を突き破っている状態が恒常的に続いているうえに、別の結膜をムリヤリ縫合し続けていたのだ。
僕、景嗣の右目の眼表面は悲惨なくらい損傷していた。
とうてい、眼圧を下げる目薬を点眼することができない状態だったのである。
何か手を打たねば、せっかく硝子体手術・バックル手術で引っ付けた網膜の神経が眼圧によって痛んでいく。
バックル露出の問題解決も、モタモタできなくなった。
ちょうどこの日が12月24日だった。。。
どちらにせよ、次に何かしらのアクションを起こそうにも年明けになってしまう。
いまできることは何もない。
僕は、高眼圧の状態で、常に右側の頭部に激痛を感じながら、年を越すハメになった。
激痛で苦しいのもあるが、何より高眼圧の状態が続くことにより、せっかく元に戻した網膜が痛んでいってしまうことが気がかりでならなかった。
年が明けて・・・主治医に会う。
主治医の先生曰く、僕みたいな症例は本当に初めてらしい。ここに来るまで、眼科医のコミュニティーをフルに使って、病院内・外を問わず相談して、僕の現状に合う方法を考えていた。
とりあえず、バックルの露出問題をどうにかすれば、眼圧を下げる目薬を点眼できる。
バックル露出をどうにかする策として最終的に断行することに決めたのが。
露出しているシリコンバックルを、メスを用いて眼表面に沿ってスライスしていき、違う箇所の結膜を牽引して縫合するというものである。
一見単純な手術内容だが、シリコンバックルをスライスする過程で眼表面を傷つけてしまう危険性もあるし、何より網膜に何かしらの影響を与えかねないため、多少のリスクが生じるというのだ。主治医も出し渋っていた手術方法である。
年明け時の眼圧の数値はすでに40を超えていた。
秒単位で網膜の神経が痛んでいる状況だ。
上記のようなリスクに怯える状況でもなくなったため、急遽断行するとのこと。
もはや、僕も主治医の先生に肩を預けるしかなかった。四六時中眼圧の痛みに苦しみ、僕は何も思考が巡らない状態まで憔悴しきっていた。ほぼ2つ返事で手術断行に同意した。
手術が終わって・・・・
なんと意外にも、この手術を機にバックルが結膜を突き破ることはなくなった。
主治医の先生自身、この方法でうまくいくとは思っていなかったらしい。ほぼイチかバチかといった感じだったらしい。
ともあれ、ようやく、あの負のループから抜け出したのである。
すぐに眼表面は安定し、眼圧を下げる目薬を点眼できる状態になった。
やっと、やっと目薬の点眼によって、眼圧が低下し、右側の頭部・右目の痛みから解放されたのだ。
とりあえず、しばらくは眼圧も高い状態だったので、眼圧を下げる目薬の点眼は継続である。
ここからは、眼表面の回復も順調にいった。
ようやく
2015年7月から2016年2月まで、ずっと着用していた眼帯もガーゼもようやく外せるようになった。
おそるおそる右目から眼帯を外す・・・
右目はあさっての方向を向いていた。
「右目の視力はどうなってる・・・」
左目を閉じて、右目の視力を確かめる。
目の前の景色の光と色は判別できる。。。
・・・・母の顔が見えない・・・・
のっぺらぼうだった・・・
コワくなって、新聞に目を向けた・・・
何も見えない・・・
コワい・・・でもこれはきっと半年間ずっと右目を使っていなかったから、視覚が慣れていないだけだと思う。
だから、これから視力が回復していくはず。。
ここまで来るのに、どれだけの苦しみに耐えてきたか。
そう思わなければ、平常心でいられなかった。
ここからは、幸いなことに予後経過を診察で確認していく作業が主体となっていった。
今までの怒涛の手術ラッシュと比較すると、とても穏やかな日が続くようになった。
大学院生活1年目、自分の実力を身に着けていく大事な時期の大半を闘病に割いてしまった・・・気づけばもう大学院生活2年目に差し掛かっていた・・・
僕は何をやっているんだ・・・・
さらに・・・
経過観察を経るにつれて、残酷な現実を受け止めなければならなくなるのだが・・・
「悪魔が僕にキスをした・・・」
「絶え間ない悪魔の愛撫に悶え続けた」
「悪魔に犯され続けて、禁忌の悪水を飲み過ぎてしまったかもしれない」
「気づけば、穢れ多き肉体・精神になってしまっていた」
「悪夢はまだ終わらない・・・ どうせ夢なら、いい夢を見せてほしかった」
まだまだ続くよ
景嗣
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