嫉妬という感情 その2

どーも、景嗣です。

 

本稿は、「嫉妬という感情 その1」の続編である。前掲ブログ記事「その1」をまだ読んでいないよ、という方はそちらを読んでから本稿を読み進めていくことを勧める (まぁ毎回の記事、大したことも書いていない。別に読んでも読まなくてもどーでもエエかもね)

一応、以下リンクを貼っておく。各自確認されたい。

嫉妬という感情 その1

 

前回記事で得られた見方はおよそ以下のようなことである。

 

嫉妬は一般的には、マイナスの感情であり、自他ともに不愉快にさせる。

嫉妬というのは、生物ならば先天的に有している本能的な機能・防衛本能であると思われる。見方によっては、嫉妬によって生物は絶え間なく進化を遂げることができ、種の存続を可能にしてきた。

嫉妬という生物の本能的な機能は、生物学上における進化という側面において、むしろプラスの働きを担っていたというのも間違いではないような気がする。

しかしながら、西洋文化においては、忌むべき七つの大罪のうちの一つとして、「嫉妬」を挙げている。

人間の進化・成長にプラスの影響を与えてきた「嫉妬」という感情は、現代においてマイナスの評価がなされることが多い。個人的な見解で申し訳ないが、このようなプラスマイナスの作用に逆転現象が起こっていることに何だが妙な違和感を覚えてしまう。

 

普通の人なら、「何となく気持ち悪い。自他ともに気分が落ち込む。感覚的にダメな感情だと思う」といった浅はかな結論で片付けてしまうところだろう。

ムダなことをムダに深く考えてみたい僕ならではの発想だが、「嫉妬」という感情がなにゆえ忌むべき感情であると一般的に位置づけられてしまうか、ということについて改めてベラベラとしゃべってみたい。退屈な話にならないようにできるだけ僕の経験の話も織り交ぜて話をしていこう。

 

「嫉妬」という感情が起こる場合というのは決まってこういう場合だろう。

「他人が、自分が持っていないもの・能力を持っている」ときだ。

 

こういう場合は概ね、自分のステータスの値より他人のそれの方が大きくなると考えられる。そうなると、他人の方が「優位である」との評価を受けやすい。生物学のレベルで話をすると、その他人の方が、より「メス」に選んでもらう確率が高くなる。

なので、自ずと「現時点で劣位にあるオス」は、「現時点で優位にあるオス」を凌駕する能力の開発に勤しむのである。これを繰り返してかつての生物は幾度となく進化を経てきた。ここまでは前回記事で説明済みである。

 

思うに、これは「嫉妬」という本能的な防衛機能に対する正常な対処方法である。他者を凌駕する能力の開発によって、「より優位な遺伝子を後世に残し、ひいては種族の永続的な繁栄に寄与する」という生物本来の目的が達成される。

 

しかしながら、誰かに「嫉妬」の感情を覚えた者は上記以外の行動も採り得る。それは、生物本来の目的に合致しないときもある。

 

こういう場合はどうだろう。

優位な他者が出現するものの、自分の能力を開発してその者を凌駕するのに心理的なコストがかかる (いわゆるメンドクセェという感情だ) 場合。また、自分の能力では現状をいかんともし難いと思い込んでいる場合。

ラクな方に逃げてしまいがちな人間は多い。こういうケースは、結構ありふれている。

さて人間は、こういう状況の時、どういう行動をとるのか。

 

 

「優位な他者を自分の位置まで引きずり堕とす・罠に陥れる」のである。

 

 

もう説明しなくても、社会の荒波に揉まれたことのある人なら身に染みてわかるだろう。優位なポストに着いた人間を羨む人間が集まり、彼を社会的に殺すべく物理的・心理的圧迫に晒し続けるように結託するのである。

思うにこの行動は生物学の観点からしてもあまり好ましくない。

優位な者を凌駕するのを目的として、己の能力を高くするなら、総合的に優秀な遺伝子が残る確率が高くなる。

しかしながら、このケースだと、優位な遺伝子を殺し、劣悪な遺伝子ばかりが残るようになる。優秀な子孫を繁栄させるという生物全体の目的に全く合致しないのである。

 

 

僕、景嗣は、前職場において入社一年目で課長の仕事を引き継いで運営するという稀有な体験をした。

別に僕自身に特別な能力があったわけでもないし、「課長」という役職を頂いたわけではない。

 

まぁ、僕は人間的に出来てないし、むしろ皮肉屋で可愛げがない。今までのブログ記事を読んでいただいた読者ならばわかってくれるだろう。何もバックグラウンドがない状態でも一般的に人間に嫌われやすいタチなのである。

 

しかし、それを差し引いてもだ。

僕の周りの一部の人間から、ヒシヒシと嫉妬の念が伝わっていたのを今でも覚えている。背筋が凍る感覚だ。

 

僕は、対外的に見れば、「勤続年数10年そこいらでやっと就ける役職に、誰よりも若く、誰よりも早く就いた」のだ。少なくとも勤続年数2年〜10年ほどの人間を一足飛びで追い抜いたわけで、追い抜かれた側は自分の立ち位置が危うくなるという事実に直面したはずだ。冷静に見れば、彼らが「嫉妬」の感情を抱くのもしょうがない話である。

 

 

入社一年目の僕が、課長級の仕事を回すのだ。ただこれだけでも身に余る責任が背中に重くのしかかって、しんどかったのに。。。

 

「嫉妬」の感情ゆえ、敵意を剥き出しにした一部の人間たちの思惑によって、僕は物理的・心理的に圧力をかけられ続けた。

いま思えば、結構「エゲツないハメられ方」だった。

ずいぶん痛い目にあったよ。ホント。参った。

 

前の職場において、僕が生物学上の「優位な遺伝子」だったというわけではない。僕のことをよく思わない人間たちが生物学上の「劣位な遺伝子」だったというわけでもない。優劣なんて基準次第では一様に測れない。

ただ、確かなことは、彼らが僕に対して「嫉妬」の念を抱いていたこと。これは間違いない。

 

飛び級のルーキー、すなわち組織秩序の「劇薬」になり得る要素を排除したという点においては、動機はどうであれ、彼らは「正しい」裁きを僕に下したのかもしれない。

しかし、それと同時に彼らは組織の変革・向上の可能性をドブに捨てたという見方も可能である。

(まぁ、僕はどっちみち会社を辞めていた。これ以上、アホ共の指示には従っていられないからな。というか主な退職理由はこっちなのだが。何せ、もう僕には関係ないね)

 

話が長くなった。「嫉妬」という感情は、「生物全体において優秀な遺伝子を残す確率を上げ、ひいては種の永続的な繁栄に寄与する」という目的に合致するうちは、むしろプラスの働きをする。

しかしながら、「嫉妬」という感情に対して、「己がラクをした状態で対処しようとしたとき」、むしろ上記生物学での本来的な目的に反する結果を招きかねない。

このような事態はあまり感心できない。

こういうケースでは、「嫉妬」という感情は厳に戒められるべきであろう。

長い目で見れば種族全体が損をしかねないからだ。

 

余談にはなるが、上記に「エゲツないハメられ方」という表現をした部分がある。彼らは、僕に対する害意は剥き出しだったものの、これはあくまで法に適う範囲での話だ (社会人というのは、公序良俗に反しさえしなければ、どんなことも基本まかり通る。僕自身、色々とヤラせてもらったしね) 。

法に触れなければ良いのだが、時に人は「嫉妬」ゆえに、他人の命を奪ったり、他人の財物を強取する場合もある。こういうケースは結構多いように思う。

「嫉妬」は、法の一線を越えてしまいかねない「悪魔の囁き」でもあるのだ。

そういう意味においても、「嫉妬」というのは厳に戒められるべきであろう。

 

 

さて、グダグダした状態で申し訳ないが、そろそろ結びに入りたい。

 

思うに、「嫉妬」それ自体が悪い感情であるというわけではない。

自己成長のきっかけにもなり、ひいては種の永続的な繁栄に寄与し得るからだ。

 

しかし、「嫉妬」という本能的な機能に対して、「ラクをして優位に立ちたい」・「優位なやつを殺っちまおう」という、間違った形で向き合ったとき、「嫉妬」は厳に戒められるべき感情として評価されることになろう。

 

「嫉妬」に「人間ゆえの弱さ」がブレンドされたとき、自他ともに得をしない、マイナスの方向へ物事が進んでいってしまうように思う。

 

「嫉妬」を諸悪の根源に変換する主な原因が「人間の心の弱さ」にあるならば。

「嫉妬」という暴れ馬をうまく乗りこなすための「器量」さえ身につけておけば、「嫉妬」のマイナス的な側面に振り回されずに済むのかもしれない。

 

「嫉妬」という感情に出くわした時こそ、「自分を高めるいい機会をもらった」と思って、うまく「嫉妬」と付き合うのがいい。

うまく「嫉妬」と向き合うことができれば、本来の生物学上の目的に合致するような、自他ともにプラスの方向へ物事が進んでいくように思うのね。

 

僕が生物であるうちは、死ぬまで「嫉妬」さんとお付き合いですね。

もっとうまくアナタと付き合えるように、精進致したいものです。。。

・・・ふう・・・何とか着地できたかな・・・

以上

景嗣

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