「神様」とは何者であるか その1
どーも、景嗣です。
今日はいつもの景嗣である。いつもの感じでグダグダと話をしよう。
「息子が事故で重体なんです。神様仏様、どうか私の息子を助けてください」
「明日は第一志望の大学の入学試験。神様仏様、どうかこの私に合格の二文字を与えてください」
「嗚呼、神様仏様、明日も病気や怪我の無きよう、見守りください」
何で、人はこんなにも「神様仏様」に祈るのかね。。。
僕は、キリスト教の学校で教育を受けてきた身ではあるが、根本的に「神様仏様」に祈るという人間の風習・文化にそもそもの疑問を感じるところがある。
ニヒリストの僕は、「根拠もなくみんながやっているから」という理由では、何となく納得いかないのである。
かといって、僕は「無神論者」というわけではない。そもそも神様がいるかいないかにあんまり興味がない。まぁ、いると仮定して空想の物語を捏造していくと案外おもしろい筋書きが書けるよね、くらいの感覚だ。
どちらかというと、人は何ゆえ「神様仏様」に祈るという行動をとるのか、という行動心理に少し興味があるだけだ。
それを深堀りしていくと、もしかしたら「神様仏様」って何モンなのか、という核心的な問いについても、一定の見解を得られるかもしれない。
なので、今回は、なにゆえ人間は「神様仏様」に祈るようになったのかということを出発点にして、「神様仏様」に関連する諸々の疑問点、主として「神様仏様」とはなんであるか、という問いに対する一定の見方を僕なりにグダグダと喋ることにしよう。
読者は僕と違ってきっと頭がいいだろうから、特に話をする必要もないかと思うが。
日本の縄文時代に「土偶」という置物 (??) が存在していたということがわかっている。諸説あると思うが、およそ土偶には以下のような意味合いがあると説明されることが多い。
精霊や人間の女性を模した土製品であり、子孫繁栄・農作物の豊穣に対する「祈り」をこめたものであると。
どうやら、何かに祈るという風習は、まだまだ文明が発達していない縄文時代のころからあったみたいだ。だとすると、何かに祈るという行動を人間にとらせる真因は今も昔も変わらず同じである可能性が高い。
そういうことなら・・・
今の時代は情報も文明も複雑怪奇になり過ぎている。ここは、時代を縄文時代、いやそれよりも前の時代に巻き戻して、対象モデルをシンプリファイして当該問題について考える方がわかりやすい気がする。また、時を遡れば遡る程「祈り」の原点に辿り着きやすくなるような気もするしね。
さて、はるか昔、狩猟民族である原人A、Bがいたとしよう。以下はA、Bがおよそ繰り広げていたであろう対話を書き記す。
A「ふぅ、獲物がとれない・・・」
B「獲物、とれないね・・・」
A「なんで獲物がとれないんだろう。」
B「うーん・・・僕らの狩猟の実力は一流なのにね。思うに獲物って、たくさんいる時もあれば、いない時は本当にいないよね (のちに人類は、この現象の原因は生態系における食物連鎖の流れにあることを理論的に説明するようになる) 。まったくどうなっているんだ。」
A「そうだよ。僕らの実力ではどうにもならない部分でつまづいているように感じる。このまま獲物がとれなかったら、僕たち飢え死にしちゃうよ。。。コワいよ。。何でもいいから考えなきゃ。。。」
AB共に、大きい山に鬱蒼と茂った森林を見つめる。その森林では、よく獲物がとれていたようである。ABにとっては恵みの源である。
A「もしかしたら、森が怒っているからかもしれん・・・」
B「いや、山が怒っている可能性もあるよ・・・」
A「森さん」B「山さん」AB「どっちでもいいから、お願いします。明日になったら獲物がたくさんとれますように・・」
(次の日)
A「やっぱり獲物がとれない・・・僕ら、死んじゃうのかな・・コワいよ・・・」
B「もしかしたらさ、本当は怒っているのは山や森じゃないかもしれん。山や森に棲む『主』がいて、そいつが山や森の生命を司っている可能性がある。ほんで今、その『主』が怒っているのかもしれん」
A「主ぃ!? なんじゃそりゃ、そんなやつがいるのか! そりゃ大変だ。今日からそいつのことを『神様』と名付けて、毎日祈りを捧げようか!!」
AB「神様ぁ (山や森に棲んでいるかどうかもわからん架空の存在) 。お願いします。たくさんの生命を山や森に供給してください。お願いします。」
(次の日)
A「やったぁ!! やっと獲物がとれたぁ!! これはひとえに僕たちが『神様』にお祈りしたおかげだよね!! あーよかったー。次も成功するように二人で『神様』に祈ろうね!!」
B「あぁ・・・うん。そうねぇ。」
B「(・・・Aは一生懸命お祈りしていたみたいだけど、実は僕、空腹で眠たくて、祈るポーズはとってたけど、心の中で『神様』に何も話しかけてなかったんだよなぁ・・・本当は祈らなくても成功するときはするし、祈っていても成功しないときもあるんじゃないかな・・・ま、いっか。。。)」
ABは狩りに出る時には必ずルーティーンとして『神様』に祈ることにした。
狩りが成功すれば、ABは「神様が僕たちの祈りでお喜びになっている」と言い、
狩りが失敗すれば、ABは「神様に祈っていたけど、今日はなんだかご乱心みたいだ。仕方ない。明日はきっと神様は僕らの期待に応えてくださる」と言った。
ある日、10日間以上獲物がとれない日があった。
A「だあああああ!! どうなってんだぁぁ!! どんだけ祈っても全然神様が喜んでくれないぃ。ツラいよ。お腹減ったよぉ。。。」
B「もしかしたらさ。。。僕らは『神様』にお祈りしておねだりするばっかりじゃないか。だから『神様』もいいかげんご褒美を欲しがっているような気がするんだ。だから僕は、最近では森にお花とか石器で作ったアクセサリーとかを供えに行ってるんだ。」
A「バカ野郎!! なんでそれを早く言わねえんだ!! 『神様』がそんな陳腐な土産モンで喜ぶわけねえだろうが!! ダボっ!! 『生贄』だよ。それもお肌ピッチピチの若い娘を捧げるんだよ。そうすりゃ『神様』も喜ぶさ!!」
B「Aよ。さすがにそれは如何なものかと思うが・・・」
A「うるせぇ!! これ以上獲物がとれなかったら、どっちみち皆飢え死にだ!! 一刻の猶予も許さねえ!! 確かあの山の近くの集落に噂のセクシーなギャル原人がいただろう!? そいつの肉を『神様』に捧げるんだ!!」
B「・・・・」
(暗転)
さてそろそろ文字数もヤバくなってきた。
いつものように本稿を「その1」と位置づけて、明日以降に「その2」を投稿することにしよう。
今回は一旦ここで切り上げるとしよう。
続編お楽しみに。。
・・セクシーなギャル原人・・・何をタイピングしとるんだ俺はwww
以上
景嗣
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