ハイポイントインタビュー その2

どーも、景嗣です。

 

本稿は「ハイポイントインタビュー その1」の続編である。

本稿では、ハイポイントインタビューに内包されている効能に関連しそうなことをダラダラと喋ろうと思う。今日も相変わらず、話す内容が脱線しても構わない覚悟だ。今日も自由人な僕に少しだけ付き合ってほしい。

「ハイポイントインタビュー」の内容については、前稿を参照されたい。

以下リンクを貼っておく。

ハイポイントインタビュー その1

さて、始めようではないか。

 

こっからは僕個人の見解だ。テキトーに見流してほしい。

 

僕の通ってた大学には、そこら中に留学生がいる。僕は日本人にはまったく話しかけられないのだが、外国人留学生に話しかけられることがけっこう多かった。

その中で印象的な質問をした留学生が何人かいた。

「アナタは人種 (民族) の違いについてどう思うか」という質問である。

わりとオドオドした感じで聞いてくる。およそ優位国・優位民族の選民思想に虐げられてきたクチなのだろう。

 

僕自身、何の迷いもなくこう答える。

「どーでもいいよね。肌が黒かろうが白かろうが、民族の貴賤があろうがなかろうが。みんな同じ人間だろう。みんな顔に目と鼻と口と耳とがあって、腕と足があって、ほんで心があるだろう。本質的には各人の価値に優劣なんてないし、みな同等に価値ある存在だと思うのね。そう考えるとしょうもないよね、人種・民族で人を一括りにして優劣を決する考えなんてさ」。

 

そう答えるたびに、僕とその留学生達との心の距離が何となく近くなっていったような気がしたのを覚えている。

あまり思い出したくないが、僕も頭の悪い黄色人種に虐げられてきた身として、理不尽に心身ともに傷ついた人間を見ると寄り添いたくなる。それだけだ  (これについては、前掲ブログ記事「社会規則の副作用」を参照されたい) 。

 

 

紛争ってのは、基本、二大勢力の対立から始まる。その際、関係者各人、「敵か味方か」という形式的な分類がなされることになろう。何らかの「肩書」を頼りにして、だ。

そこなのだ。人間を「黒いか白いか」とか「貴族か賤民か」、「〇〇教徒か××教徒か」という「属性」をつくり、下らないフィルタリングをするタイミングは。

不思議なもんで、こういう「属性」に基づくフィルタリングを行うと、現場サイドの紛争当事者は、目の前に立ちはだかる相手国の兵士を「自分と同じ価値ある人間」であるということを忘れてしまうみたいだ。

対立する両国ともの兵士は「自国の正義のために、悪たる相手国をブチ殺す」と言わんばかりに、なんのためらいもなく殺戮行為を実行するのである。

 

しかし、大抵の場合、自己利益の追求を目的として裏で糸を引いてる奴がいる。そいつが、人種だとか民族だとか信教だとか、そういう大義名分をつくって国民を煽り、殺戮行動をするように仕向けているのである。十中八九、紛争の裏側には誰かのくだらない政治的な意図が介在するものである。

基本、「属性分け」なんてその程度のくだらない意図なのだ。僕から言わせれば、こういう類の「正義」なんぞ朽ち果てた石ころほどの価値もない。単なる「まやかし」だ。

 

正義・大義名分という幻想に溺れ、目前の人間の本質的な価値を見失うといったところか。

 

目前の人間を殺めたが最後、残されたその者の伴侶・子に憎しみが植え付けられる。その憎しみが結集し、やがて新たな争いを生むだろう。いつまでこういう連鎖を続けるつもりなのか。

 

 

ところかわって。前置きが長くなって申し訳ない。

このハイポイントインタビューというのは、あなたの「肩書」・「属性」に関することは一切聴いていない。とにかく、「あなた自身のこと、あなた個人の成育歴・取り組んでる仕事・人生の中の最高の瞬間、そして価値観」を聴いている。

どれも、「各人の人間としての本質的な価値」に迫る質問であろう。その者に付随している社会的な「肩書」・「属性」を問わないのである。

 

人間を「属性」という形式的な視点でしか捉えることができなくなっている環境下において、ハイポイントインタビューは、「みな同じ価値ある人間よ」という実質的な視点を提供してくれるように思うのね。

平和ボケしている僕ら日本人にはピンと来ないかもしれんが、戦争などの状況下にある人々からすると、こういう実質的な視点は心打たれるものがあるのかもしれんな。人間として当たり前のことを再確認できる。

 

 

昨今、問題になっておろう。

なぜ、自己利益の追求を目的とする奴の思惑のために、大勢の民が、子どもたちが化学兵器に傷つかねばならんのか・・・・

僕が通っている少林寺拳法の道場には、小さな子どもたちが何人も修練に励んでいる。みんな無邪気でいとおしい。この子らのためなら自分の命を投げ出しても構わないほどに。

この子らと同じ年代の子どもたちがリアルタイムで兵器に傷つけられているのを見ると、胸が張り裂けそうになる。

 

傷がつけば痛いし苦しい。愛する家族が殺されたら心が痛み憎しみが湧くだろう。みな同じ反応をするはずだ。だってみんな同じ人間なのだから。

 

みんなひとりひとり貴重な経験・信念・心を持った尊い人間だろうが。「属性」付け如きでそんな当たり前のことを見失うなよ。

 

化学含め科学も、尊い人間の命を傷つけるためにあるわけじゃないだろう。兵器に頼り、実力行使せんと幸福を追求することができんのか、弱卒どもが。そうまでして私腹を肥やしたいか、下衆どもが。

 

 

僕自身、こんな記事を書いて何かに、誰かに影響を与えられるなんてこれっぽっちも思ってない。ぶっちゃけ、ほんの一握りの人間以外、世界を変えることはできない (実力以外に、運もタイミングも大いに絡む) 。こんな小さなブログ記事を書いたところで社会的には何の足しにもなりはしない。

 

一時、国会前で若者が「日本政治を変える!!」と言わんばかりにデモってたことがあったじゃない。その行動力は評価する。

しかし、議会制民主主義を採用する日本国において、そんなプリミティブなやり方では何も変わらんのは自明だ。残念ながら、そんなことをしてる暇があったら選挙にいった方がいい。大志ある者は選挙で立候補した方がいい。

そういうことを弁えて、社会システムに則って、政治の世界に入り内部から社会体制を変えようと試みた者もいくらかいた。

しかし、どれも志半ばでドロップアウトしていっている。組織のしがらみ・既存のシステムというのは案外強固で厄介だ。社会人経験を通じてそれを痛感している。おそらく政治の世界もそういうことでガンジガラメなのだろう。

 

残念ながら、世界を変えるのは至難の業である。まして、戦争・政治なんて大学の研究対象になるほど難解な問題、そう簡単には解けはせん。んなことをわかったうえでベラベラ喋っているのだ。

 

場合によっては、「非国民」との謗りを免れないかもしれない。構わんさ。矢面に立つのは慣れている。それにどうせ長くない命だし。好きに言わせてやろう。

 

何がためとか、そういうもんは、もはやない。

 

ただ、悲しいだけなのだ。つまらん大人の、くだらん政治的意図のために、みな同等に価値ある人間が痛みと苦しみに咽び泣いているのが。いち人間として、どうしようもなく胸が痛むのだ。

こんな状況で、何の感情も抱かずにいられるだろうか。

これ以上、腰抜けに武器を持たせるな。アホに指揮棒・軍配を持たせるな。

 

頼むから、これ以上誰も血を流すな。。。

 

 

いま思えば、とてもいいタイミングで「ハイポイントインタビュー」の存在を知ることができたのかもしれない。

 

現在進行形で報道されている、化学兵器の攻撃・それに被せて実施されるであろう実力行使 (あるいは、経済制裁か?? 知らん。彼奴はどういうカードを切るのだろう) 。

どれも国・連合単位のディシジョンだ。力無き一市民の僕がどうこうできるレベルの話じゃない。肯定も否定もできる立場じゃない。流れに身を任せる以外に方法はない。

 

ただ、こういう社会情勢であるいまだからこそ、「ハイポイントインタビュー」をきっかけに、今一度「人間の本質的な価値」を胸に刻み込んでおこうと思うのだ。

世界中の人間、みんな同等に価値があって、ひとりひとり尊い命であることを、胸の中に静かに・・・。

以上

景嗣

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ハイポイントインタビュー その2” に対して1件のコメントがあります。

  1. impact-y より:

    今回は特段エネルギーを感じるブログに思えた

    『属性』を外して接する人は
    属性を知っているから外せる

    もう一方

    属性を知らない人も同じ事を容易くできる

    厳密には意図せずせざるを得ない
    例えば赤ちゃん、子供、動物

    何の隔たりもなく接する
    いわば
    インタビューは出来ない
    ハイポイントインタビュー

    しかしそのまま大人に、とはいかない。

    属性がある事で
    平等が歪められる

    歪められた結果

    飛行機を
    命を運ぶ羽と見ていた少年が
    人を殺す道具として見る日が来てしまう

    御国の恥と罵られて生きて帰る兵

    属性を取り除いて見れる人が圧倒的に少ない世の中では
    いずれは
    この国でも
    遠い名も知れぬ暑い国と同じ戦火を見るはめになりそうだ

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