母親の誕生日
どーも、景嗣です。
先日、4月11日、僕の母親の誕生日でした。
僕は毎年かかさず、母親の誕生日には何かしら軽いプレゼントをする。
今回プレゼントしたのは・・・
ミ〇オンのボブのグッズである。母親が愛してやまないボブである。
ロフ〇で買った。まず・・・
ボブのポーチ。(てか、ボブ・ロバートっていうんや。フルネーム。)
裏面である。ボブとその愉快な仲間たちである。
左から、スチュアート、ケビン、そしてボブである。個性豊かな仲間たちである。「ナカマ―!!」
写真で見るよりかは大きいサイズで色んなものが入りそうだ。デザインのみならず機能面にも期待できそうだ。筆記用具なりビジネス用品なりしまってくれ。
キングボブのメモ用紙
色んな柄のメモ用紙がある。母親は経営者なので、家の中を見まわしたらメモ用紙がそこら中に貼ってある。それがしばらくはボブに変わるのだ。メモを貼っていくのが楽しくなるだろう。
どれも安物だが、母親は喜んでくれた。
よかった、よかった。
突拍子もないことを言うかもしれんが。
僕、正直、もう生きるのがしんどい。疲れてきた。
人生25年。なんだこの徒労感は。この心の虚しさは。
「生きていればそのうちいいことがある」との一般論がある。いつになったら「そのうち」が来るのか。きっと「そのうち」は来ないのだろう。
刹那的に快楽を感じることはある。しかしそれは一過性の愉悦だ。ひとたび眠りにつけば、その快楽が幻だったと気づく。これをいつまでループすればいいのか。
いま社会に「死ね」と言われたら、案外ためらいなく自害できるかもしれんな。残念ながらそういう段階である。
でも、僕も含めて、母親は色んなものを急激に失ってきた。これ以上母親に辛い思いはさせられない。僕が死んだら、それこそ母親は立ち直れないだろうから。
母親を悲しませないために、僕はいまを生きることにしている。次の方法をポジティブに考えて行動している。母親には少しでも残された時間を楽しく生きてほしいから。母親の存在がいまの僕の生きがいである。
母親が死んだら、僕は生きる意味を失くす・・・・
リアルに母親の後を追うかもしれない。
早いところ無に還りたいから、僕は。
こう考えると、人間が家族をつくり子を成す理由もわからんでもないな。
自分の生きる理由を再構築するためだと思う。
母親が齢を重ねるごとに、自分の寿命の残数を数えている僕がいる。
母親にとってはもちろん、僕にとっても毎年の節目なのである。
母さんよ、たくさん辛い思いをしてきたんだから、せめてこっからは最期まで楽しい思いをして生きていってくれな。
僕が人生に期待することはもはやそれくらいのことである。
以上
景嗣
こないだのTwitterのボブ動画は、いつかの母親の誕生日プレゼントだったんね
ただ眺めている動画だったような
今思えば色んな気持ちが混同している動画だったのかもしれない
生きていてもらわなければいけないよ
また合えなくなるもん
飲めなくなるもん
大阪行けなくなるもん
こんなちっさな願いもかかってるんだから