現代人は何にお金を払うのか その1
どーも 景嗣です。
人はどんなときにお金を払うのか。
みんな普通にこう答えるんじゃないかな。
他者が持っているモノ・サービスを享受「したい」ときだろう。経済活動の基本じゃないか、と。
そのとおり、基本だ。その言葉の中で「したい」ってのがポイントだ。
お金を払う背景には、何かしら払う側の人間の欲求があるはずだ。
例えば、
腹いっぱいに食いたいからお金を払ってメシを買う。
雨・風を凌ぎたいからお金を払って家を買う。
遠方に行きたいからお金を払ってタクシー・電車に乗る。
水・電気・ガスがないと生活ができない。それがイヤだからお金を払って供給してもらう。
病気が悪化すると苦しい。それがイヤだからお金を払って薬をもらう。
将来がんに罹患した場合、治療費・入院費・生活費の捻出に困る。それがイヤだからお金を払って保険に加入する。
とまぁ、こんな感じだ。
基本的には、ハッピーになりたいからお金を払う。苦しみ・不安を取り除きたいから、サプライヤーにお金を払うのだ。
それはつまり、経済活動を観察することで各時代の「人間の欲」の形が見えてくるということではなかろうか。
僕はあんまり欲がない人間だ。正直、食いものと薬と服と・・・、まぁ「24時間365日生活するうえで最低限のものがあればいい」という考え方の人間だ。「情報が欲しければPC一機あれば十分だ。それ以外の情報媒体は不要だ。ゆえに部屋にテレビとかは要らない」というような考え方だ。おかげでお金もあんまり使わなくて済んでいる。
そういう意味では、現代の経済活動を観察した時に、しばしば「なんでみんなこんなことにお金を払うんだ? こんなの生活するうえで要らんやろう」と理解しかねることが多い。現代人にとってみれば当たり前のことかもしれんが、人間の欲に鈍感な僕からすると不思議に思うことが多いのである。ふと、現代人の経済活動を観察して、コイツら人間の「欲の形」がどういうものであるかを推測してみたくなったんだ。
前置きが長くなった。今回は、現代の経済活動を観察して、昔と比べて人間が何にお金を払うようになってきたのかをいくつかテキトーに取り上げてみよう (僕が興味深いと思うことを中心に)。そして、現代人特有の「欲の形」を僕なりにテキトーに検討してみよう。飽くまで僕なりの検討だ。( ´_ゝ`)フーンって思いながら見流していってほしい。
ファミコンが発売されたのは数十年前、そこから種々のテレビゲームが開発され市場に出回ったものだ。現代ではVR (だっけ??) という、目に機械をつけてヴァーチャル映像を楽しむという機械も出てきているらしい。
僕も小さい頃はゲームでよく遊んだ記憶がある。格闘ゲーム好きな兄に付き合ってよく遊んだ。
しかしながら、高校1年生のときに少林寺拳法に出逢ってから、ゲームで遊ばなくなったのである。その心は、「殴り合うなら、現実でやればいい話じゃない」ということである。
モンスターハ〇ターするんなら、現実で狩りをすればエエやん。
テニスゲームをするなら、現実でテニスすればエエやん。
バイオハ〇ードするなら、会社に行けばエエやん (ほんで、ゾンビのような社畜とバーバルボクシングをするのであるwww)
身も蓋もない話かもしれんが、極端な話、ゲームでバーチャル体験するくらいなら現実でやればエエ話やんか。
それでも、ゲームを楽しむ人たちがいるのはいくつか理由が考えられる。
一つ目は、総合的なコストの削減だろう。現実で戦えばエエやんという話をしたが、万一骨が折れたら治療代がかかる。狩猟に出かけるにせよ、狩猟道具をそろえるのにお金がかかるし時間もかかるだろう。だから、リスク・コストを削減するためにバーチャル世界を買うのだろう。端的に言えば、「メンドクサイことには目を瞑り、手軽にそれらしいことをしていたい」ということである。
二つ目は、現実世界からの逃避だろう。現実世界の生活では満足できないから、仮想世界に身を委ね、気持ちよくなりたいのだろう。狩りをするにしても普通の鹿じゃモノ足りんのだろう。彼らはリオ〇ウス (空想のモンスター) を狩猟した (気になりた) いのだろう。学校ではイジメられてばっかりだから、仮想空間の中でゴッド・ル〇ール (空想の格闘家) に昇〇拳をお見舞いして、KO勝ちした (気になりた) いのだろう。仮想空間で仮想の達成感を得たいのだろう。
以上のことから、テレビゲームにフォーカスを当てた時、以下の欲求が見えてくる。現実の普段の生活の中では体験できないことをローコストで体験した (つもりになれさえすればい) い。現実世界から逃避して仮想世界で何かしらの大義を成し遂げる経験をした (つもりになれさえすればい) い。どうやらそういうことらしい。
僕が理解しかねる経済活動として、ネズミーランド・US〇などのアミューズメントパークも挙げられる。
他人が創作した作り物の世界に身を投じて何が面白いのか (誤解しないでいただきたい。僕は、そこで働いている人たちのことをバカにしているわけではないし、そのビジネスを否定しているわけでもない。あくまで、僕の感覚として純粋に不思議なだけなのだ)
「夢の国」というコンセプトに陶酔していたいのだろうか。はたまたテレビゲームと一緒で、現実逃避して仮想の世界に身を投じてそれらしい体験をして自己満足を得たいのだろうか。あるいは、現実の世界で閉じ込めていた感情を、夢の世界に身を投じた (という設定) のをいいことに開放しているのか。どっちみち現実世界から逃避したいのと、仮想の世界に身を投じていたいとの欲求の表れであることに変わりはない、という認識でいいのだろうか。
現代人は、自分の普段の生活では得られない経験・達成感・感動を買いたいらしい。それは、仮想の、中身のない偶像でもいいらしい。僕には理解しかねる。
いったんはこういう小括ができるだろうか。。。
結構文字数が長くなるな。。。まだまだ続くよ。。。
続編は明日以降アップするよ。
一旦、以上
景嗣
お金
現実と仮想での振り分けの考えって斬新!
夢の国は同感
理由は至ってシンプル
俺にはあの世界観や人混みに、気持ちが入らない
食わず嫌いではない
人生で2度行った上での答え
ゲームは好きでも嫌いでもなく家にあったからやっていただけ
スーパーファミコンで止まっている(笑)
ハマってやってたもの、ましてや貯金して買った記憶がない
ただ、夢の国よりは心地よい(笑)
以上からすると、やはり仮想への投資は俺には向いていないのだろう
と、思い
現実の世界でのお金の消え方を改めて考えたら
サプリ
年1のライブ(手厚く)
年1旅行
嗜好品(つけ麺、酒、タバコ)
この4品目が主力メンバー(笑)それも殆どが10年以上、中には20年クラスも(笑)
何とも単調でありながらも、よく言えば
他への浮気もしない
悪く言えば、他の興味示しにくい
どれも仮想では味わえない
どうやら俺はお金を使って
現実逃避したい欲を、現実で処理できるらしい