社会規則の副作用

どーも、景嗣です。

 

人間は、集団を形成するにあたり、法律や規則を作ることがある。

その法律や規則を用いて、集団の構成員に対して一定の行動をとるインセンティブを与えたり、一定の行動を抑止しようとするのである。

しかしながら、当該法律・規則を定めることで、主たる目的を達成する別の次元で「副作用」を発症することもある。立法者は、法律・規則を定めるにあたって、当該規定が集団社会においてどのような作用を及ぼし得るかを全体的に、総合的に考慮しなければならない。

とまぁ、難しいことをベラベラしゃべるのはここまでにしよう。ここからは、僕の体験談に触れながら上記に関連しそうなことを話してみよう。

 

学校でこういう規則に従わされたことはないか。

「男子の髪の毛は、黒色・前髪は眉毛にかからない程度の長さ・側面は耳が出るように・襟足は刈り上げる。」「男子の制服は、第一ボタンまでしめる・袖は手の甲が隠れない長さに・・・」のような規則。

 

学校・会社運営側の事務手続きの都合上、守ってもらわなければならない規定など、合理的な理由が一目瞭然でわかる規定ならば、全然従うが。

学校や会社には、しばしば、「そこまで各人の見た目を統一せねばならんもんかね??」と思わせる規定が盛り込まれているときがある。

 

そこで、大人に尋ねてみるわけだ。「ねぇどうして、みんな同じ格好、同じ髪形でないといけないの??」と。無邪気そうなフリをして大人に尋ねてみるのである。

だいたいの大人は優し気な顔をつくってこう答えるんじゃないか。

「学校・会社の風紀が乱れるからだよ。共通のルールを集団みんなで守ると、集団内で一体感が出るだろう? それを一人でも破ったら、その一体感が台無しじゃないか。それに、髪形・服装をビシッと整えたら、自分の気持ちも整うだろう。だから、どんなルールであっても集団のルールを守ることは大切なんだよ」と。

正直、僕は中学生のころからこう諭されるたびに「そんな遠回しにタテマエを言わんと、はっきり言えや」と思っていた。

 

 

金髪・短ラン・ボンタンを着て「喧嘩上等」とでも言わんばかりの奴が集団内にいたとする (ちょっと、極端すぎるかwww)。

そうすると、お客様から「あんな印象悪いやつを擁している学校・会社のことだから、おそらく提供するサービスも杜撰であるに違いない。他の学校・会社の方を選ぼう」と思われる可能性がある。

それを踏まえて、学校・会社側からすると、集客面において、お客様からの信頼を維持・確保するためにも、社員・学生に印象の悪くない無難な恰好をさせるのが好ましい、となるだろう。

上記事情は、学校・会社側の一方的な利益に沿う理由であるため、それに従わせる社員・学生に正直に伝えるとカドが立つ。自分の立場が危うくなり得る。だから、遠回しに「一体感」とか「風紀」とか綺麗ごとを並べてるんやろう。

 

はっきり言えばエエやんけ、このヤロウ共。

 

そういう大人の考えが読めている学生からすると、なおのこと突っ掛かりたくなる。なんというか、「学校・会社の保身のための理由を更に自分の保身のために真意を隠して遠回しな綺麗ごとを並べ立てている」という構図がなんとも気持ち悪いのである。

そこには「二重の保身」が見え隠れするのである。

学生ヤンキーたちの中には、こういうことを言語化はしないものの、僕のような感覚を持っている者もいるんじゃないか。自分が荒れて、大人の出方をひそかに窺っている節もある。

 

先に述べたとおり、服装・髪形を集団の決めたルールに統一することは、企業の信頼維持・向上といった側面から一定の合理性を導き得る。最終的には、従っておく方が集団構成員たる学生・社員自身のためにもなるだろう。

 

 

なんで僕がこんなにもこの議題に首を突っ込みたがっているかというと、過去に学校の規則で嫌な思いをしたことがあるからだ。

 

僕はアトピー性皮膚炎を患っている。特に幼少期は病状が酷くて、重度の感染症にも何度も罹患したことがある。

特に、顔の状態は酷かった。顔は全体的に赤く、皮膚の薄いほっぺたやこめかみ辺りからは、体液が出てくるのである (赤い血ではなく、黄色い汁のような液体だ) 。体液が出る皮膚表面を放っておくと黒ずんでくる。ガーゼで傷口を覆うも、顔に貼ったテープでさらに皮膚が荒れて、そこから体液が出るのである。まあ手の施しようがないわけだ。

当時 (今もだが) 顔を見られるのがかなり嫌だった。結構グロテスクな外観だったからだ。そのため、なるべくなら、髪の毛で鼻の上くらいまで顔を隠していたかった。

でも、校則に髪形に関する規定があるから、顔を露出させなきゃいけなかった。

まぁ、荒れた顔を露出することで、色々とイジメられたわけだ。

あだ名は「アトピー星人」、「グチャ男」、「ヘドロマン」。まぁ色々と不名誉な呼び名があったな。もういちいち覚えてられへんけど。後ろから蹴られたり、水かけられたり。フクロにされたことも何度もあるなー。

多感な時期に毎日こういう経験をしていたわけだ。かなり人格が歪んで育ったと思う。

独りで色々とよく考えたものだ。「なんで俺、こんな目に合うんかなー」と。

そして、中学生くらいの時に、髪形に関する規定にフォーカスを当てて、前述「大人の『二重の保身』論」の考え方に行き着くわけである。まぁ、行き場のない怒りと苦しみを社会制度に向けたのである。一種の八つ当たりのような感じだ。

自分の中で社会と大人に対する不信感が何となく芽生え始めた。やがて、人の言葉・行動の裏を読まずにはいられなくなったのである。

これを境に僕はけっこう荒れ始めたっけな (皮膚も気性も。おい、山田君、座布団一枚持ってこいや、コラwww)。

 

学校の髪形に関する規定。些細な決まり事であるが、僕のような厭世的で人格の歪んだ人間を一人作ったのかもしれないのである。(髪の毛で顔全体を隠している奴もそれはそれでイジメられてたかもしれん。「大人の『二重の保身』論」は、中坊独特のエモーショナルな発想だったかもしれんな。いま思えば。)

 

集団を形成し運営させていくうえで、法律・規則を作ること自体、合理的なのは自明だ。問題は、社会の構成員には、各様のバックボーン・属性があって、それは、十人いれば十様あるし、百人いれば百様あるということである。

大多数の人達にとっては当たり前のルールが、ある一部の少数の人にとって非常に都合の悪いルールになり得るのである。

そんなことをいちいち考えていたんでは、法律・規則なんて作れん。立法段階でなるべく考えるようにはするが、全ての人間をカバーすることはできん。んなことはわかっている。

 

ただひとつ言えることは、世の中で起こっている多くの社会問題は些細なルールや決まり事が引き金になっている可能性もあるということだ。

大事なのは、社会を色んな立場・角度から眺めてみることだと思う。リスクが伴うならムリをすることはないが、気づいたこと・わかったことがあれば何でも発信してみるのもいいと思う。

 

まぁ、髪形に関する規定で嫌な思いをしたという経験がブログのネタになっている。今になれば全面的に悪い経験ではなかったのかもしれない。人間の時折の見方や感じ方もあるよな。こういうのって。

以上

景嗣

Follow me!

社会規則の副作用” に対して1件のコメントがあります。

  1. impact-y より:

    規則には2つある

    例外を認めるか認めないか。

    一番美しいのは例外を認めない社会
    いわば数式化されたイメージ
    答え以外は間違い。あり得ない。
    規律でコントロールされ、誰もが不満のない、ある意味美しい社会だと思う
    誰かが悲しむも、嘆くのも、ましてや脱線するも、存在しない事になる社会
    人が1人消えてもこだわらない社会

    かたや例外を認める社会
    全てに耳を傾けて、共存を図る暖かい社会
    人が1人消えたら、生きている証(=個)を嘆き悲しむ社会

    前者を夢見て、社会の体裁や効率を保つ為だけの規則
    例外を認めず『個』を消す

    規則を疑問に思う事
    それすら考えずに終える人は是非このブログを見て欲しい

    刑務所じゃないんだから

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です