神の見えざる手
どーも、景嗣です。
ボーっとしながら、部屋の片付けをしていたら、面白いものが出てきた。
タイトル「神の見えざる手」
これ、高校の時の美術で描いた絵なんだよなー。懐かしい。
まあ、普通に見れば気持ち悪い構図だわな。大きな手が人形をボロボロになるまで操っとるんやから。
やー、なんとも悪趣味な高校生である←。
実はこの絵、未完成なんだよなー。
本当は、大きな手に繋がれている鎖をもう少し書き足して、大きな手も絵の外側にいる誰かから操られている構図にしたかった。
誰かを思い通りに操っているつもりが、その実、誰かの思惑にまんまと乗せられているということは少なくない。
自分のやりたいように、自由に行動しているつもりであっても、それは社会の決めたルール・慣習といった檻の中での自由に過ぎないといった見方もある。
このころから、社会の中で生きることの息苦しさやせせこましさを潜在的に感じていたのだろう。
これ以上のコメントは敢えて控えておこうか。
今回は絵画に語らせることにしよう。
以上
景嗣
息を飲む一枚
上手さや不気味さにではなく、人形に心当たりがあるから。
それと高校生で既に社会の生きにくさを感じる感受性や、センス、メッセージ性
それらに息を飲んだ
俺はこう感じた
人形の最小単位を社会から切り捨てられる日本人とする
既にそこには二極化が現れている
操っている手は社会
未完成と言われるその上の手は日本国
更に上には手があり、数珠繋ぎとなる
日本国を操っているのは一夜にして化けた『強い国』
『強い国』を操るのはない?
いえいえ、あります
それは『油の国』
『油の国』とて操られている
それがラストの『神』だと思う
異なる宗教(神)による戦争
互いの正義をふりかざし起こす戦争
神がこれら全ての傀儡師
まさに見えざる神の手
ぜぇぜぇぜぇ、、、し、師匠、こんなとこです(笑)