「幸せ」の形とは

こんにちは、景嗣です。

 

今回は、「幸せ」の形についてちょっと考えてみたいと思う。

 

「幸せ」の形と聞いて、みなさんはどんなのを思い浮かべますか??

 

 

まあ、先に言ってしまうが、正解のない問いである。それを弁えたうえでベラベラしゃべることにしよう。

 

 

およそ皆が想像する「幸せ」のモデルは以下のような人生であろう。

 

幼少より高度な教育を受け、偏差値の高い大学に入り、大手企業から内定をもらう。高い収入を確保し、高水準な生活レベルを獲得する。

ほんで、結婚し、マイホーム・マイカーをローンを組んで購入。そして、子宝に恵まれ、自分が親にしてもらったことを子に与える。

で、無事息子も順風満帆な進路を歩む。ゆくゆくはローンも完済し、第二の人生もしっかり謳歌する。そして愛する家族に見守られながら死ぬ。

 

こんな感じだろうか。上記のような幸せのジェネラルモデルは、戦後から高度経済成長期にかけてまで、たぶん、物質的にまだ貧しい時代に国民に刷り込まれたものだろうと思う。まあ、ざっくり言えば、いくつかのステータスを獲得することが重要視される生き方かな、という印象だ。

 

 

今回、「幸せの形」ってのを考えるにあたって、とある家族を例に挙げてイメージしてみよう。

 

Aさんというのがいた。彼は品行方正で印象も良く、誰からも好かれる。運動神経抜群で、高校の時に県大会に出場した。そのうえ、頭も良く、一流大学を卒業した後は、大手メーカーのトップ営業マンとして社内外問わず注目されていた。

 

田舎出身の彼は、都会の幸せな生活を夢見ていた。AさんはBさんと結婚。二人の子供C、Dも生まれた。まもなくマイカー・マイホームを購入。高収入が幸いして、一般的なサラリーマンと比較して10数年早くローンも返済できる見込みだ。すばらしい。

 

C、D共に有名大学に進学させることができた。Aさんは幸せのジェネラルモデルを体現する一歩手前だった。対外的に見れば。

 

ところが、その実、Aさんはムリな営業ノルマ・気の合わない上司に神経を擦り減らされ、隠れ鬱に罹患してしまう。彼は家族に心配をかけまいとして、家族に病気のことを隠すように行動した。

 

大きな家に住んでいたため、その家族4人はそれぞれ持ち部屋があり、プライベートは皆自分の好きなことに没頭しがちであった。家族各々を気遣う環境にはなかったのである。

 

Aさんはそれでも家族を養うため、ローンを払うため、子供に幸せな進路を提供するため、我慢して孤独に今の会社にしがみつき続けた。

 

ある日、Cが「やりたいことが見つかった!!俺大学中退して○○マーケティングやりたい!!」と言い始めた。明らかに儲からないビジネスに手を染めた様子。Cを大切に育てた親ABは共に大きく肩を落とす。まもなくCを別居させるようにした。

 

この段階に来てAさんはあまりのストレスと鬱で、家庭でボロが出始める。毎日酒を飲んだくれ、大声で怒鳴り散らし、悪びれもなく汚い罵声を家族に浴びせるようになった。いつしかBさんやDからの信頼も薄れていってしまう。

 

 

ある日、無茶苦茶な生活習慣が祟ったのか、天罰が下ったのか・・・

Aさんは突然命を落としてしまう。原因不明である。

幸いローンは完済していたようだが、第二の人生を謳歌することができなかった。

 

 

Bさん、C、D全員、10年分くらいの涙を流し、後悔の念に苛まれ続けた。「もっと、彼の異変に早い段階で気づいて居れば」と。心に大きな傷を負った。

 

その後Dは、残されたBさんに、「息子がまっとうな人生を歩んでいるところを見せたい」と思い立ち、急遽就職する。Dはその会社で就労すべく、実家を出ることになった。大きな家にBさん独り置いていってしまうことになった。

 

Aさんが買った大きな家。ローンが払い終え、やっと何らの制限なく家を使える、家族みんなで幸せに暮らせる、と思ったころには、住む者がBさんしか居なくなったのである。。

 

 

 

さて、Aさんは本当に幸せだったのだろうか。。。

 

 

 

世間の言う「幸せ」の形に憧れ、気づけば、守るものの多さにがんじがらめになってしまったうえ、守っていたものに失望し、いつしか人生の目的を見失ってしまったように見える。

病気につまづかなければ幸せでいられただろうか?? 何せ、Aさん本人に聞いてみなければわからない。。。

 

 

実際、僕はDに「お前の人生、幸せだったか」と問いかけたことがある。

「人生25年、刹那的な快楽を感じることは何度かあれど、ただの一度も自分は幸せだと思えたことがない。満たされたことがない」Dはこう言っていた。

どうやら、Aさん一家に異変が起こる前から、そういった感情だったらしい。裕福な家庭で育った子どもは、存外幸せではないらしい。

 

悲しいかな、すべて実話である。

 

世間の幸せに憧れた、何とも滑稽なピエロ達である。

 

思うに、幸せとは、個人の感じ方の問題。Aさん一家のように、どれだけ社会的ステータスを身に着けても、幸せに思えない時はどんなに頑張っても幸せに思えない。そもそも「幸せ」の客観的指標なんてあるはずがないんだ。

 

幸せに定型的な形があると盲信するとかえって自分の本当の幸せを見失う可能性がある。自分の胸に手を当てて、各人が思う幸せの形を見出していこう。「自分らしく」が一番だと思う。

 

 

もしかしたら、考え方ひとつで人間幸せになれるものかもしれない。

 

 

どうやら、物語に出てくるD、前の職場を辞めて、Bさんのもとへ帰ってきたらしい。自分の好きなように人生を歩んでいくのだろうか。自分なりの幸せの形を見つけたのだろうか。それは、D本人のみぞ知る。。

 

以上

景嗣

 

 

 

 

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「幸せ」の形とは” に対して3件のコメントがあります。

  1. impact-y より:

    幸せの形とは?
    と問われた瞬間

    師匠が(笑)こんな正解不正解のない質問なんかするはずがねぇ!

    と思ったら、すぐ下にまんま書いてあった

    ホッとした(笑)

    4人家族は悪い夢でも見たかのような生々しさがあるなーって思ったら、実話だったんね

    その家族の経緯は文だけでは言い表せない、筆舌しがたい思いがあったのだけは分かる

    それを幸せかどうかは、師匠の言うとおり本人にしかわからない

    一枚の絵がある
    タイトル『港』
    小さな港に舟がぽつんとあるだけ
    無名の作家だが誰もが足を止めて見入っている

    ある人は港に、ある人は舟に、ある人は海に、ある人は空に
    それぞれ心を写し出しているのだと思っている

    小さな子供が一言
    『おかぁさん。綺麗な額縁だね』

    同じモノ(幸せ)でも、人によって様々なのは当たり前

    誰も見もしなかった額縁に子供は心を踊らすことだってある

    幸せとは。

    ここで問題が1つ

    小さな子供が『額縁』なんて言葉知ってんの?

    そんな事言ったらひっぱたきます(笑)

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