日本人の仕事の選び方について

こんにちは。景嗣です。

昨日、区役所で諸手続きを終えた際に、リクルートスーツを着た学生がぞろぞろと歩いてるのを見た。

「んあー、就活ってやつかー。そういう時期なんやなー」

数年前、僕もそういう時期があったなと、しみじみしておりました。

 

日本人の仕事の選び方って概ね次のような感じだと思う(多少バイアスかかっとるかもしれません。ご了承ください)。

研究室に残り教授を目指す方、ロースクールに入学して法曹になる方など、将来のビジョンが明確であり、多少のリスクも恐れず我が道にチャレンジする方ってのは少数である模様。大半の学生は特に大志があるわけでもなく、3月1日からリクルートスーツを着て、自分を拾ってくれる会社が無いかを探しまわるっていう構図になっている気がする。

まあ、後者に関しては、就活を経て大志を抱く者もいようが、大半の学生は、就職先が死ぬほど好きなわけでもないし、就職先で死ぬほどしたいことがあるわけでもなかろう。せいぜい食いぶちが確保できてよかった程度の感覚だろう。

てな背景からすると、就活市場って景気の上下以前に、供給(大量の何となく就活してます学生)>>>>需要(企業)の構図になってるような気がする(全体的に見れば、現代は人材不足だ。一部の大手企業に大量の学生が入れ食いしてる状態であって、選ばなければ仕事はある)。

思うに、上記のような構図は社会のプレーヤー全員にとって、あまりいい状態ではない。

まず、学生自身。供給過多のため、単純に安く買いたたかれる。企業側に「もっと給料上げろや」と言ったら、文句を言わないちょっと優秀な学生にとっかえひっかえされる。まあ、労働条件が陳腐化しやすいというわけだ(だから労働法っちゅうのがあって、一定の範囲で労働者は保護される)。

次に企業。「何となく就活してます学生」が多いってのが問題だ。優秀な学生に出会う機会も多くはなるものの、面接-主観-で学生を見極めていくという採用方法をとる限り、ハズレ学生を引いてしまうリスクがまぁまぁある。生産性に寄与し得ない学生に高い固定費を払い続ける羽目になると考えるとなんだか不憫である。

最終ユーザー。単純に増えた人件費の分だけ製品・サービスの価格が上がりかねない。まあ、自由競争によって価格の高騰は抑制され得る。しかし、原価低減のためコストを削減すると、劣悪な商品・サービスが提供されかねない。そうなると、まわりまわって最終ユーザーが嫌な思いをする。

景気。人件費増で企業が資金を吐き出さなくなるうえ、前述のとおり労働者の賃金も上がらず、個人消費が足踏み状態になる。結果的に景気は伸び悩むわけである。

とまあ、ぱっと頭で思いついただけでも結構マイナスの側面が目立つように思う。何より、企業勤めする学生自身、「生活の安定は手に入れたけど、毎日このルーティンワークでええんやろかぁ」と疑問を持ちながら、働いていると思うと、なんだかやるせない。

 

聖書に書いてあるワンフレーズが思いだされる。

「狭き門より入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。」(新約聖書 マタイによる福音書7章13節)

どうやら世の中そういうふうになってるらしい。

 

学生よ。企業にぶら下がりにいくのも悪いわけではないが、その企業に本当に自分のやりたいことがあるのかをしっかり吟味した方がいいんじゃないか? 無いのであれば、自分なりの独創的な進路を考えてみるってのも悪くないんじゃないか? 「みんなやってるから」と盲目的に動くのではなく。

今の社会制度では、あまりにもリスキーな選択肢かもしれないけど、需給の不均衡も是正され、現状よりいい社会になっていく可能性もある。

そして何より、自分の人生が面白くなると思うのね。社会のマニュアルにない自分の生き方を自分で考えて、クリエイトしていくわけだから。僕は少なくともそっちのが楽しいと思う。

インターネットサービスを通じて、独創性ある希少価値のあるビジネスを個人で創設することができる時代が来てると思うのね、たぶん。

社会制度として、そういうのに挑戦する者が増えていくようなセーフティネットみたいなのも拡充されていったらいいよね。

せっかくだからさ、型破りな生き方ってのもボチボチ考えられる国になっていったらいいんじゃないかな。

以上

景嗣

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日本人の仕事の選び方について” に対して1件のコメントがあります。

  1. impact-y より:

    ギクッ(゜゜;)
    何だ、何があったんだ
    俺個人に関しては半分当たって、半分違うかな
    (他人は知らない)

    やりたい事を吟味するのは就職してから中でも探せる
    (分野・職種すら妥協したら厳しい)
    吟味の拘りは時にチャンスを逃す

    小学生の時。担任が目の前で理科の実験をやってくれた
    今思えば単純な実験
    でも小学生の自分にはマジックを見ているようで衝撃を受けたのを今でも覚えている

    その時に心の中に小さな光がぼんやりと灯った
    小さいけど力強く、同時に(理系の)担任への憧れへと変わっていた

    中学、高校とその気持ちは強くなり、興味有り無し科目に歴然の差が出ていた

    数や実験にはアホのほど興味を持つ反面
    歴史、世界史、経済。。。の類は苦痛でしかなかった(笑)

    源頼朝が読めないレベル
    弁慶が何した人かわからないレベル
    縄文時代の次が江戸時代だとわりかし真面目に思っていたレベル
    大河ドラマ見たらゲボ吐けるレベル

    話ぶっ飛んだけど
    ま、大学でもその路線で、仕事もやりたい分野に就いた

    やっぱ仕事は趣味じゃない
    やりたい分野でも楽しいだけさじゃなく嫌な事が多い
    やっていくうちに上手くこなして『嫌じゃないようにする』方法を覚えた

    仮に惰性で安定を優先した就職でも、その中でやりがいを見いだすのもありなんかなと

    何にせよ何がやりたいかわからないまま40年働くのだけは地獄

    それは?同感(^.^)

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